今日は出る出る
ほど近いところに別居しているだんなさんとは、最近良い関係。
元々は離婚したかった。
もう束縛は嫌だ。
なんでやることなす事、否定するの?
問い詰め、責め立て、なじるの?
13年も我慢してきた。
いっぱい寄り添ってきたし、支えてきた。
子どもたちがお父さん嫌いにならないように、悪口も言った事ない。
何でも言い方に細心の注意を払って、気を遣って接してきた。
でも、言葉の端々にいちいち眉間にシワを寄せ、揚げ足を取り、激昂するだんなさん。
きっとうまくいかないことがあって、疲れていて、サンドバッグを求めているんだろう。
そんなふうに思っていた。
手を挙げられた事もある。
それも妊娠初期に。
私が独身の頃から飼っていた犬にも、馬乗りになって殴りかかった。
暴力事件からは12年もガマンしてしまった。
きっと変わってくれるだろう、なんて期待してしまったから。
ま、人は早々変わるものでもなく、期待は裏切られ、落胆と絶望の12年。
もう限界。
一緒に暮らしたくない。
なんで私はあなたのストレスの捌け口にされなきゃいけないの?
一番大切にして欲しいのに。
思いやりのかけらもない。
子どもには謝るのに。
私ばかり謝らされ、でも許してくれることなんかなく。
私のことは忘れて欲しい。
そう思った。
そんなどん底から、今に至るには2年かかった。
私の持ち家である自宅から、出て行ってもらった頃は、慰謝料500万円と引っ越し代100万円を請求された。
実父は
「そんなもの手切れ金だと思って、糸目をつけずに出してやれ。あんな男が離れてくれるなら安いもんだ」
と味方してくれた。
けど、私もガンコだから、
「なんでこちらが慰謝料払わないといけないのよ!」
と意固地になって、引っ越し代と新しい家具代を余分に出してあげたきり、何も支払ってない。
子どもたちには、父親と会う自由が必要だと思い、いつでも会いに行って良いし、電話もメールもしたらいい、と自由にさせた。
私も嫌な顔はしないように、淡々と暮らしていた。
元々ワンオペでやってきたから、日常のことは何も変わらなかったし、困る事もなかった。
(困った時に何かを頼んだって、嫌な顔をして嫌味を言うだけで、何も手伝ってくれた事がなかった)
初めこそ子どもたちは、お泊まり!と父親の部屋に泊まりに行ったりしていた。
けれど、どうも私の悪口を聞かされたり、私が最近どんな言動をしているか、事あるごとに探りを入れてきたり、甘やかしてご機嫌取りをされるのが心地悪くて、嫌になってしまったよう。
子どもたちからも嫌がられ、避けられるようになっただんなさんは、だんだん私に歩み寄り的な行動を見せるけれど、私には上辺の懐柔策にしか見えなかった。
それも時間が解決してくれたのか、ご飯くらいは食べに行っても良いかな、と思えるようになってきたのが最近のこと。
今なら、お互いが辛かったことを、持ち寄って伝え合えるかなと、そんな心境になった。
もう一緒に暮らそうとは言わないよ、と言ってくれた。
離れて暮らしている方が、良い関係でいられるなら、お互いにその方がいいだろう、って。
だんなさんは、『夫』になるには向かない人だったのかもしれないし、私は結婚よりずっと前に、『子どもは欲しい。けど、夫は要らない。男は束縛したがるし、私を傷つけ、私から大切なものを奪うもの。嫌い。』といつも思っていたことを思い出した。
今それが叶っていて、とても幸せ。
辛い思いや過去を何とかして、ブロック外しをしなくても、ブロックのあるままで幸せを叶える事もできる。
そんな風にも思った。
昨日、だんなさんに送ったLINE、書いていてとても素直な自分が出てきたなと感じた。
なので、そのままご紹介したいと思う。
ちなみに、信じて裏切られて傷ついた、の相手は、だんなさんだけじゃなく、前にも書いた、遊ばれた男も含んでいる。
この男については、本当は初対面の時、この人なんか変な氣を感じる。と思った。なんか怖いな、とも思っていた。
直感信じないとこうなるんだよ、って自分で証明してしまったんだ。
ここから↓引用
また見てみてね。
繊細さんがぶっちゃけ対談してる。
泣けた泣けた。
いっぱいいろんなこと思い出して。
子どもの頃から、外では笑って過ごしてたけど、家では毎日泣いてたし、ほんと死ぬほど辛いところを越えてきたんよね。
よく頑張って生きてきたわ。
最近やっと楽になってきたの。
離れて暮らすようになった事も、自分のつらい環境は自分で変えようって心に決めたきっかけやった。
ずっと我慢して、周りの人の価値観に追従して生きていくとか、自分の人生なんやねん、て思ったんよ。
お互いに心地良いあり方で、関わり合っていけたら、形とか常識とか世間体とか、そんなんもうええやん、てね。
リンクは同い年のお友だちが教えてくれた動画。
見てて『うぉー、自分はHSPとHSS両方の間を揺れ動いてるなぁ』と。
私も人が本当は好きで、信じたい。
『この人は信じたらあかんかな…』
と感じてしまっても、
『いや、思い違いかもしれへんし、そんな悪い人だなんて、知りもしないのに決めつけたらあかんわ』
とか、自分の直感とかを無視してしまったりするんよね。
結局、自分の直感や気味悪く感じたことって当たってるし、ひどく傷つくんやけど、なんでそれでもまた人を信じたいと思うんやろうなぁ。
それって、自分のいいところのはずなのに、好きになりきれないんよなぁ。
人も好き。でも怖い。
じゃあ勝手に疑ったり決めつける前に、確かめてやろう、ぐらいの感じやねんな。
そんで、当たって砕けるねんなー😅
やっぱダメかー、直感には対抗しても無駄やなーと。
自分をもっと信じたいんよね。
人を見て、あ、これはあかんやつ。と感じてしまう自分を、きちんと『そう感じたよね。なんでかな?』って汲んであげなあかんのやね。
セラピストは繊細さんにはぴったりの仕事。(私はセラピストの仕事をしている)
相手が出せないものも、気付いてないものも、感覚でシースルーやから。
そんなん勝手な思い込みやん、って本人に言われても、その人が自覚してないだけやと思う。
勝手な思い込みや、って何回もいろんな人から怒られ、言われてきたことで、自分が信じられずにずっと後回しにして、感じても余程のことがないと言わないようにしてきたんやね。
でも、この一年ほどは、思い切って言葉にして伝えてみたら、大体相手が『あぁ、そうだわ。なんで分かるの?』って言うようになった。
要は私の言語化能力と、伝え方やったんかなと。
引用終わり
取り止めもなく書いてしまったけど、思いのままに書いて行ったら、正直になれるね。
怒りと悲しみと、寂しさばかりだった2年前から、こんなに自由で感謝に溢れた毎日がやってくるようになって、自分の人生のために環境を変えること、自分も人も大切に扱うことの素晴らしさを、今とても実感している。
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