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私が『クトゥルフ神話TRPG』を辞めた理由

クトゥルフ神話TRPG歴10年弱。シナリオ自作や有償頒布を経て、今は熱が冷め、「機会があればやりたいな。」くらいの気持ちに落ち着いた、私のこれまでを振り返る備忘録。


『クトゥルフ神話TRPG』とは

そもそも『クトゥルフ神話』とは

『クトゥルフ神話』は、今からおよそ100年前に、ラブクラフトという小説家が書いた、ホラー小説の設定である。簡単に言えば、「広い宇宙には物凄い怪物が沢山いて、人間がそれを知ったら恐怖で狂っちゃう。人によっては神様として崇めちゃう。」というもの。その世界観を共有した何人かの小説家たちが、次々と「僕の考えた最強の怪物」を生み出した。その内の一つが『クトゥルフ』という怪物で、その怪物たちをまとめて一種の神話体系のようにしたものが『クトゥルフ神話』である。そして、その世界観を探索する「探索者」となって遊ぼうというのが、『クトゥルフ神話TRPG』だ。

『クトゥルフ神話TRPG』とは

『TRPG』は、『テーブルトークロールプレイングゲーム』の略。仲間でテーブルを囲んで、その内の一人がゲームの舞台を事前に用意しておく。他の仲間たちは、その舞台で活躍するキャラクターを作って、そこで起こる事件や謎の解決を目指す。
『TRPG』には、様々な種類がある。ファンタジー世界を旅する『ダンジョンズ&ドラゴンズ』、各プレイヤーが秘密をかかえる『インセイン』、超能力者になって戦う『ダブルクロス』、忍者になって戦う『シノビガミ』など。
それらの中でも近年人気をグンと伸ばしたのが、『クトゥルフ神話TRPG』である。
『クトゥルフ神話TRPG』の大きな特徴と言えば、それは「自由度」ではないだろうか。人間相手であれば、戦っても良いし、逃げても良い。交渉しても良い。相手を威圧していう事を聞かせても良いし、口八丁手八丁で言いくるめても良い。まあ、最終的に最も恐ろしい化け物と対峙したときには、目を閉じ耳を塞いで逃げるのが最善手となる訳だが。

プレイヤーからライターへ

クトゥルフ神話TRPGとの出会い

ここからは私の主観の話になる。
クトゥルフ神話TRPG自体は歴史の長いもので、1980年代初頭にはその原型が出来ていたらしい。私は生まれていないので、当時の様子は知る由もない。私自身は生まれてから成人するまで全く関わりがなく、「何となく名前は知っている」という状態だった。
私とクトゥルフとの出会いは今から10年ほど前になるだろうか。恐らくその頃にクトゥルフ神話TRPGに出会った人は多かったと思う。きっかけは、ニコニコ動画やyoutubeにアップされたプレイ動画だった。私の認識では、コウノスケさんの『ちょっと嚙み合わない初心者たちのクトゥルフ』という動画シリーズが、その走りだった。それまでのプレイ動画は、録画環境にあまりこだわりの無い、ただのプレイ風景の垂れ流しのようなものが多かった。が、件の動画シリーズでは、カラーのイラストが動き、字幕が付き、切り貼りされて見やすく編集されていた。それを見た多くの視聴者が「私もやってみたい!」と思ったことだろう。私もその一人だった。
しかし、ここで苦労するのが仲間集めである。オンラインセッションと呼ばれる、テキストチャットやボイスチャットで遊ぶ方法もあるが、一昔前のガチガチのネットリテラシー信者の私に、「見ず知らずの人とネットで仲良くチャット」という選択肢は無かった。私は気が合いそうな職場の同僚二人に声を掛け、彼らと一緒に遊ぶことにした。
……恐らく、オンラインを排除したこの選択自体が、後に起こるクトゥルフ神話TRPGとの破局の原因の一端になっていたと思う。

シナリオ作者に、俺はなる!

