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推しのアイドル観、私のアイドル観


 いまさら、あえて、このブログについて言及をしようとしたのは、それが他ならない私にとって必要だったからです。
 ファンである私が「アイドル」というものに何を求めて、その偶像に立たれている小田さくらさんは、どう自らの「アイドル」について思うのか。このまとまらずに漂う思考を整理して、アイドル自身の幸せとファンの幸せを比例させていくためにこの文章を書きます。
 ですのでこれから書かれる内容は私のためだけに向けられた自分語りです。小田さくらを推している人間の自己との対話をこれから読んでくださろうとしている方は、小田さんと私しか出てこない退屈な文となることをご承知おきください。

 改めて言いましょう。
 この世界にはたくさんの人がいて、それぞれが異なる世界を見ていて、違う考えを持ち、同じく感じたように思えたことが変わっていた。そんなことが常に起こっています。
 人は本当の意味で互いを「わかる」ことはできないと私は考えています。
 このnoteを見て自分とは違うなと思ったとしても、それはあなたも、私も、小田さんも。別の人間であることが示されただけで、誰も悪くない。
 ですが、「わかりあいたい」と思った過程で生まれる愛を大事にすることで、人が人を想う優しさが理想で終わらないのだと信じたいです。
 私は小田さんの文章が好きです。彼女自身はブログを書くことが不得手だと言いますが、いつも言葉を偽らず伝えようとしてくださる、誠意が込められている気がするので。
 なので私も今回は自分の気持ちと言葉に嘘がないように、記します。


 はじめに、背景を簡単にまとめると
 
 ・ハロプロに所属していた現役アイドルが恋愛スキャンダルで脱退
 ・その人物はハロプロでも特に歌が評価されていたメンバーだった

 調べると、そんな中で書かれたブログのようでした。
 芸能に疎い私でも聞いたことがある週刊誌に、どこかで聞き覚えがある歌手との出来事ですから、当時の混乱は相当のものだったと推察します。

 ここからは小田さんのブログを引用していきながら、話を進めていきます。



ここ数日間で、ハロー!プロジェクトとファンの皆様はとても複雑な気持ちになったことと思います。
その期間で、私の頭に浮かんで来た様々な事をここにまとめさせて頂きます。

 まず念頭に置いておきたいことは、ここにある通りこれは小田さんの『感想文』だということ
 このブログをもとにアイドルのあり方に変革を起こそうと活動を始めるわけでもなく、事務所のやり方に苦言を呈したいわけでもなく、ただ小田さくらが何を考えているか共有するためのものです。
 正直、全文読んだ後にこのブログを投稿する許可を与えた事務所の度量の深さに驚いたほどでした。
 センセーショナルな話題について内部の人間が言及するとなると、多くの注目が集まるのは想像に難くありません。ファンの方以外からの閲覧も増え、どんな反応があるかもわからない中での発言は不安要素が多すぎる。見て見ぬ振りをした方が安全圏に立てるし絶対に得策なのに、背負わなくてもいいリスクを背負いに行って、自分にとって大切なものを伝えるためにこのブログを残そうとされた小田さんの気概に惚れ直しました。自分にはできないから。

私は普段から発言の一部を切り取られてそこだけが大きくなる事がよくあります。
最近も、そういった発言から私の心情を想像して気を使ってくださる声もありました。
そうしてまたイメージの私が大きくなってしまいます。

 私はファンになってから日が浅く、2021年2月17日に書かれたブログの時点ではモーニング娘。に年号がついていることも、メンバーさんの情報も何一つ知りません。現在も小田さんが言う『普段から発言の一部を切り取られてそこだけが大きくなる事がよくあります』がどのエピソードを指しているのかわからないくらい、小田さんのことを何も知らないんだと痛感しました。
 後追いの身ではXで交流していると小田さんのエピソードをお教えいただくことがたびたびあるのですが、できるだけ公式の一次情報を確認するようにしています。会話や文脈を把握しておかないと、そのコメントがどんな意図を持って発言されたものなのか判断しにくいからです。知っていたとて、小田さんの考えが100%そのまま分かるなんて驕りもないですが、切り抜かれたり一部を引用して語られるコンテンツやSNSが増えている以上、情報の受け手としても発信する側としても改めて注意していかなくてはなと自戒いたしました。
 

