ピアノの練習は手段?目的?
我が家で5年以上、1軍の本はコチラ。
童謡の歌詞と簡単なメロディが載っています。
おもちゃのピアノで弾いたり、うたったり、小さな頃から我が子たちは大好き。
長女は5歳を過ぎた頃から、少しずつ一本指で弾くようになりました。
そんな流れで、本人の希望もあり、ピアノ教室に通うことになりました。
しかし!!
声をかけないと練習しない。
練習が全然楽しくなさそう。
仕舞いには時々泣き出す。
何故かと言うと、私が「やらせている」から。
本人の「弾けるようになりたい」「やってみたい」が起点だったのに、私の「弾けるようになるには練習しなければならない」「間違えずにスムーズに弾かなければならない」が前面に。
私の考えは正論だけど、ピアノなんて無くても生きていけるのだから、楽しくなくちゃ意味がない。そこで、ピアノを習う目的を洗い直してみました。
「歌う、奏でると楽しい」
そう、目的は楽しむこと。
「弾けるようになると嬉しいから」「楽譜をよめるのは、英語を話せるくらい世界が広がると思うから」欲張ればこんな目的もあるけど、すると練習は手段になってしまう。
もっと言うと「習慣的に練習させてる"ちゃんとした母"である」とピアノの先生に示そうとしてなかったか?
もう一度当初の目的に立ち帰り、歌う、奏でるを楽しみたいと思います。
娘と私にとって、ピアノの練習は「上手くなるための手段」ではなく、「一緒に音を楽しみ、ふれあいを感じられる時間」でありたい。練習自体が目的でありたい。
つい「目的と手段の混同」「ねばらならない思考」に陥って追われがちですが、自分の意思で「今ここ」を生きたいと思ったピアノの一件でした。
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