村田沙耶香さんの作品が好きだけど嫌いです

私は村田沙耶香さんの作品が大好きです。でも楽になろうとしている私の腕をぐいぐいと引き戻そうとしてくるところは嫌いです。「生きづらさ」をテーマにしている社会学ゼミに所属している私が考える最強の生存戦略。それは「鈍感であること」です(あくまで最強であって最も理想的ということではない)。鈍感とは、何事にも突っ込みすぎず、自分と過度に向き合うことなく、社会の当たり前を疑わないことです。お気づきかもしれませんが、社会学を学んでいる時点でほぼ無理です。それでも自分なりに鈍感になろうとしている私を、村田さんの作品は許してくれません。「コンビニ人間」も「生命式」も「消滅世界」も、さらっとした読み心地なのに、自分の根っこの部分をぐらんぐらんと揺らしてくるのです。いや、そもそも根っこなんてないのかもしれないです。おい、いいのか。本当は鈍感な人間を軽蔑しているんだろう。そんな風にはなりたくないと思っているんだろう。当たり前を疑った先にあるのは発狂。それなら一緒に発狂しよう。そんな声に引っ張られると、人間の本能について友達と6時間半電話する羽目になります。おかげでES一個提出し忘れました。自分が自分でなくなるのが怖いです。いや、そもそも自分って?ダメです。深追いしたらおかしくなる。講義で読んだThe Yellow Wallpaperを思い出します。皆がなぜか気に留めない傷だらけの壁紙の奥には、おぞましい何かが蠢いている。その壁紙を容赦なく剥がしてこようとする村田さんの作品。おかしいのは壁紙の中?それとも外にいる私たち?正常ほど恐ろしい発狂はない。ねぇそうでしょ?って語りかけてくる。嫌いといいつつ、そういうところが好きだから読んでいるんですよね。あぁ私は一生鈍感になる選択肢を選べないんだろうな。おとなしく発狂を自覚して生きていこうと思います。

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