たしかに皆さんがイメージしている私こそ、アイドルとしての私だと思います。
ですが、それが本来の私とかけ離れ、私が耐えきれなくなった時を想像すると、すごく不安な気持ちになります。
このブログは、皆さんの想像とは少し異なってしまうかも知れない、私の本当の気持ちです。
私が9年間、アイドルとして色んなジャンル、時代のアイドルを観て感じた事からお話しさせて頂きます。
嫌だと思った方はどうかこのブログは無視して頂けると幸いです。

 歌にプライドを持って、自信家で、女性らしい魅力を兼ね備えて、自己表現に余念がない。
 見かけの小田さんのイメージはとても強い女性に思えます。実際、アイドルという特殊な職業でさまざまな状況を乗り越え、9年もの間活動されているというのは弱くてはできないので間違ったものでもないはずです。
 しかし、小田さんはご自身のことをもっと違う人間だと考えているようです。
 直近で言うとハロ!ステ#514の回でストイックNo. 1に選ばれた際の反応を見るとわかりやすいかと。「ハロメンからもそう見えてるって言うのがすごいびっくりしました」とおっしゃっていますし、自分に近い距離の人たちは私のことをそう評価しないだろうと思っているように受け取れます。
 もう一つ印象的だったものを挙げると、譜久村さんのご卒業の前によく「譜久村さんの面白いところを見せていきたい」とことあるごとに語られていました。エスカワのインタビューや、BSの特番でも秘蔵動画を公開するなど、本来の譜久村さんと一般のイメージの溝を埋めたかった故の行動だったのかな、と感じました。
 ファンの私は『アイドル小田さくら』として見せていただいている以上の情報を知ることができません。
 発信していただいている情報から「本当はすごく甘えたがりのめんどくさがりなんだな」「ツッコミしてるけど素が天然ボケ属性じゃん」「美味しいもの食べるの大好きでそのためには結構ムキになる幼さがあるんだなぁ」なんて憶測はいくらでもできます。
 ですがその事実確認をしようとしたら……ご本人に直接聞くが唯一の方法でしょうが、そんな無作法なことできないですよね。だからといってそのほか交友関係だったり、活動範囲の特定などプライベートの情報を自分で知ろうとしたら警察案件ダメ、ゼッタイ。
 本来の小田さんに不可侵でいたい気持ちと、アイドルの小田さんからどうしても垣間見えてしまう現実。だから私は前にnoteの記事にしたように期待をかけすぎないようにただ観測したいという気持ちでいるのかも知れません。
  

私は、最近のアイドルの在り方に対して違和感をおぼえる点があります。
今回は女性アイドルについてになりますが
私の印象では
一世代前のアイドル全盛期
1970年代や80年代のアイドルの方々は
「歌」「飛び抜けたルックス」「スター性」などの武器を持ってアイドルをしていたように思います。

 これについては概ねその通りだなと首肯します。現在のアイドルという存在よりも、より偶像崇拝するような、手の届かないものとして神格化されているような印象を受けます。

今は「女の子」そのものが武器になっている感覚です。
なので、男性に寄り添うような歌詞もとてもよく見ますし
身近な存在になりつつあります。
歌やダンスは生まれ持ったセンス、勉強や努力が必要なものですが
生まれた時からみんなが持っているもので戦うとなれば、必然的にアイドル人口は増えるし、選び方は好みだったり、先に目に入った順だったりします。

