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生きながら死に近づく–AM2:54が過ぎて

Prelude第10回公演『AM2:54』、ご来場いただいた皆様ありがとうございました。(表紙写真:Prelude 上野陽立)

無事終演したので、少し、私の気持ちをば。

毎回、出演した舞台が終わるたびに思うことなのですが、演劇を続けるのって多分物凄く難しいです。

今回の台本は、だからこそ、セリフひとつひとつが刺さりまくるもので、西村さんが伝えたいことを消化するのも自分の未熟さでは全部理解しきるのは難しいものだと思っていました。

(西村さんのあとがきは、みんな読んでください、あと私は本当に西村さんは天才だと思いますよ)

https://note.com/kento_prelude/n/n853ef959a0f0


でも自分と相手役とのお芝居の共鳴や、役の意図についてこんなにも人と「会話をして創る」という経験は私にとって初めてで、稽古が毎日本当に楽しかったし、ベリーを落とし込む時間は嬉しい悲鳴でした。このテーマを、信頼のできる役者さんたちと、西村さんのもとで演れたことも、特別でした。


その上で、私が考えていたこと。


お金をもらってお芝居を始めて、まだ2年のペーペーの自分がいうことでもないし、私がわかっていることなんて本当に一部なんですが、やりたいことをやり続けるのって、「生きることでもありながら、自ら死に近付いていくこと」と同義だと思います。


なんでやりたいの?って聞かれた時、

「自分の存在を残したいという欲」からだという答えがあっていると思います。

多分表現をやっている人間、やり続ける人間の大概みんなそうで。(そうじゃなくてやってる人は逆にすごいというか、そうなるべくしてなっている人も時々います)


自分がなんでもない人間になること、必要とされなくなること、凡といわれることが心底怖くて嫌いな人間の集まりだと思います。

認められることの安心感と自分の表現が誰かに届いた時の喜び、というのはその他の何の快楽にも取って代わることのできない、限りなく中毒性の高い感情です。

それが自分の救いにもなり、自分が救われたりした経験を追い求めることにつながるんじゃないかな。


最近私も、演劇をやっていることを「遊びだ」と言われました。遊びでやっていたらこんなに苦しいはずがないのですが、私の立場を考えると結局そう見られることが普通なのです。

命懸けて、生活かけても、結局大概の人間が表現者として報われることはほとんどない。

そんなことを考えながら、この台本に向き合って、私が感じたことは、「やっぱりお芝居は楽しい」ということでした。

なんの話だ、ってことですが。

現実と理想と、生活と芸術というのは結局、私たちみたいな人間にとって正反対のところにあるもので、それを行き来しながら、「今」という時間を生きるしかないわけで。

自分を犠牲にしてでも、生きたいという気持ちがあるなら、続けていくべきなのです。その中で、別の生きる理由が見つかれば、その道を選択すればいい。

選択肢があるというのはある種の特権性を持つわけですが。

日本に生まれたという事実だけで、それは大きな特権性であり、芸術の道を選ぶことができるのも、わたしたちが持つ特権性です。

それを選択しつづけられているうちは、好きに生きることを選択していい気がします。


私が常々思っている、生きる、とはただ息をしてご飯を食べて寝ることではなく、「この世に何かを残して、自分が与えられたものを誰かに返していく」という行為です。

それが結果的に、生活の豊かさだったり、自分の時間を不必要に削っていき、死に限りなく近付いたのだとしても、それがない世界で生きるよりはマシだと。

ダサくても、非効率的だとしても、自分が生きたい世界で生きてほしい。

私は自分が愛する人にそう思います。それは自分も含め。


もっと身勝手に生きていいよ、と言われたことがあります。

多分、それはみんなもで(人に迷惑をかけすぎちゃダメだけどね!)、生きられるなら、それでいいよ。


人を傷つけて、傷つけられて、それでも怖くて、期待をして、裏切られて、また認められることを求める、私はそういう人間が心底愛しいと思います。


私は、いつかお芝居を辞めるけど、それは生きるのを辞めることではないな、ってこの作品を通してまた思えたのでした。

こうやって将来のことを考えて、演劇界のこととか、ちょうどハラスメントについて、役者の人生についても考えていたタイミングで、こんなにも受け取り方から思考ができる作品に巡り合わせのように出会えたこと、幸せでした。


まとまりのない文章でごめん!観てくださった皆様も、応援してくださった皆様も本当にありがとうございました!

次いつ舞台に立てるのか、立つ気持ちがあるのか、まだわからないけど、続けられなくてもそれが後悔ではないように、嘘をつかないで生きていきます。


またどこかでね。

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