退屈な時間からは逃れられない
いつもと変わらない日曜日なはずなのに、そこに大晦日というイベントのせいで寂しさが増す。何か特別なことをしなければという強迫観念と別にただの一年の区切りだしという斜に構えた自分が交錯する。
恋人と呼べる存在もいない。欲しいかと言われると欲しい。じゃあ、そのために何か行動を起こす気になるかというとそうでもない。友達と呼べる存在はかろうじているのだけど、わざわざ寒空の下に出て行ってまで会いたいとも思わない。
やりたくないことだけがはっきりする。でもやりたいことは何かわからない。全てのやりたくないことを見つけると残ったものはやりたいことなのか。多分、そんなに単純に行かないことも理解している。
読みたい本も、観たい映画も退屈な時間を乗り越えるための偽りで作った欲求に近い。
あまりにも退屈な時間を呼吸をするように消費するのが嫌だった。だから今年は勉強に没頭した。生半可な気持ちでは乗り越えられない資格に挑戦した。ほぼ1年間、仕事と食事と睡眠時間を除いては勉強していた。
勉強している時は何も考えず、自分が退屈な時間に押しつぶされるのから目を逸らさせてくれた。それと引き換えに睡眠時間を削った。それはすなわち命を削るに等しかった。
そんな勉強も試験日を境に一区切りついて、また退屈な時間に戻った。他の勉強を始めようかとも思うが命を削るやり方はかなりしんどく、勇気がいる。
今のこの閉塞感は退屈な時間から目を逸らす手段を失ったことに原因があるのかもしれない。
今年は勝手に終わる。そして、勝手に来年が始まる。時の流れが解決してくれることもあるけど、そうじゃない方が多い気がする。結局、自分でもがいてどうにかするしかないのか。
大抵の人が「来年は」と希望を語る今日という日に、その腰の骨を折るような内容になってしまう。
こんな嫌な気持ちを吹き飛ばせるようにアルコールを摂取したいと思う。
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