何はともあれ、友人たちと楽しむクトゥルフ神話TRPGは楽しかった。仕事終わりにカラオケに籠り、ダイスを持ち寄って朝方まで遊んだこともあった。
遊ぶためには舞台、つまりシナリオが必要になる。私が好んだシナリオは、もっぱら前述のコウノスケさん制作のものだった。話が短くまとまっており、ホラー要素があり、起承転結がある。彼は現在漫画家として活躍しているそうで、話の構成能力の高さはそういったところで培われたものなのだろう。
しかし、そんな楽しい時期は長く続かないもので、彼は、まあなんやかんやあって、クトゥルフ神話TRPGをスパッと引退してしまう。悲しいことだが、なんやかんやあったので仕方がない。当然シナリオの供給もストップし、私は右往左往するしかなった。ネットで似たような傾向のシナリオを探したが、中々見当たらない。
そこで私はふと思った。本来TRPGでは、シナリオを用意する人がシナリオを考えるものなのだ。私は物語など書いたことが無かったが、これを機にシナリオを書いてみようじゃないか、と。結局のところ、自分の性癖に最高に刺さる物語は、自分で用意するしかないのだ。
初めのうちは酷いものだった。私が最初に書いたシナリオは、どこかで見た二つのシナリオを雑にくっ付けたパクリだった。案の定くっつけた部分で支離滅裂になり空中分解した。二つ目に書いたシナリオは、ロボットが自我を持ってプレイヤーに怪物のことを警告してくるというシナリオだった。パクリを反省して一から自分で考えたため、何となく物語になったが、短すぎて駄目だった。三つ目に書いたのは、電波的な物語で有名になった昔のPCゲームのパクリ(反省してない)だった。だが、これは元ネタが好きだったこともあり、「あの作品の名を汚すものか」という気持ちが入り、細部にもこだわった良いシナリオになった。
ここで私は思った。「とても良いゲーム体験だったから、是非自作シナリオを他の人にも楽しんでほしい」と。ただし、他の人に遊んでもらうなら、このパクリは作品は駄目だ、完全オリジナルで勝負しなければならない、とも感じた。

思い出の自作シナリオ(の宣伝)

オリジナル作品を作ろうと決意してからは早いものだった。自分の性癖に刺さる設定、インスピレーションを得た作品、自分がやりたいシチュエーション。とりあえず自分が「面白い!」と思えるシナリオを作成し、仲間とプレイし、盛り上がれば本に収録することにした。
盛り上がれば、と書いたが、盛り上がらなかった作品は無いので、基本的には作ったシナリオは全部収録した。私は天才だと思った。その天狗の鼻はすぐにへし折られるので、その顛末はこの後の展開を楽しみにしてほしい。
とりあえず、これまでの自作シナリオで思い入れの強い3つの作品を以下に紹介(宣伝)したい。

Who killed the cat?

私が最初に世に出すために書いたシナリオ。高校生の探索者たちが、猫耳の生えた同級生の女の子の相談を受けるという冒頭から始まる、ハートフルなラブコメディの皮を被ったホラーである。
この設定を思いついたとき、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。シナリオの破綻もなく、最後はキチンとオチもついていて、ホラーとしてもアリ。私は今でも、これが私の最高傑作だと思っている。

未来からの脱出

私が二番目に書いたシナリオ。当時ハマっていたペルソナ5の処刑用BGMの影響を受け、「敵と戦うシーンでこれを流したい!」という思いだけで作ったもの。処刑用BGMが歌詞あり・なしで2パターンあったので、それを活かしたシナリオを書けないか、と思案してループものになった。これも中々に面白いシナリオだと自負している。

我ガ名ハ暗黒

私が三番目に書いたシナリオ。何か特殊なギミックで、究極の2択を演出したい!という気持ちで書いたもの。小説の設定を取り入れた、原作ファンにも嬉しい仕様。最終局面のどんでん返し、怒涛の追い込みからの2択。そしてマルチエンディングと、やりたいものを全て詰め込んだ作品。今からでも、記憶を消してもう一度遊びたい。

迷走

本当にこれは楽しいシナリオなのか?