 2000年代前半に現れた「会いにいけるアイドル」の台頭が、よりその風潮を加速させたのではないかと感じています。
 アイドルに興味がない、むしろ苦手まである私でも当時は時代の波を肌で感じていました。時間にして数秒、二言交わせるかどうかのアイドルとの会話のために信じられないほどのCDを買うらしいぞ、と。そんな様子が連日テレビで放送され、面白おかしくヲタクとアイドルがエンタメになっているのに怖さすら感じていました。
 一種のドキュメンタリーのように普通に見えた女の子たちがアイドルに成長していく姿を応援するサクセスストーリー。これまでエキストラにもなれなかったファンの存在が、突如として推しのアイドルを一位にする物語の票の有権者として役が与えられていく構造の変化に、アイドルの概念が変わっていく音を聞きました。
 人に順位がつけられ、時間に価値がつけられ、売り物のCDはただのモノとして部屋に積み上げられているんだとしたら。それは空っぽになった時間の残骸に見えて虚しくならないのかな、それならその分いろんな本を買ったほうが面白いだろうに、とその頃の私は厨二病真っ只中でしたね。
 SNSも発達し、YouTuberという言葉も生み出された2021年頃なら、書き手の私でさえ「自称アイドル」になれてしまう時代となってしまったのです。アイドルという概念がアイドルからもファンからも瓦解した今、存在そのものが飽和してそこに意義を見出すのが難しくなっているのには共感します。
 

そんな中でも
音楽を武器にしようとしているハロー!プロジェクトが私は大好きです。
なので、高木さんのように歌声という最大の武器を持ち合わせていた人ですら、戦えない事があるという現実に
音楽が1番大事ではなかったんだと感じた事が
すごく悲しかったです。

この文は分けて考える必要があります。
『音楽を武器にしようとしているハロー!プロジェクトが私は大好きです。』
 これはいいでしょう。リズムだったり、ステージング、生歌で披露するためのメンバーさんのプロフェッショナルな部分が重要視されているのはその通りだと思います。
『なので、高木さんのように歌声という最大の武器を持ち合わせていた人ですら、戦えない事があるという現実に』
 2020年2月2日に「Love music」という番組にて行われた「ハロプロの中で一番歌が上手い人は?」というハロプロメンバー全員を対象にしたアンケートで高木さんは1位を取られています。2位の小田さんの得票は(14/58)で、高木さんは(25/58)です。客観的な事実として小田さんに大きく差をつけて評価されていた高木さんの歌でも、アイドルの恋愛というスキャンダルに負けてしまった。『戦えない』というのは歌という武器で作ってきた音楽ということでしょう。
 もし小田さんも自分の最大の武器を歌だと認識されているのだとすれば、『音楽が1番大事ではなかったんだと感じた事がすごく悲しかったです。』の文章に繋がるのもわかります。彼女が1番大事にしてきたものと、おそらく1番評価されてきた「音楽・歌」というものがいとも簡単に失われた瞬間を見た悲しさをそのまま書いたように感じます。
 

じゃあ私達がアイドルとして努力してきた歌やダンス、ダイエットなどは無駄なのでしょうか?
「アイドル」は音楽という娯楽の中にちゃんと属せているのでしょうか?
私が思う事は1つで、
アイドルが個性や音楽で評価される世の中になったら良いなぁと思います。
でもこれは、私が音楽が好きだから思っただけの話です。

 これについては私と考え方がかなり違いました。音楽の知識がない私には「アイドル」という音楽ジャンルが存在するのかもわかっていません。
 小田さんは「アイドル」を音楽の中に属する娯楽だと考えられていますが、私にとってはあくまでもアイドルは職種であり、人を指す言葉で、アイドルありきの歌だと捉えています。
 小田さんの言葉を借りれば、歌やダンス体形管理の努力が見える人物を応援したくなる、その人にしかない個性に惹かれて興味を抱くようになる、だから無駄ではないという答えに私はなりますが、結論が同じでもそこまでの過程で見ている景色がだいぶ違う。音楽や個性だけで見るのだとすれば、私はきっと「歌手」にそれを求めることになります。
 小田さんの理想とは離れた消費をアイドルにしている訳です、ごめんね小田さん。

