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『マッドマックス:フュリオサ』ネタバレあり

ずっと、フュリオサのことを考えてしまっています。

公開初日の初回で観て、まだ2回目は行けてないのですが、続けて家で『怒りのデスロード』を見返して、ずっとフュリオサの人生と心情に思いを馳せています。

そして、思い出すたびに少し辛くなるというか、じわっと泣けてくる感じがあって、心の整理もうまくつかない。
この心の整理がつかない状況、映画体験としてはとても豊かな体験であることには違いないので、こちらに置いておこうかなと思いました。

ネタバレありで書きますので、見たくない方は映画を観てからどうぞ。






『マッドマックス:フュリオサ』は、情報を聞いた時から、近年一番楽しみにしている映画でした。前作『マッドマックス怒りのデスロード』を劇場で観て、映画館通いが始まりましたから。

初日初回に行って、前作とはまた違う、重く腹にズシンとくる余韻がありました。
前作のように、ガツンと殴られたような、「面白かった!」とハイテンションで話すようなものではなく、良いとか悪いとかそういうことが言えないぐらい、腹にずしっと食らった、打ちのめされた、そんな気分です。とにかく、重い。

怒りのデスロードは何度も映画館で観たし、何度も円盤で見返していますが、以前から若干不思議に感じていたのが、フュリオサが始終、少し疲れた顔というか、目線はここを見ていないというか、虚無かもしれないような顔をしていたことです。

映画内で、決死の覚悟で逃げるという描写は、心の高まりがあったり感情的に何かしらのエキサイティングさがあると思いますが、デスロードのフュリオサはどこか諦観のある顔つきで、日常の延長という雰囲気すらあって、全くエキサイティングなテンションには見えません。
今まで観た映画で逃げるキャラクターとは違っていたので、少し違和感を持って受け止めていたのです。

それが、今作『マッドマックス:フュリオサ』を観て、納得しました。
今作のフュリオサは、ほとんど喋らないけれど、ずっと滅茶苦茶怒っている。
映画館を出て、最初の感想として口に出た言葉は「フュリオサ、めっちゃ怒ってた」でした。表面上のアクションでそこまで見せないですが、子供時代も、泣くのでも怖がるのでもなく、ずっと怒っていた。

ディメンタスへの長年の怒りの果てに復讐を成し遂げたことで、個人的な一番の怒りには区切りがついた。けれど、これまで自分が経験した、男性社会で収奪され売られていくようなこと、それ自体は何も変わっていません。
怒りは個人的な直接の怒りではなく、社会への怒り、収奪される者全体としての怒りに変わったのだな、と、このフュリオサを見て大変納得しました。

もう表面的にエネルギーを発して怒るというフェーズではない、それをすでにシャーリーズ・セロンが理解した上で体現していたのだと思うと、シャーリーズ・セロンの凄さにも寒気がします。

勿論、帰ってから『怒りのデスロード』を観ました。
そうすると、映画館で観るよりもフュリオサへ心を寄り添ってしまい、あの表情の歴史を想像し、涙が出てくる時間がとんでもなく増えました。
フュリオサ以外にも、We are not thingsの場面、スプレンディドを失ったところ、鉄馬の女たち一人一人の言動、ワイブズの意志、最後に水を開放する乳搾りだけの女性たち、一つ一つに大きな意味が加わり、出てくる女性一人一人に泣きました。どの女も最高に素晴らしく「人間」であったのです。

『怒りのデスロード』はとんでもない名作ですが、『フュリオサ』はそれを補強し、2作合わせて素晴らしい「社会に収奪された女のリベンジ物語」だったと思います。
また、ジョージ・ミラー監督も、ヒャッハー的に男性に野蛮で楽しいものという消費ばかりさせないよう、意識的、抑制的に映画を作っていたのでは、と思います。怒りのデスロードの時の受け止められ方の一部は、不本意と思っていたのではと。
今回の敵役ディメンタスの振る舞いの変遷が本当に哀れで、男性社会でのイキリの成れの果てを見事に描いていたように思いました。
最初にフュリオサを引き取るところ、母親を殺したのに籠に入れて特別にしているところ、最悪です。俺いいことしてる男と思ってるだろ。それなのにイモータン・ジョーにすぐ渡しちゃう、最低のペラい男じゃないですか。
リクタスが最悪に気持ち悪くて、デスロードの時は可愛いと思ってたのに、本当に本当に最悪です。滅茶苦茶気分悪かったし怖かった。でも、わりと女の人であれに近い体験ある人とか、子供の時に怖い思いしたことある人、結構いると思いますよ。

まだ1回しか観てないのに、書き出したらきりがないぐらい感想があります。
人間としてというより、女性として、とてつもなく食らうものがある映画だったんですよ。
実は、2回目を観に行けていないのは、忙しいのもあるのですが、覚悟して行かないとキツイと感じそうだからです。
何度も何度も奪われてきた女性の物語、その復讐劇もこの映画内では全然すっきり終わらない。『怒りのデスロード』でフュリオサがシタデルの上に上がっていくところまで、カタルシスは得られないのを知っているので、心が元気で次の日に時間的に余裕がある日じゃないと行けないな、と、少し及び腰になっています。

我々はフュリオサになれるのか、もちろんあれは神話ですが、女性の私に突きつけられているようで、なかなかヘヴィな映画体験でした。
って書いて思ったんですが、「ヘヴィな映画体験でした」と書き終わらせることができないんですよ、この社会で生きていく人生は続くから。
「映画を観る前と観た後だと、違う自分になっている」それが素晴らしい映画なのだと、改めて思っています。

ぐわぁ。食らいました。
私にとって、おそらく今年一番の映画になると思います。
一番良かったとは言えない。中で描かれていること、本当最悪だから。


あまりにも個人的に食らいすぎた感想になって、沢山の方に見られる内容でもないので、全文読めますが100円設定にしましたm(_ _)m

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