上記の3作品は、私が初めて製本・頒布したシナリオ集に掲載したものだった。当時の私は、その後ワクワクしてTwitterでエゴサーチしまくった。遊んでくれた方が呟いてくれるのが嬉しくて、「よし、また新しいものを作らねば」という気持ちが湧いてきた。
が、一方、私の心には蟠りもあった。「どうしてこんなに面白いシナリオが三つも入っているのに、もっと話題にならないんだ?」というものだ。酷い自意識過剰である。もう一方で、私はその頃から心のどこかで感じるものがあった。それは「世間の感覚とズレているのでは?」ということだ。

私は、オンラインセッションを一切行わないことで、クトゥルフ神話TRPGを楽しむ層が求めるシナリオが何かを理解できていなかった、と今は分析している。

私がシナリオでこだわっていた点は「ゲームとしての完成度」「クトゥルフ神話的な面白さ」「ゾクっとできるホラー要素」だった。
クトゥルフ神話TRPGは自由度の高さ故、キャラクターたちがどう行動するかがわからない。重要なヒントを取り逃してボスに挑んだり、物語上望ましくない選択をしたりするかもしれない。私はなるべく取りこぼしなくそれらの分岐を拾い、エンディングを複数用意し、ゲームとしての完成度を高めた。クトゥルフ神話の原作小説や資料を読み込み、怪物たちの意図や行動原理から無理のない設定を考えクトゥルフ神話的な面白さをシナリオに反映させた。コメディーのような導入の作品も、必ず途中でガラッと雰囲気を変え、ゾクっとするホラー展開を用意した。

一方、多くのプレイヤーが求めるシナリオの傾向は、これは私の偏見かもしれないが、主に「エモい」であったのだ。
例えば、「ロストシナリオ」と呼ばれるものがある。簡単に言えば、探索者たちはそのシナリオ中で死亡することが確定しており、その最期を華々しく飾るためにプレイヤーがロールプレイをする、というものだ。自分のキャラクターが、ラストシーンで決め台詞を吐き敵に突っ込んで死ぬ、可愛い女の子を助けるために犠牲になって死ぬ、村を危機から救うために洞窟で化け物と心中して死ぬ。自分のキャラクターが死んだ瞬間、「エモい!」と叫んでみんなで喜ぶのだ。はい、偏見。
実際には賛否両論あるようだが、この「ロストシナリオ」は、クトゥルフ神話TRPGの中で一定の地位を築いている。私はどうにもその設定が受け入れられない。舞台はホラー小説であり、ホラー小説の登場人物たちは生き残るために、ときに醜く足掻くのだ。生き残ればグッドエンド、死ねばバッドエンドだと感じてしまう。これは世の中への文句ではなく、私の感覚がズレているのだと実感する部分である。

シナリオ集2冊目から悩み始める

当時の私は、「あまり話題にならないのは、まだ私が駆け出しだからだ。」と自分に言い聞かせた。「たくさんシナリオを作って存在感が出ればもっと遊んでもらえる!」と。今思えば、前述した世間とのズレから目を背けていたのだ。
それからもシナリオ集を出し続けた。二冊目は、「自分なりのエモさ」を表現したものと、比較的受け入れられやすい「謎解き」のシナリオを収録。三冊目は「遊びやすさ」をテーマに短編を三つ。四冊目は逆に「重さ」を求めて前後編の長編を。
……この頃から、徐々に目的が「楽しいゲームを作ること」ではなく「ゲームを作り続けること」になっていたように思う。シナリオ自体は、今読み返しても悪くないと思う一方、どうしても一冊目に収録した三つのシナリオを超えられていないと感じてしまっていた。

