人は幸せを追い求めると絶望する、という話 -私がフリーランスになった理由-
「どうして自分のブランドを立ち上げたのですか?」
「どうしてフリーランスになったんですか?」
ブランドをやっていく中で、最もよく聞かれる質問です。
私は、” maruo (マルオ) ”という、自分の名を冠した小さなコスチュームジュエリーブランドをやっていて、早いもので立ち上げてから3年程たちました。
フリーランスとしても3年。7月に、4年目に突入します。
当時を振り返りながら、私が自分のブランドを立ち上げようと思った経緯や、その時の感情の変化を書き残してみようと思います。
実は私は、そもそも「ジュエリーデザイナーになりたい」とか「アクセサリーデザイナーになりたい」と思った事は一度もなくて、ただただ、私にしかできないことってなんだろう、ってずっと模索していました。
大げさではなく文字通りの意味として、私は自分が生きていても良い存在意義、みたいなものが欲しかったし、人から必要とされる存在になりたかった。ただ、それだけの思いで、ここまでやってきました。
ブランドを立ち上げた理由や、
会社勤めを辞めてフリーランスになった理由、
自分にしかできないことは何か真剣に考え始めた理由。
そんなことを考えるときに思い出すのは、たったひとつの言葉。
全てのきっかけは、この言葉から始まります。
"夢を達成したら、幸せになれる"
かつての私はずっとずっと、そう信じて走ってきた。
たとえ過程が苦しくても辛くても、夢を達成したら、ちゃんと報われて、ちゃんと幸せになれる。
根拠はないけど、それが一般的事実のように世の中に浸透していたし、みんながそう言っていたから、単純な私は「夢を達成すること=幸せになれる」という方程式を信じて疑わず、とにかく夢を叶えるために頑張り、走り続けてきた。
そして幸運にも、私は24歳のとき、初めての自分の夢を叶えることなる。
私が学生時代からずっと目指していた、「服作りを仕事に就く」という夢。
前回の記事でも少し触れたように、私の初めての成功体験はファッションで、とにかくその世界で生きて行きたかった。
周りにも自分の夢を熱く語っていた私は、その夢が叶った時、たくさんの方から「おめでとう」を言ってもらえた。本当に嬉しかったし「やっぱり夢を叶えるってすごいことなんだ!」って、改めて思った。
でも、その時、私は大きな違和感を感じることになる。
幸せになれない - 1度目の挫折 -
上京し、夢だった仕事に就けて大好きな服作りの仕事がスタートした。
好きなことについて、日々新しい知識が増えていくことは嬉しいし楽しい......はずだった。ワクワクした幸せな感情は、なぜか、ほとんど一瞬にして消え去った。ほんとに、一瞬で。
夢や目標を達成した人の中には、その達成後の虚無感を感じたことがある方もいると思う。
夢が叶えば、満たされる。
夢が叶って幸せになれれば毎日が楽しくなる。
私自身、そんな風に思ってた。
なのに、幸せを感じたのはほんの一瞬で、私は人生で初めて方向性を見失ってしまった。
私にとっての、大きな一つ目の挫折だった。
今までは夢を道標に走ってきた。でも、ゴールを越えた瞬間、これからの道筋を見失ってしまって、今度は何を目指したらいいのかわからなくなって、どうしようもないくらい途方にくれた。
幸せって、ずっと続く”状態”ではなくて、”瞬間”のことを言うのかもしれない、と思ったのもこの時だった。
夢を叶えても幸せになれなかった。
その事実は、当時の私にとって相当なダメージだった。
私にしかできないこと
幸せを感じられない理由はなんだ?って考えた時、
それが”代替可能な仕事”だからだと思った。
物作りは好きだけど、ここに私の思いは全く宿っていない。
これたぶん、私じゃなくてもできる......