私がプロとして皆さんから頂いているものは
歌、ダンス、笑顔、キラキラ など
あくまでステージ上のものに対して頂いていると思っていましたが
その中にプライベートの事までもが含まれていたのならば
家でだらだらしている事なども改めないといけないなぁと思います。

 個人的にはおっしゃる通りです、と言いたいところですが、現実問題は人によりけりですよね。
 アイドルはどんなにその距離を近くしたと言えどお仕事としてファンに接していますし、私はプライベートの時間を使ってアイドルを見に行ったり、会いにいきます。私はこの構図を絶対に崩したくありません。どこまで行ってもその置かれた立場は交わらないです。だから小田さんに自分の存在を知られずに見守ることが理想になります。私は愚かな人間なので好きな人から名前を呼ばれたり優しくされたら、距離が近くなったと勘違いしてしまう可能性が一点の曇りなく否定しきれないから。物理的にも精神的にも距離をとっていたい。
 ステージ上でのパフォーマンスや、モーニング娘。さんとしての活動を通して見られるものだけを純粋に楽しみたいし、それに金銭を落とすことで「人の人生を娯楽として消費する」という正当さを保つ免罪符にしているのだと思います。
 しかしながら私は小田さんが保護猫活動をされているということを知って、もっと彼女のことが好きになりました(こちらは記事やエッセイ本になったので半分お仕事に寄っているかもしれませんが)。ですがこれはほとんど小田さんのプライベートにあたる情報ですよね。ご自宅でどんな生き物と暮らそうが、パフォーマンスには関係ないですし、動物に優しかろうが、冷たかろうが関係ない。
 なんでしょうが、好きな人が優しかったら嬉しくなりますし、自分との共通点を見出すと親近感を覚えるし、大事な人がわかってくれたら特別さを感じてしまうのが人間という生き物。人から好きになってもらい応援されるという商売な以上、切り離せない側面なのではないのでしょうか。
 だからこそ、プロアイドルとして見られたいのならプライベートの情報を出さないように徹底する、以上の案を私の至らない頭では出すことができません。良い面も、そうではない面もお見せいただけなければ知りようがないので。私は今後ともプライベートを詮索しないように心がけていきたいものです。

アイドルがこういう立場になったのは
「アイドル」と「歌手」を区別させるためのものなのかなと思います。
じゃあ、アイドルはなんなんだろうって
自分がモーニング娘。でいるために、ステージに立つためにやってきた事が無駄じゃないと思いたいです。

 小田さんは「アイドル」と「歌手」の区別を明言しませんでした。
 全体的に文の着地点が迷子になっているように思えるのは、アイドルを歌手のように評価されたいとここまで主張してきた小田さんが、じゃあアイドルであることの意義は?の結論を出さないまま文章を終えたからです。そこに1番あなたのお考えが聞きたかったんだ、これからあなたをどう見たら良いのか道を示してくれ!と思っている読み手には突き放された感があります。
 なので自分なりの答えを見出すほかなくなりました。これについては後述します。

ただ私は、
「アイドル」という肩書をお仕事以外のために使っている方はあまり好意的には思わないです。

 実はこの文が1番どう受け止めていいか難しい。
 ここだけ全く別の話題を投じてきたからです。
 この書き方だとどうやら「アイドル」という肩書きは、お仕事以外のところでも価値ができているようです。それは誰にとって、具体的に何であるのかは謎のまま。
 プライベートで行ったお店のサービスがよくなるとか、一般人の私には知りようのない特殊なコミュニティーに参加でき恩恵が受けられるようになる、なんてことがあるのかもしれませんが全て邪推にしかなりません。『お仕事』の範囲も不明瞭です。
 ただ小田さんはアイドルという肩書きをお仕事以外には使われていないようだ、ということしかわからないのです。
 最後にわざわざ言及したということは、小田さんにとって「アイドル」という肩書きの使われ方にも、現状に疑問があったからこう述べたのでしょうね。これまではアイドルの消費者に向けての言葉でしたが、これに関してはアイドルに関わる職についている内部に向けての矢印なので「読む人が読めばわかる」として処理することとします。
 

