2019 7・4

7月4日に生まれて、か。

九州南部豪雨の被害に遭われた方にはお見舞いを。大水の恐さは、自分も知っています。一日でも早く、皆さんの生活が日常へと戻るよう、お祈りしております。


大分は久々に晴れた。空が綺麗だなあ、なんて道を歩く人は自分が小さな花を踏んで居る事に気づかない。「おいフェミニスト、花を踏んでるぜ」なんて声をかけちゃあいけないんだぜ、だって彼女達は空をみているんだからさ。

まだまだ続く「君の名は」論争、バカバカしさも天元突破なんだけど馬鹿馬鹿しいからかな、タイムラインに流れてくる。その中で「石田衣良先生による君の名は批評」は個人的に正鵠だと思った。曰く

「恋愛を経験せず、恋愛を美化した人のモノガタリだ」

というヤツ。わかるわかるーである。けどまあこれがわからない人もいるっていうから世の中って世の中なんだなあって思う。


恋愛の何が美しいのか僕には一切わからないから教えて欲しい。恋愛なんかあれは脳のバグで一時的な精神疾患、不定の狂気に陥っているだけだ、SAN値チェックをお願いします。値はファンブル、完全な狂気に翻弄されて窓の向こうに彼の顔が見える状態、ああ窓に!窓に!そんな状態を「純愛」の一言で美化されちゃあ溜まったもんじゃない。でも、純愛がほしいんだよな、彼ら。

兎に角純粋で穢れの無い少女ってヤツが先ずあって、(そんな生き物はモンスター以外存在しない)それに恋心を寄せる思春期の少年がいて、(これも人外です)その二人が手を繋ぐ繋がないで騒ぐ、一緒に帰る帰らないで騒ぐ、

WTF

どうでもいい。恋愛の真髄はつまりセックスだ。セックスをしろ、セックスをして相手を憎み、傷つけ、振り回す。そこからしか恋愛なんてはじまらない。3回もセックスすれば男は女に飽き、2回目のセックスで女は本気になる。そこからは殴り愛、愛って知ってるかい?本気で傷つけあうことなんだぜ?

こんな性愛主義者の主張も、純愛主義者にはよくわからないんだろう。だけどかつてうちが行った「恋愛」ってやつは全くそうだった。全くの悪事だったし、全くの地獄だった。

やめてくれよ、創作の世界の中までそんな汚らしくて辛い現実を見せないでくれ、って?おいおい、止してくれようちらは何も世界を絶望で塗りつぶそうとしてるんじゃない、わかってほしいのはこっちさ、うちらはただ、


この世界は残酷だけれども、存在には全て価値がある


ことをしってるだけさ。女を殴った男にも、子供を捨てた女にも、親を捨てた女にも、女を捨てた男にも、男を捨てた女にも。その苦痛と地獄を見据えながら「それでも世界は美しい。それでも恋愛は美しい」そう言えるかいえないかって話なんだ。

うちは言ってしまう。「恋愛は楽しいしいいモンだよ。死ぬ覚悟をした恋愛ほど面白いものはない」この死ぬ覚悟、これはセックスをしないとはじまらないんだ。手を繋いでちゃ始まらないし、LINEで話すだけでもはじまらない。

さて、本当の純愛の正体を教えよう。それは死の先にしかない。どちらかが死に別れた瞬間、それは永遠の純愛へと昇華する。つまり、純愛にも絶愛にも、セックスは必要不可欠って事さ。うちはそう考えている。

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