期待してたのかもしれない
根拠のない期待、みたいな存在が苦手です。
自分がおもしろいと思った映画があったとして、それを友人に勧めたらきっと共感してくれるだろう、してくれるはずだ、みたいな感覚です。
この人は以前にこんなことしてくれたんだからきっと今回も助けてくれるはずだ、だとか。
世の中にどれくらいの人がこういう感覚を当たり前だとして過ごしているのかはわからないけれど、少なくともそういった人が存在してた記憶が自分の中には残っています。
その感覚を抱くこと自体はまったく否定しないのだけれど(きっと自分も自分の中の物差しで勝手に測って線引きしているだけだろうから)、それを当然として振舞ってくる人々を目の当たりにすると、みぞおち辺りから空気を吐きたくなる。
当然としてその感覚を持ち始めてしまうと、期待を裏切られたときに裏切った人間のことを非難しはじめる。「前はこうしてくれたのに!」という。
本当にたちが悪うございます。オンドラァ。
今、これを書きながら(過去にこれ関係でなんか嫌なことがあったのか自分…?)となっています。エピソードは思い出せません。が、苦手意識を持ち始めるトリガーはどこかにあったのかもしれません。
なんというか、期待という船に感情を乗せすぎると他人諸共沈没してしまいそうでザワザワします。
昨日の夜、じぶんのバンドの新しいアーティスト写真を公開しました。
今回の個人的な目標はじぶんの中のイメージを妥協せずに完成させることでした。
というのも、音楽以外から受け取られる印象で勘違いされるのが嫌すぎて、嫌ならちゃんとしようという、小学生みたいな、ゲームしたいから宿題終わらせよう、みたいな感覚でした。(たぶん例え違う)
何より、勘違いされる原因は凡そ(100%ではない)自分たちの中に存在しているような気がして。それを嫌だとおもうのなら、その原因を限りなく0に近づけなきゃって改めて思ったんです。それが今回でいう妥協しないに繋がりました。
無理やり話をつなげる訳ではないけれど、勘違いされることへの嫌悪って、ある種他人への期待だなって思ったんです。
恥ずかしい話だけれど、何かを創って表現して発信してる人間が他人に期待してる場合じゃないなって、そんな根拠のない期待なんて、わたしにはいらないなって思い知りました。
なんだか、自分の弱かった部分がすこしだけ強くなった気がします。
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