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さぁ、愛を語ろう。

こんにちは、久しぶりに風邪をひき、プロポリスのど飴が手放せくなったあっこです。あいかわらず鼻はかまない主義なので、無邪気に鼻水たらしながら仕事を楽しんでしています。

突然ですが、あなたはどれほどあなた自身のことを知ってる?
血統・身体的特徴・性格・能力・好みなど。それ以外に《わたし》ってなんだろう?そして知っている《わたし》の何パーセント、どれくらい自分のことを好き?

大嫌いなわたし

わたしは幼少期から太っていたせいで、自分の容姿は好きではなかった。また指しゃぶりは大人になるまでしていたので(これについてはまたの機会にお話しするね)隠している自分の姿は本当に大嫌いだった。

性格はおおらかでリーダーシップを発揮するタイプで、目立つ存在だったと思う。それゆえ、他を思いやる気持ちも自分勝手で度々いじめやからかいの対象になってた。

何をやるにも中途半端で長続きせず、お金をかけて始めた趣味や習い事も飽きて放りだし、両親を悩ませてた。

って、ずいぶん大人になってから気づいたけど、母がわたしに対する愚痴から嫌いな自分を生み出していたな、って思う。おぞましい。

母はわたしが太っていることを直接非難はしないの。でも「ご飯をいっぱいたべるのはいいんよ、欲しいだけ食べたらいいじゃない。でも本当によく食べるよね」「大きいサイズは可愛いお洋服が少なくて。それでもなんとか可愛いスカート見つけてきたよ」とか「太って見えるから黄色の服は着れないね」とか。自信ありそうにみえるあっこちゃんの中にしっかりと根付いた《劣等感》についてはこれまたいつか語ろう。

趣味や習い事に関しては「なんでもやりたいことをやらせてあげたいのよ。でも本当に自分に必要なことを選ばなくては」とはじめる前に必ず言う。今のわたしが求めているものでも、「そう言ってあんたは口が達者だからすぐ騙されるのよ」という始末。もちろん好奇心旺盛でなんでもチャレンジしたくなるわたしだから、はじめても飽きるのではなく、自分には必要ないと早めに「わかる」だけ。大切にしたのは達成感より時間。

母にとってはそれはいまだに理解不能らしく、そんな母を理解することで《わかってもらえない苦痛》から解放された。だからといって母に対して愛が溢れ出すことはまだないのである。

最難関の母への愛は後回しすることにしよう。

愛することと楽しむこと

まずはもっとも簡単なことからはじめよう。

《わたしが“わたし”を好きな10の理由》

1.朝日と共に起きるわたし、スキ。

2.飼い猫が寝てるのに、そのふわふわもふもふに触れて癒されたくて触っちゃうわたし、スキ。

3.居心地のいいカフェで何時間か寝落ちするわたし、スキ。

4.ようやくゆっくりできるかなってソファに座ったと同時に話しかけられてイラっとするわたし、スキ。

5.仕事に夢中になって目的の駅を通過するわたし、スキ。

6.白髪を染める色を選ぶのにドラックストアで何分も悩むわたし、スキ。

7.お気に入りのボールペンなのに何本も行方不明にするわたし、スキ。

8.突然こころが震え、涙ながすわたし、スキ。

9.っくだらないことに何よりも情熱かけるわたし、スキ。

10.落ち込んでもすぐ這い上がるわたし、スキ。

ワクワクが止まらず駆け足で歩くわたしも、あれこれ悩むわたしも、どうにもいかずグチグチするわたしも、全部愛しい。

あなたもリスト作ってみて。#10reasonstoloveyourself

自分を楽しむって愛することなんだよ、ってこの本に書いてあった。

「生きることを楽しむ能力」と「愛する能力」とは関係している。楽しむことは何かに執着していないことで可能なのである。自分をよく見せようとしている時に、人は楽しいであろうか。

ドキッとしたひと!まずはうっかり「楽しい」と感じる瞬間が増えていくといいね。

自然の中で見つける「愛しい」気持ち

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スキやキライは状況によって揺れ動く。
でも愛は違う。

愛はそこら中にこぼれ落ちている。

紅葉する葉。欲しいおもちゃに寄せる子どものまなざし。彼の瞳に映る景色。嫉妬に狂った眉。刻ときと刻ときの間


見逃してしまうほど一瞬に《在る》、確かに存在する「愛しさ」が魂の栄養。自然の中で繰り広げられる多くの生命の営みは、あなた自身の営みでもあり、その美しさはあなた自身の美しさでもある。

微妙で儚いその営みこそが「愛」であり、それに触れることで「愛」を知り、「愛」を受け取る。尽きることのないその「愛」は決して消えたり去ったりすることがないと知る。自分の中にあるその「愛」は信頼となり希望となりいつもわたしたちひとりひとりを励まし、勇気づける。


今日何かにうっとりするあなたは、魅力的で美しい。

あなたの中にあるネガティブな気持ち

どんな気持ちがあるだろう。ちょっとだけ触れてみよう。
怒り?悲しみ?寂しさ?妬ましさ?苦しみ?

