映画「コーダあいのうた」を観てきた

映画「コーダあいのうた」
聴覚障害の両親と兄のもとに生まれた聴覚障害のない、魅力的な歌声を持つ娘の話。
露骨な差別や葛藤の中、胸が熱くなる場面も多く、鑑賞中、何度も涙した。
アメリカの映画やドラマを観ていると、学校が出てくる場面で、割と露骨に差別やイジメの場面が出てくることがある。
この映画でもしかり、娘の家庭環境を知る同じ学校の者達は娘をバカにする場面が出てきた。
娘の好きな彼も、娘の家族に会って、面白いと思って他の友達に話してしまったことが彼女を傷つけた。彼が仲直りがしたくて彼女をストーカーまがいに追いかけて、彼女が「darksideholic」と言っていて、日本語字幕は「ストーカー」と書いてあった。
両親と兄は漁師をして生計を立てていて、娘も共に漁師をし、聴覚障害の家族の通訳として働いていた。聴覚障害があることで、他の漁師に馬鹿にされたりする場面も出てきた。
聴覚障害の家族は、生活の中での物音が大きく、娘にとってはそれが気がかりになることもあった。両親が車に乗りながら、ヒップホップを大音量でかけていて、聴覚障害はあるが重低音のビートで音楽がわかるという。
娘は音楽が好きで歌うことが好きだった。ある日学校の選択授業で、合唱を選択し、その教師により、娘の才能が見出され、バークレー大学への進学も勧められ、先生は熱心に指導する。先生が奨学金対象として推薦状を書くといった。
最初みんなの前で声を出すのを躊躇したり、思い切り歌えなかったりしているところを、先生は歌えるように導いていく。家族のせいで、歌のレッスンが滞りそうになって一度レッスンを断られるが、先生は最後までどこか温かい。
ところで、先生は白人だったが、みんなで合唱する曲に黒人の歌を多く採用していた。「Let's Get It On」という性の営みを歌った曲をみんなで合唱していたのは衝撃だった。
娘がバークレーに行きたいと言って、聴覚障害のある家族は娘の歌を確認することができず、歌の才能が信じられない。家族にとっては、通訳がいないと困る。ということで、娘の歌への道を反対する。
ところが兄だけは、「家族の犠牲になってはダメだ」と言っていた。
母は、娘が生まれて聴覚があることを知ったとき、戸惑ったという。と言いながら、合唱の発表会に着るドレスを娘にプレゼントをした。
家族で合唱の発表会に行った。家族は娘の歌が聞こえない。ところが父は、娘が歌っているときに、周りを見渡して、どんな反応をしているのかを観察した。笑顔になっている人、涙ぐんでいる人、熱心に聞いている人を見て、娘の歌には魅力があるのを確信する。
ある夜、父は娘に自分に歌を歌ってくれという。父は娘の喉の辺りに手を当て、振動により歌を感じて涙した。
バークレーの試験の日、娘を送り出し、家族も向かう。試験会場に家族は入れなかったが2階の入り口を見つけ忍び込む。娘は2階の家族に向かって、歌詞を手話で伝えながら歌った。試験は合格した。
人を馬鹿にしたりイジメたり、自分の主張を押し付けるだけ押し付けるような言葉の暴力というのは、人の心に深い傷を残すこともあるし、それが力になることもある。なるべく言葉の暴力を避けたいが、もしかしたら、自分も言ってしまったことがあるのかもしれない。
強く自分の主張を言うのが得意な人もいるが、うまく言えない人もいる。飲み込まれた言葉、言葉にならない言葉のことを思いながら、ひっそりと大切にできたらいいと思う。
私は、高校のとき、卒業したら勉強したいことがあって、行きたい大学があったが、親に話したら、「うちの経済状況では無理」と言われた。そのとき調べた限りだと学費が無料になるような奨学金制度もなく、(新聞配達があったが方向音痴の自分には到底無理だと思えた)、学費の貸付金制度は認定がおりなかった。高校の同級生のほとんどが大学へ進学していく中、大学への進学は諦めた。社会人になって何年かして、別の学習だがやはり大学に行きたくて、通信制+スクーリングの大学に入学し、働きながら勉強した。仕事の忙しさの中、卒業はできなかったが、何年か経った今でも、ふとしたときに思い出す印象的な先生がいる。
社会に出て、他の人と話していると、大学の費用を親が出してくれるのは当たり前という人が多く、正直羨ましいと思った。1人、学費を借金していて全部返す頃、30歳を過ぎてしまうという人がいた。彼女と結婚するのはその後になってしまうと苦笑いしていたのを憶えている。今頃どうしているだろう。
ひとつの映画を観ただけで、自分の過去の様々なことが思い出され、重ね合わせてしまうような映画だった。
メモのつもりが長くなってしまった。

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