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「ミス・レディ」をさがして

ディズニー映画とピクサー映画の日本語吹き替え版には、これまで数多くの有名芸能人が参加してきた。

ディズニー映画では、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の松崎しげる・尾崎亜美・木の実ナナ、『ヘラクレス』の松岡昌宏・工藤静香、『塔の上のラプンツェル』の中川翔子、『アナと雪の女王』の神田沙也加・松たか子、『ズートピア』の上戸彩

ピクサー映画では、『トイ・ストーリー』の唐沢寿明・所ジョージ、『モンスターズ・インク』の石塚英彦・田中裕二、『Mr.インクレディブル』の三浦友和・黒木瞳、『インサイド・ヘッド』の竹内結子・大竹しのぶ、『2分の1の魔法』の志尊淳・城田優

吹き替えのキャスティングでは厳正なオーディションが行われるため、そのほとんどすべてがハマり役。ディズニーのキャスティング担当者によれば、声もキャラクターをイメージする大切な役割の一つであるからだという。

https://www.cinematoday.jp/news/N0064393

その「キャラクターのイメージ」に合致した結果として、芸能人ではなく、ごく普通の一般女性が、ディズニー映画の日本語吹き替え版に主演したことがあった。彼女の名は、宝田薫さん

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『わんわん物語』ポスター。レディ役に「宝田薫」の文字。トランプは「ノラ公」と呼ばれていた

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宝田薫さん(『わんわん物語』公開当時のパンフレットより。筆者私物)

今から60年以上前の1956年(昭和31年)に『わんわん物語』が日本で劇場公開されたとき、主人公のコッカスパニエルの女の子・レディ役の日本語吹き替えを担当した。現行の吹き替え版及び続編の『わんわん物語Ⅱ』では、キャスティングは一新されているため、公式な手段で彼女の音源を聴くことはできないが、「ディズニー映画の吹き替えに主演した素人」という意味で興味深い存在だ。

宝田さんは当時、立教大学に通う現役大学生。立教大学といえば、同時期に長嶋茂雄も在籍していたことで有名だ。それ以外で判明している彼女のプロフィールを、当時の書籍から箇条書きで紹介しよう。

・戌年の8月10日生まれ(1934年8月10日)生まれの22歳(当時)
・実家は東京・日本橋の紙工業で、物分かりの良い父親に育てられる
・スポーツは何でもできるが、とりわけ水泳が得意
・アフレコは昨年(1955年/昭和30年)の8月10日に行い、映画公開日も8月10日であった(すべて『サンデー毎日(昭和31年9月9日号)』より)

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『わんわん物語』の音響監督は、当時の人気作曲家だった三木鶏郎(1914年〜1994年)。彼は自身のペンネームをミッキーマウスにちなんで付けるほどの熱狂的なディズニーファン。そのために、音響監督のオファーをもらった時は非常に光栄だったと語っているが、原典のイメージを損なわないために、当初はできるだけオリジナル版で公開させようとしたという。それでも吹き替え版の制作に取り掛かるはめになるが、セリフの翻訳作業やキャスティングの選定に非常に難航し、後に「オリジナルがあんまり立派なので、しばしば投げ出したくなった」と振り返っている。ディズニーのジョン・カッティングや大映のスタッフとの話し合いを経て、無事に公開にこぎつけたようだ。

カッティングはキャラクターの声質を何よりにも大切にしていたそうで、オーディションに参加したベテランの芸能人でも、声質が合わなければすぐさま不採用にしたという。

宝田さんは公開の一年前、友人達と三木のコーラス・グループに遊びに行ったところ、遊び半分でテープに自分の声を録音した。その声がカッティングの目に留まり、原語版のレディの声質に似ていたせいか、「盲蛇に怖じずと申しましょうか、思い切ってお引き受けしてしまった」という。アフレコでは「出来るだけ自然に吹き込むようにと、ほとんど練習もしないままで」臨んだ。

こうして、『わんわん物語』が公開されたことで一躍時の人になった宝田さん。三木鶏郎のラジオ番組にも出演するようになるが、芸能界には関心を示さなかったようだ。『サンデー毎日』から取材を受けたときの記事の最初のページでは、その意思表示であるかのように、顔の下半分を扇で隠している。レディ役を務めたことは生涯に残る経験だったというが、この『サンデー毎日』では、彼女の本当の姿勢が見て取れた。

「スターは私に向かない。いずれ卒業したら平凡な勤人、それも宣伝、広告関係に…」
「〝わんわん〟に出演したことは天分があったからではなくたまたま。声が注文通りだった、というにすぎないのですから、適当なときにやめて、普通の会社にお勤めして普通の奥さんになりたいと考えています(略)目下のところ卒業論文を書くことと就職したいことで一杯…」

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余談だが、『モアナと伝説の海』が公開されたとき、私は宝田さんを思い出した。「無名の女子大生がディズニー映画の吹き替え声優に選ばれた」ということが再び起きたからだ。

モアナ役に選ばれたのは、琉球大学の学生だった屋比久知奈。元々沖縄でミュージカルを中心に活動していたが、2016年に帝国劇場で行われたミュージカルのワークショップ「集まれ!ミュージカルのど自慢」に参加して最優秀賞を受賞。その場で芸能事務所にスカウトされ、『モアナ』のオーディションを受けた。映画公開後も『レ・ミゼラブル』や『天使にラブ・ソングを…』などの有名ミュージカルに出演し続けている。

https://jisin.jp/region/1597933/

屋比久が「無名の新人」だったのに対し、宝田さんは彼女自身の言葉を借りれば「ズブの素人」。彼女のコメントを読み直しても、レディ役に選ばれたことに対しては決して謙遜ではなく、本気で芸能界入りはしたくなかったことがわかる。何の取材も受けていないことや消息もわからないので、そっとしておいて欲しいのかもしれないが、私はその後の彼女の人生に最も興味がある。

果たして夢だった宣伝・広告会社に就職できて、幸せな結婚をして、レディとトランプの四匹の子犬たちに負けないくらいかわいい子供に恵まれただろうか。成長した彼女の子供がリバイバル上映された『わんわん物語』を観に行くと「レディの声はお母さんがやっていたのよ」と母親に聞かされてビックリする。子供は「どうして女優さんにならなかったの?」と問うが、彼女は「あなたのお母さんでいることが一番幸せよ」と答える…といった、頭の中でそんなストーリーを空想してしまう。

今も健在であれば、ディズニーのその後の歴史をどのように見つめていたのだろう。ウォルトの死とアニメーションの低迷期、東京ディズニーランドのオープン、90年代のディズニー・ルネッサンス、ピクサー映画の隆盛、00年代の低迷期、ピクサー買収、『アナと雪の女王』の歴史的大ヒット。さらには、『わんわん物語』の続編(2001年)やディズニープラスでの実写化(2020年)…生きていれば80歳を超えているはずだが、宝田さんが今も幸せでいることを願うばかりだ。

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