私が現役のうちに変わるかはわかりませんが、より「アイドル」が自立できる日が来るのを願っています。
アイドル自身の幸せとファンの方の幸せが比例していったら、そんなに素敵な事は無いと思います!
私はこの発言に恥じぬよう、これからも音楽と向き合っていきたいです。

 文脈だけ読めば小田さんが言う「アイドルが自立すること」はパフォーマンスや個性で評価されることです。
 そして私がアイドルに1番求めているものはそこにありません。つらい。
 推しの理想と、私の理想。それが重なればどんなに良かったことかと思いますし、自分もその価値観を持っていると言いたいところだけれども、初めに話した通り私も気持ちを偽らないと決めたので。
 この後の文はお互いにとっての幸せを少しでも近づけるための作業です。

 

ここからはさらに個人的な感情

 まずはじめにしたいことは私の「アイドル」と「歌手」の違いのスタンスを明らかにすることです。
 私は「歌手」やその音楽を小田さんの言った通り個性やパフォーマンスで評価しているように思います。声質だったり、歌詞やメロディーがいいなと思うことはありますが、それを歌っているグループの名前は知っていても、ボーカルの年齢は?好きな食べ物は?幼少期のあだ名は?とか聞かれても答えられません。興味を持つ必要性を感じなかったから。
 対して「アイドル」には歌手に求めなかった人間性を私は最も重要視しています。
 どう自分を見せて、魅せたいのか。物事の考え方、向き合い方、努力の仕方。性格、言葉遣い、立ち姿。成長する様子を応援できること。他ではない「あなた」がどうアイドルとして生きているのかに興味がある。そんな生き様に惹かれ、見守っています。
 
 今回の論点とされた「アイドルの恋愛」も個人的にはアイドルも人間だから恋愛感情を誰かに抱くことだってあるだろうし、自由であるべきではないかと考えています。
 私にとってはアイドルが恋愛すること自体が問題なのではなくて、所属事務所との契約で「恋愛禁止」に準ずる項目があったとしたら(ハロプロさんが恋愛禁止にしてるかは定かでないですが)約束事を守れない人なんだなとその人への評価が下がるし、アイドルグループに所属する一員であるなら他のメンバーが築き上げたアイドル像に影響を及ぼすことが考えられていない行動に幻滅してしまう、その人の生き方や人間性に良さを感じられなくなるから応援できなくなる。
 アイドルと付き合えると思ってんの?とか処女性を求めるなんて時代に反している!という声が挙がるなら全くの見当違いで、「避けられるリスクへの対処を怠る軽率な行いで人の努力の邪魔をする」という行為が好きになれないだけの話なんです。
 結局恋愛するなって言いたいだけなんじゃ?というのにもNOを示しておきましょう。先に話した通りアイドルのお仕事、ファンのプライベート。この図を保っていたいだけだから、見えないように隠してくれればそれで丸く収まります。

 真面目に頑張っている人を好きになり、人の努力を尊重できる人物を応援したくなるという趣味嗜好を私は持っている。それが正当だとも思わないし、ただ一つの価値観でしかない。人の数だけ好みがあるし、1番に求めるものも違うだけ。
 
