「人に夢を与える」その胡散臭さ

ビヨンセのスーパーボウルの映像は元気出る。
やっぱりアメリカンドリームを達成した人の放つ陽のオーラは不幸を寄せ付けない。

海外の桁違いのセレブのド派手生活を見るのも同様に好き。
桁違いのセレブのリッチパワーは我々とは比較の対象にもならないので、嫉妬も絶望も湧かない。
ただただおもしれーッて感じ。

人に夢を与える。
それは、難しい。

どんなシンデレラストーリーを描けばいいか、塩梅が難しい。
かつて指原莉乃さんが「私でも一位になれるんだってみんなに伝えたい」と言っていたが、あまり心が動かなかった。
指原莉乃さんのポテンシャルや「努力をできる能力」や立ち回りや運は、一般的な人より優れている気がするからだ。
勝っちゃうと、違う。
勝っちゃったら勝っちゃった側になっちゃうんだ。そこには夢はないんだ。難しい。

ポジティブな人は成金や成功者や金持ちを見て、いつかは自分もあんな風になれる!と考えるんだろうか。
私はそこにある格差や運の有無(運命の残酷さ)に恐怖するばかりだ。

逆にビヨンセくらいの10億回生まれ変わっても無理というレベルだと安心する。

頑張っている人や輝いてる人を見てもあまり元気が出ない。自分の努力不足を責められている気持ちになるばかりだ。だから頑張ろう、とは思うこともある。

高額な買い物をしたYouTuberを見て人生に闘志を燃やしたこともない。
かといって逆に、ザ・ノンフィクションなどの限界な人の人生を見ても明日の自分って感じがして気が重くなる。

私に夢を与えるものは等身大の手が届きそうな現実しかない。
人に夢を与える、その胡散臭さ。

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