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The Yellow Wall Paper 「黄色い壁紙」があらわすもの

 講義でこの作品についての発表を聞いて、改めて読み返すと気付いたことがあった。黄色い壁紙の裏に閉じ込められ、這っている女たちが作者であるGilman自身なら、その壁紙は彼女を抑え付けている旦那や、社会なのではないか。そこで、作中の壁紙についての表現を振り返ってみた。
最初に壁紙の記述があるのはp369だ。

“The Paint and paper look as if a boys’ school had used it. It is stripped off -the paper- in great patches all around the head of my bed, about as far as I can reach, and in a great place on the other side of the room low down.” 

この壁紙は、女が暮らす前からすでに剥がされており、しかも剥がされている場所は、安静療法にかこつけて、旦那が女にそこにいるよう言いつけ縛り付けている場所=ベッド の周りである。ここですでに、抑圧された女たちがうごめく壁紙の内側と主人公の女がいる外側が曖昧になっていることが読み取れる。
壁紙の模様については、このように書かれている。

”It is dull enough to confuse the eye in following, pronounced enough to constantly irritate and provoke study, and when you follow the lame uncertain curves for a little distance they suddenly commit suicide -plunge off at outrageous angles, destroy themselves in unheard of contradictions.”

壁紙の模様はとにかく曖昧で、じっくりと向き合おうとしても、混乱させられたり、いらいらさせられたり、(目で)追いかけると矛盾の中に自ら姿を消してしまう。これは、何度話をしても妻の話を曖昧に受け流し、聞き入れようとしない旦那と重なる部分である。よく考えれば、妻の体調を治すために屋敷を借りたはずなのに、賃料のために妻に我慢させるのは本末転倒であるし、医者なのに根拠のない安静療法などを薦める旦那は矛盾の多い存在だろう。

また、色に関する記述も気になる。

”The color is repellant, almost revolting; a smouldering unclean yellow, strangely faded by the slow-turning sunlight. It is a dull yet lurid orange in some places, a sickly Sulphur tint in others.”

なぜ、この壁紙は黄色なのだろうか。私が黄色ときいて最初に思い浮かんだのは黄色人種のことだった。当時のアメリカでは中国人排除法や非公式ではあるが日本人の移住が許されなかったりすることもあったようだ。19世紀の英文学で黄という色がどんな文脈で使われていたかを調べてみた。

太陽がyellowと表現されることはよく知られている。同様に、炎や明かりも yellowとされることが多い。ここ から発展して比喩的な表現をしているものがあった。
ロレンスは The Lost Girlの中で情熱を“a sort of Sulphur -yellow flame of passion” と表現している。硫黄という言葉も含まれているので、いかにも異様な、燃えるような激しさが感じられる。逆に何か、物寂しいような雰囲気をあらわす表現もあった。
ハーデイの Tessの中の、“the yellow melancholy of this one-candled spectacle” という表現で、一本のろうそくの明かりしかない薄暗い憂鬱な雰囲気を表している。
似た表現で、シャーロット・ブロンテの Villetteには、“She would pine away in green and yellow melancholy" と書かれている。この場合は、 greenもあるが、青ざめたというような意味であろうか。
いずれの場合も、 yellowはmelancholyの雰囲気によく合う。ジョージ・オーウェルのNineteen Eighty-fourには、音楽の調子を、”a yellow note” と言っている。何か人を馬鹿にしたような雰囲気 “a peculiar, cracked, braying, jeering note” をyellowと表現している。 Yellowという言葉自体に、黄ばんだというようなよくないイメージがあるためであろうか。憂鬱とも関係があるかもしれない。1)

当時の”yellow”と呼ばれる色の範囲には薄い茶色も含まれていたようである。炎や明かりなど異様な、また燃えるような側面と(lurid orangeも含む)、それに相対する憂鬱な側面を併せ持つ黄色は、なるほど不気味である。無生物であるのに、なぜか命あるもののように感じさせる壁紙にぴったりだ。

P371になると、”This paper looks to me as if it knew what a vicious influence it had! There is a recurrent spot where the pattern lolls like a broken neck and two bulbous eyes stare at you upside down.” と、いよいよ生き物として壁を捉えるようになっている。主人公の女は、壁紙の模様に「監視されている」と感じている。そして、長い間やることもなく、壁の模様を追うことばかりしている女は、この壁紙に愛着をもっているかもしれないと思い始める。と同時に、旦那への、そして旦那からの愛を自分に言い聞かせるように再確認している。口では早く出たいと言いながらも、彼女はだんだんと狭い世界に妥協して生きていこうとしているのかもしれない。彼女が再び旦那にせっかく伝えた部屋の不満を冷たくあしらわれると、壁の模様は鉄格子に見えてくる。壁は、その模様の中から出てこようとする女を抑えつけ、静かにさせている。そして、彼女が壁紙を本格的に観察し始めるのと同時に、旦那やJennieのことも「監視」しはじめるのだ。このようなことから、壁紙(の模様)は旦那やJennieをあらわしているという見方が考えられる。時間が経つにつれ、壁紙からは独特な「黄色い」匂いが持続的に感じられる。視覚だけでなく、嗅覚すら壁紙に支配され始めている。そしてついに「壁紙の模様の内にいる女」と同様に女も這うようになる。これは彼女と模様の内側との同化が始まったことを意味している。
さらには、
 “If only that top pattern could be gotten off from the under one! I mean to try it, little by little.” と、彼女は自分は壁の模様の外にいると考えているようだが、思考が完全に模様の内側からになってしまっている。そして自分ではなく壁紙の模様から透けて見える旦那やJennieが壁紙の影響を受けていると考えている。最終的に夜通し壁紙を剥がし続けて女たちを解放すると、Jennieの本性があらわれる(と主人公の女は思い込んでいる)。しかも自分は部屋の外に出るのを嫌がり、旦那が失神しようとこの部屋で這い続けることを選ぶ。そうしないと道に迷ってしまうのだ。ここから分かるのは、壁紙(の模様)を剥がしたことによって、女たちが解放されたのではなく、模様の内側が部屋の中に侵食してきただけ、ということだ。主人公の女は完全に模様の中に閉じ込められてしまった。しかも自らそこにいることを望み、壁がないところでは道に迷ってしまうとまで言う。これは壁=旦那や女たちを抑え付けるもの から解放されることを望みつつも、彼らに頼って生きていくしかない女をあらわしているのではないだろうか。

参考文献
「英語に見る黄色いもの :19世紀イギリスの小説を中心に」(龍谷紀要第30巻 (2008)第 1号 p53~66) 今村潔


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