「代替不可能な仕事をしたい」と思った。
私にしかできないことってなんだろう。
私に何ができるんだろう。
ひたすら考えた。
就職活動ぶりに、自己分析をとことん突き詰める日々。自分を深く知るのが先だと思った。自分のことを知り、自分のやりたいことは何かを考え、最終的に思いついたのが”自分のブランドを作る”ことだった。
自分の好きを発信するブランド。
このブランドに、自分の名前を冠してしまえば、もう間違いなく私にしかできない。
代替可能な仕事では幸せになれなかった私も、
代替不可能な仕事ができれば、今度こそ幸せになれるんじゃないか、って確信して。
そうして、2015年7月に、フリーランスとなり、ブランドをスタートさせた。
代替不可能な仕事をする
ブランドを始めた時は、「フリーランスで人並みに稼げるようになる。成功する」というのが目標になった。今まで会社に属して生きていた私は、なんとなく出勤してなんとなく仕事をこなせば毎月決まった日にお給料が振り込まれてた。
でも、これからは自分の働きがすべて自分の収入に直結する。全部自分次第。
あてもない状態でスタートしたから、かなり厳しい出発だったけど、それでも、自分の名前で生きていくんだってことに純粋にワクワクしたし、楽しかった。"人生の手綱を自分で握っている"という確かな実感は、「生きるってこういうことか!」とも感じられた。
最初はブライダルのヘッドドレスからスタート。
その後、企業さんからの依頼で、アクセサリーを作ることになる。依頼を受けた時は、アクセサリーなんて作った事もなかったけど、稼ぐために必死だったから、「できます!」って言い切ってアクセサリーを作り始めた。やりはじめるとアクセサリーの方が需要が高くて、自分の好きとつながる仕事になって、すぐに方向転換。ヘッドドレスをやめてアクセサリー一本に。
人に恵まれ、お客様に恵まれ、運も味方してくれて、目標としていた「人並みに稼げるようになる」ことはアクセサリーに方向転換したことで、数ヶ月で達成できた。
仕事で、大好きなヨーロッパに3ヶ月に一度訪れることができる生活。
自分の作るものを求めてくださる方々が、たくさんいらっしゃる状況。
誰が見ても、絶好調に見えるタイミングだった。
でもそこで、私はまた人生の生きる意味を見失う。
代替不可能なことをしたのに、全然幸せになれない
- 2度目の挫折 -
pop upイベントを開催すればオープン前から長蛇の列。
オンライン販売をすれば即完売。アクセス殺到でサーバーが落ちたこともあった。
たくさんの方が求めてくださっている。
こんなに嬉しい事ってないし、目標としていたことも達成したのに、それでもなぜか幸せを感じる事ができなかった。
なんでこの状況で自分が幸せを感じられないのか、自分でも本当に意味がわからなかった。今度こそ、何を目的にしたらいいのか本当にわからなくて、絶望した。
リアルに生きる希望がなくなって、人生って何かわかんなくなって、全然楽しめなくて、死ぬことすら本気で考えた。
当時私は軽い鬱のようになっていて、会った人たちに度々「生きる意味ってなんだと思う?」「死にたいって思った事ある?」って、真剣に聞いてた。
本当にわかんなかった。
なんでみんな、楽しそうに生きていけるんだろうって、不思議で不思議でしょうがなかった。
幸せという目的でなく、今という過程を楽しむ
答えが見えない中で、それでも頑張って作り続けられたのは、maruoを求めるファンの方がいたからだった。
あるイベントである顧客様が、
「maruoが私の人生の楽しみなんです。生きがいなんです。大好きです。」って言ってくださった。
信じられなかった。こんな風に思っていただけること自体、そして、私の生み出したブランドが生きがいだなんて、夢みたいに嬉しかった。
同時に、生きがいを見つけてるって超かっこいい....って思った。純粋に、すごくすごく、羨ましくなった。
その時に、気付いた。
そうか、私も、遠い未来にある夢じゃなくて、今を楽しむ方法を考えてみればいいんだ。
絶望していた私に一筋の光を与えてくださった言葉だった。
生きる意味を感じるために
私はそれまでずっと未来の自分のために仕事してたけど、それだと生きる希望を見失ってしまう。
だから、今を楽しむために、
「誰かの役に立っている」「誰かから必要とされている」
そんな、今、”生きててもいいんだ”って思える状況をつくることが必要だった。
“つながり”を明確に意識できる環境をつくる。
そう思って、
2年以上ずっと一人やっていたブランドだったけど、仲間を作り、それまで以上にお客さんとすごす時間を増やしていった。
自分が一人じゃないってこと、この世界に生きていてもいい、生きなきゃいけない、って思える環境を作るようにした。
仲間ができて、お客さんとの関係値も深まってくるにつれ、私にとって”maruo”というブランドは、自分が必要とされている居場所になっていった。
自分の居場所があること。
それは想像以上に、毎日が楽しくなるシンプルな方法だった。
目的じゃなく、過程を楽しむ
結局、
夢を達成しても、幸せにはなれない。
でも、人は、"自分の居場所"だと思える場所がある状態で、そのコミュニティに属して人との繋がりを強く感じることで、自分の存在意義を明確に感じることができる。
それが、人生の”過程”をも楽しめることにつながるんだ、って自分の体験を通して強く思った。
未来のために我慢するんじゃなくて、今楽しいと感じることをする。自分が心地よいと感じる居場所を作って、自分がいてもいいんだと思える場所をつくる。
そんな、とってもシンプルで単純なことに、ようやく気づく事ができた。
上手に生きるなんてことはまだまだ到底できないし、
幸せのことも、こんなに考えてもまだよくわからない。
でも、少なくとも私は、今の生活と人生が素直に楽しいと思えるし、生きる事に絶望することはなくなった。
私は、自分の作ったブランドを通して苦しんだり悩んだりすることももちろんある。たくさんある。でも、それ以上に生きる希望を見つけたり、maruoを通して様々な人と出会い、成長させてもらえて、自分の居場所を作る事ができ、本当に私は”maruo”がないと生きていけないな、と思う。
いつかmaruoが、私だけでなく、誰かにとっての居場所にもなるようなブランドにできたらいいな。
って、思う。
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