どれもあっていい。あっていいけど、そのままの形ではきっとあなた自身が辛いだろうな。その気持ちを頑丈な箱にいれて、鎖をぐるぐる巻きにして、なんなら見つからないようにどこかに隠して、その場所を忘れてしまったとしても《在る》ことにはかわりない。

それならひとつひとつなぜそんな気持ちが生まれたのか丁寧にみてみよう。

あっこの場合|
わたしには《寂しさ》が深いところに、まるで鳥の羽のような軽さでびっくりするほど大量に積もっていた。
ひとつひとつの《寂しさ》を見てみると、過去生では「待つことができず、自らがその場を離れる」「勇気がなく一歩が踏み出せなかったため、出会えなかった」「ただ見ているだけで行動することができずにいた」など。
現在でも「理解され受け入れられることを願っているのに、自分から行動を変えない」「やっぱり待つことができず、想いとは違う選択をしてしまう」などある。どれも結果《寂しい》感情からきている行動だ。

まさかっ!
って目をそらしたくなる自分の中のネガティブな気持ち。それをいったん受け止めてみる。すると張りつめていた何かがトロトロと溶けて自分を温かく包みこんだ。

自分を知る。受け入れるってこういうことなんだね。
これも「愛」だ。

それが「許し」ってやつね。

ようやく、もっともにっくき母への愛が芽生えてきたよ。
母の魂は自分の弱さの中に「愛」を見つけられないで困っているんだ。そりゃ辛いだろうな。

最速最深で「愛」をうけとる

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恒例の最後は宣伝しちゃうよ、のコーナー。
今回はShiki開闢(かいびゃく)という“ひとのこと”最速最深講座のご案内。
現在福岡と岐阜・静岡の3か所で開講しているの。ここで紹介した「愛」についてタブーだと感じることも全て許し合い、語り合い、自分の中の様々な感情と向き合い、自分を知り愛する講座。

揺るぎない《わたし》。本音、魂のコードを読み解き、今に活かすために学び合う講座です。
以下は受講生の声。過去生の魂にふれたり、今の気持ちを知ることで、未来を想い描いたり、希望や勇気に変え、仲間を励まし、支え、喜びを分かちあいながら過ごしています。

[経営が少し楽しくなってきた話] 静岡メンバー
少し前から、潜在意識と顕在意識を統合するムドラをずっとやってます。自分の、魂の使命や特製などを見て知ることで自分が、一番力が入りやすい心のあり方人との接し方がわかってきました。
[家を飛びだしてきて18日が経った]福岡メンバー
家族と離れることを選んだ。仲間と共に立ち上げた会社を辞めると決めた。
わたしの人生、あまりに想定外すぎるという驚きと戸惑いもあった。
でも、やっとこの「今」を手にした充足感や喜びもあった。
もう立ち止まれないことを知りながらもどこかどっしりと構えていない自分にもどかしさや不安を抱えていた。ひちゃかちゃなまま、たくさんの人に甘えまくった。

で、今朝。
あっ、今日だ。新しい屋号が決まる。
そんな気がした。

じゃじゃーーんっ。

わたし、来年から新しい屋号でフリーで活動していきます。
[受講者同士の魂が触れることで気づく]福岡メンバー
私の中にいたヨーロッパ在住の自分の寿命を既に知っていて残りの人生を生きて過ごしていたおじいちゃんが、
『もう充分に生きることを助けてもらった。
この命が尽きるまで本当に幸せな時間を過ごすことができたのは日々ケアしてくれたおかげ。
本当に幸せに心穏やかに命尽きるまで過ごすことができた。ありがとう』
という気持ちが急にぶわっと溢れてきて、ヴァジュラ・ムドラしながら涙と鼻水が止まらなくなってしまう。
そのとき、死ぬことへの恐怖なんて全くなくて、ただただ幸せに包まれながら過ごしていて満足で穏やかな気持ちしかなかった。

こんなにも心穏やかに余生を生きられるんだ!
なんて心が満たされて幸せなんだろう…と、充足感でいっぱいになった。


もうさ、ピン!と来たひとしかその扉は開かないので、講座に興味がある方はぜひご連絡ください。

もちろん、いきなり講座!じゃなくても大歓迎。
福岡(博多・直方)、大阪、岐阜(瑞穂)、静岡(静岡・修善寺)でイベントやワークショップもしているので、そちらにお越しいただけると嬉しいな。フェイスブックページ「ひとのこと」イベントページで告知しています。


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