 個人で活動してれば「まあ自己責任だね」で済むからさほど問題だと思いません。それで既存のファンが離れていっても、またそこに賛同するファン層が増えても、そこにどう対応して自分らしさを表現していく人間は1人しかいないから。
 ですがグループとして活動しているなら予測し回避できるようなことを、誰かの頑張りを台無しにしてしまえるような人に私は魅力を抱けない。メンバーが大切、グループ愛を語っていたなら「まずはそこからだろ!」のツッコミも入ります。
 その人はその人、他の人は関係ないのはごもっとも。私もそう見るようにしている。
 だけど〇〇に所属する□□がこんなことをした、世間はそんな誘導をされて話が大きくなっていくから。良くも悪くもね。仕事で周囲を取り巻く環境が一緒な以上「この子がしてたらあの子もしてるかも」の思考にはなりがちです。そのアイドルのキャラクター、個性としてファンの間から「まああの子だからしょうがないよね〜」と認められている人物だとしても、それを知らない一般人には〇〇ってところのアイドルはこんなことするんだってと語られる。
 ファンじゃない無関係な所が騒いでても購買層じゃないからノーダメだしという考えは、ファンの中では容認されていても知らないところから見て非常識な行いならば、そのまま世間のイメージとなって活動の幅に制限が生まれるなどの影響を受けて、結果身動きが取りにくくなりマイナスにしかなりません。
 ずっとその狭いコミュニティの中で活動していくなら話は変わっていきますが、それでも新規参入者が増えにくい形態をしているのならば、何かしらの変化がないと時代と共に廃れていく一方です。
 メンバーの加入と卒業を繰り返してグループを存続させているというシステム上、所属しているその看板は共有財産なことを認識できないなら、個人でやっていく方が誰も何も傷付かなくて済む。
 アイドル個人に興味がない層はそのまま誰がやったとか関係なしにグループのイメージになることの方が多いように感じます。
 現に私もこうなる前のモーニング娘。さんのイメージは「オリンピックくらいの間隔でニュースに不祥事が出てる気がする。今もアイドルされてるのかな?」でしたし。
 
 今回は恋愛感情における周囲への影響が問題となりましたけど、私にはこれがどんな感情でも一緒です。
 楽しく盛り上がれるのはいいこと。だけどそれが公共の場で大声で騒いでいるのならば、周囲のことを考えられない人だなと思う。
 年齢や経験の長さだけ持ち出して理不尽に怒ったり、下に見る人には、残念だなと思う。
 返事や「ありがとう」「ごめんね」が言えない人はさみしい人間だと思う。

 アイドルが、ひいては人間がどんな考えを持っていてもいい、なにをしても(法を犯さない限りは)いい。ただ、自分の他にも人がいて共存していることを考えた判断ができる知性と理性を備えて欲しいだけ。
 実際は違っても受容しやすい像を、表では保って欲しいと私は望んでしまいます。これも小田さんが恐れた公私のイメージ離れに繋がることを、求めることになっちゃうのかな。こわいな。

 本音を言えばそうですけど、実際はアイドルだって1人の人間ですから、私はそっち(アイドルのプライベート)に行ったりしないから、アイドルもこっち(ファンの現実世界)の見えるところに姿を現さないでね、なんて身勝手な押しつけは出来るはずもありません。そんなの強いたらマジ人権問題。
 アイドルとしての人生と、アイドルの本来の自分の人生がどちらも同じく存在しているからこそ生まれてしまう歪み。
 前者を消費してきた人間が、後者の現実に目を向けたとき、それは恋愛に限らず他人の人生を犠牲にして娯楽としてしまったのではないかという自己嫌悪で、きっとファンのままで私はいられない。例えば「本当は大学に進学したかったけどアイドルのために諦めざるを得なかった」と言われたらごめんねしか言えなくなるし、「子供が大好きだからいつか結婚してお母さんになりたい」と話していたら、結婚をリアルに感じるまで歳を重ねてなおもアイドルで居続けて欲しいと望むことは私のエゴで推しの幸せに繋がらないよなと、自責の念に苛まれると思うから。
 意図しないところで推しの幸せを奪っていたとしたら辛すぎる。だからアイドルという存在に夢を見て、もう一方の人格から目を背けようとしてしまっていたなと自分を省みました。