もう一つの違和感

私が違和感を覚えたものたもう一つ。『放課後秘密倶楽部』という三冊目のシナリオ集に収録した作品である。

この随筆のような雑多な記事をこんなところまで読んでくれている方がいるとすれば、あなたは私のシナリオを遊んでくれた方だろうか。だとすれば、この『放課後秘密倶楽部』をご存知かもしれない。何を隠そう、数ある私のシナリオの中で群を抜いてBOOTHでの売り上げが伸びている作品なのだ。えへん。
なぜ売れたか、というと、これは個人的な考えだが、「アピールが上手くいった」という点が大きいと思う。キャッチ―なタイトルと目を引く表紙絵、高校が舞台のシナリオという入りやすさ、みんな大好き謎解き要素……。一時期エゴサーチでよく引っかかったので、「この機を逃すものか」と、宣伝動画まで作って一時期ココフォリアで流していた。
『放課後秘密倶楽部』は、確かに面白いシナリオだ。最期の推理シーンの成否によってエンディングが複数に分岐する仕掛けは素晴らしい。……だが、多くの人の手に取っていただけたのは、「アピールの成功」でしかない、とも感じた。はっきり言って、私はこのアピールというのが苦手だ。今回はたまたま運よく事が運んだが、だからといって同じように時間を割いて、他の作品もアピールをしようという気にはならなかった。
「面白いものが売れる」などというのは理想論だ。が、アピールの成否で作品の成否が決まる、アピールに力を入れなければならない、というのは、個人サークルでちまちま作業する身としては荷が重すぎた。趣味の延長でそこまでやらなければいけないのか?そこまでやらないと人に遊んでもらえないのか?という違和感が、徐々に私の意欲を削いでいった。

別れのとき

ゲームマーケットとの別れ

それまでは、認知度を向上させるためにとゲームマーケットに毎回サークル参加していた。が、気力が追いつかなくなり、BOOTHのみ販売に移行した。今は(というか当時も)オンラインセッションが主流であるため、紙で頒布する意義はあまりないかもとも感じていた。
少々下世話な話になるが、ゲームマーケットへの出展は、お財布の中身にも優しくないのだ。出展が約2万円。200部刷って製本代が約10万円。交通費が往復1万円弱。前泊すると宿泊費と外食費で約2万。ブースを飾るポスター、のぼり、その他諸々で、合計20万弱だ。私は一冊1000円という価格設定で頒布していたので、全て頒布しきっても手元に残るのはサラリーマンの月の小遣い程度なのだ。

BOOTHも思うように伸びず

その後、BOOTHのみで販売した作品が3つほどあるのだが、はっきり言ってこちらの売れ行きがものすごく悪い。特に『魂の在処』という作品は、恐らく販売から2年ほど経っているのだが、販売数1点である。もはや笑えてくる。どんでん返しもあり、短編シナリオとしての出来はそこまで悪くないと感じていただけに、笑いは非常に乾いたものだったが。

ゲームマーケットに出展しなくなったことにより知名度が地に落ちたのか、このイメージビジュアルから面白さを感じてもらえないのか。売れなかった理由は両方かもしれない。
製本に比べて元手がかかっていない分、財布へのダメージは0なのだが、これが私の心にクリティカルなダメージを負わせたと思う。誰も手に取らないものを作って公開する意味は無い。今後の活動を続けるか否か、という選択肢が頭をよぎったのはこの時期だった。

決別

時期を同じくして「テーブルトークRPGに関する二次創作活動のガイドライン」というものが発表された。簡単に言えば、それまで無法地帯だったTRPG二次創作のルールが決められたのだ。先に断っておくが、このルール自体は創作活動を制限することが目的ではなく、ルールに則って楽しく遊べるようにするためのもので、批判する意図はない。
大まかに「二次創作と明記せよ」「引用の範囲を超えて転載するべからず」というのがその内容だったのだが、これが私にとって、クトゥルフ神話TRPGとの別れの決定打だった。
実のところ、未発表の作品が4つほど残されている。いつかBOOTHで販売したいと考えてはいたものの、それが何か違反する内容になっていないかと、注意を払ってアレコレしようという気力がもはや無いことに気付いたのだ。

クトゥルフ神話TPRGよ、ありがとう。

こうして私は、シナリオの自作を辞めた。クトゥルフ神話TRPGは今でも好きだ。が、前のような情熱を持てていない。その渦中に居たときは、「この趣味を一生続けていこう」と考えたこともあったが、区切りをつけようとすると、案外簡単なものだった。
いつかまた、何かのきっかけで再燃することがあるかもしれない。もしまたシナリオを書く機会があれば、一冊目のときのような「自分の性癖に刺さる」だけを追求したものをまた生み出したいなと思う。流行に乗ったり、沢山アピールしたりして多くの人に遊んでもらったりするのも良いが、私にはそういう器用な真似ができないのだ、ということを学ばせてもらった。

クトゥルフ神話TRPGよ、ありがとう。機会があれば、またどこかで。

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