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私は生かされているのではない

この頃は毎日、逃げないぞーちゃんと向き合うぞ〜と決意をしたり、とにかく眠ったりする日々です。

難病の家族を持つというのは、心の奥底に特別でありたい思いがある、と見ることができます。

確かに、何もかもが超絶大変で苦しくてどうしようもない日があり、そんな自分を自分自身で癒そうと必死ですが、周囲の人も特別に思いやってくださいます。大したことはやっておらず、進歩しているわけでもないのに、みんなが優しく見守ってくれます。

難病の家族を持つのは、心の奥底に特別でありたい思いがある…なんていうと傷つく人もいるかもしれません。どうか傷つかないで、ご自分を癒していただけたらと思います。本当に、通常なら驚くべき攻撃的なフレーズかと思います。

私はフラクタル心理カウンセラーなので、自分の命を自分で思考して生み出し、この困った事態も自分で生み出したと考えてみるわけです。その設定でいけば、自分の潜在意識を束ねることによって事態を変えていけることになります。

私のようにその設定で生きる人にとっては、このような分析を受け入れた方がお得なのですが、そういう設定で生きていない人にとっては攻撃のようになってしまいます。同じような境遇の方を傷つけたいわけではないのです。こんな選択肢もあるという表現はしていきますが、これが正解と押しつけたいわけではありません。興味がない方はどうぞ、どうでもいいと思って放っておいてくださいね。

💖みんな違ってみんなどうでもいい💖でゆきましょう(^ ^)

というわけで、私はどうも特別でありたいらしいのです。特別でありたいのは誰でもそうでしょう。でもその欲求を間違った方向で実現しているのです。本来なら、自分が努力して結果を出して、人を感動させるようなそんな特別がいいですよね。私は羽生結弦さんが大好きなんですが、本当に感動をいただいてます。

特別になりたいなら、自分の仕事、目標に向かって淡々と進むことが1番の近道なのになんで!?…感情で考えると全く意味がわからず怒りが湧いてきます。感情の次元で考えていても進めないわけなんです。

感情は一旦捨てて、私の奥深くを理解して、きちんと束ねていくことで事態を変化させていくことを目指すのです。

ではまた明日😊


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