 ファンの私は、アイドルに、どこまで夢をみていいのでしょうか。

 小田さんが言うように個性と音楽でアイドルを見ることができたら、こんな思考に至らずに済んでどんなに良かったことでしょう。

 ですが今アイドルは様々な要素からその人を見られているのが現状です。じゃなかったら写真集とか出したりしないしな。
 単に歌やダンスの実力だけがあれば支持されるわけでもなく、人としての成長や進化を感じさせて応援したくなる存在でいることが、アイドルとして魅力に繋がっているのではないかと個人的に感じています。
 それを最も容易に満たせるのが「若さ」だから、ことアイドルに関しては取り沙汰されやすいのでしょうかね。幼いと歳を取るだけで背が伸びたり、顔が大人びていったりと見た目で変化が出ますから。しかしそれもいつまでも続くわけではなく、甘んじて自分を磨くことを怠ってしまえばいつしか今度は「老い」にどこかで変わってしまう瞬間がきてしまいます。 
 だからこそ、どんな人にでも与えられた時間からそこに差をつけるのが、歌やダンスそのほか自分を表現するためのスキルだと思っています。身に付けるために相応の努力を求められる過程を、いかに魅力的に人の目に映せるか。もしくはパフォーマンスから感じさせるか。
 私は自分には出来ないそれを出来る人に憧れて、小田さくらというアイドルからその努力を強く感じたから推しになりました。
 それに気がつくことができたのは皮肉なことに今のアイドルとしての売り方があったからです。私はCDの販促イベントの会場で小田さんと出会い、アイドルという存在を間近で見る体験によって、不自由さを与えているのかもしれない音楽以外の部分も知ることができたから興味を抱くことになりました。
 小田さんが望む個性や音楽でアイドルが評価されるようになるには、そんなパフォーマンス以外の時間を売り物にしないようにするが最も近づく方法なのかなと思います。そもそも音楽以外を売り物にしない、個性はその音楽を消費者が選ぶときの判断基準の指標になるだけ。
 アイドルとして生きる人間の生き様を消費する娯楽から、かつてのミステリアスな存在にアイドルを戻してやる。
 しかし現実問題、売り物にしていた時間や、それを買う権利をファンが失ったとき、アイドルという存在がどのくらい求められるのか想像できません。現代はたくさんのエンタメに溢れかえっていて、その中で「あなたでなくてはならない理由」を見出させるのは簡単なことではありませんから。ビジネスとして成り立たせる必要もある。
 翌日のブログで小田さんは自身の考えを皆さんに葛藤の途中を見せてしまったと書きました。どうにかしたい気持ちはあるけど、どうしていいかの答えは出ない。今の私もそうです。

 ここまで考えのまとまらない文章を書き連ねたけど、結局私にできることは見守って応援すること以外にないのです。だからブログに残してくださった『これからも頑張りますので、近くで見守って頂けるととても心強くて、幸せです。』の言葉に救われました。ありがとう。


 私は小田さくらさんが好きです。

 私はもうアイドルを通り越して小田さくらという人間を好きになったから、期待に立って強くあろうとするひたむきさ、その影に見える人間味、決して器用とは言えない生き方、その全てが愛おしくてたまりません。
 小田さんが危惧したアイドルの存在がどう変化しようとも、私にとっての小田さくらさんが大切な存在であることは揺らがないです。
 彼女が望んだようにアイドルのきらめきが守られて、そこに大好きな音楽が関わる空間が大事にされていて欲しい。
 好きな歌を歌い、のびのび踊り、お仕事を楽しくでき、美味しいものをお腹いっぱい食べ、猫たちとたわむれる。小田さんの心のままに日々を過ごして欲しいな。小田さんが幸せだと、私も幸せだなぁって思えます。ぴったり重なり合わないかもしれないこの気持ちだって、ほんの一部でもいい、比例していけたらいいな。

 私はきっとそんな夢を小田さくらさんに見ているのだと思います。


 こうしてなんとかようやく書ききった最後の一文まで晴れることのなかった胸の内側のもやもやした感情や、上手く言葉にしきれないもどかしさを、今ヘッドホンから聞こえるモーニング娘。さんの音楽が吹き飛ばしてくれている気がします。
 こんなとき、音楽があってよかったと思うのです。
 
 

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