思考が止まらない日の、夜の話

自分の人生で不利益だと思っていること、

思考を自分の意志でやめられないこと。


思考することは悪いことじゃない、それは知ってる。

他人より考えすぎるのは、何かを生み出そうとすることに比例してる、それにも気がついているから大丈夫。


そういうことじゃなくて、私が言いたいのは

なんか、まじで結果それが不利益になってるってこと。


一つの事柄に対して思考が発生する頻度とか、派生する分岐点(?)の多さとか、それが全部必要な表現に消化されるわけでもないのに、思考を垂れ流して、SNS上に書き込むだけの時間まじで生産性なさすぎ。

寝れねーしまじで。


純粋に、悩みがない人ととか、寝たら忘れるとか、自己解像度が高くて自己肯定感が高い人とか本当に羨ましい。

嫌味に聞こえて、悩んでるマウントみたいに聞こえることが怖いから言わないけど。


他者もだし、私自身もだけど、誰も私を幸せにはできない気がする。

幼稚園のときは、空想の世界に一人でいたし、

小学生のときは、小説の世界で主人公になっていたし、

中学のときは、平手友梨奈に自己投影をしていたし、

高校のときは、なにをしてたかも覚えてないけど受験に受かるために生きてた。


全部、「こうなれば幸せになれる」とおもってそこに逃げていて、でもそれでも、何かが成し遂げられても、それが嬉しくても、幸せではない。

次に襲ってくる不安から逃げるように、評価されることを求めてるし、なにもしたくないのに何もしないことが怖い。

こうやって見えない何かに怯えて、自分のなかに感じている感情を誰かのせいにしたがっているのに、その時間の裏では私も誰かを傷つけていた。


思考する人間が偉いとか凄いとかじゃない、いらないことに気がついているだけなんじゃないかと思う。

基本ずっと誰かを仮想敵にして、憎んでいて、その存在を信じないことで自分のアイデンティティを確立しようとしていること。

夜に泣いて、吐いて、結局は文字打って生きてるってこと。


私は、私が幸せじゃない理由とか、愛されない理由とかを、他人と比べて見つけて自分を否定することに長けているので、人間としては稚拙なのだと思う。

こんなにも沢山持っていて、何が不満なんだろう、どうして私は幸せになれないと自分できめつけているんだろう。

他者に対する、自分を蔑ろにしないで欲しい、大切にして欲しい、そういう内側からの叫びがドロドロした胃液みたいになって、それを自己評価フィルターを通して、他人に見せれるものにすると、結果、溶かすことも飲み込むこともできない、何かになっている。


自己分析なのか、他己分析なのかわからないのですが、私は、自分がやっていることに対して、大した努力もしていないのに甘えている人間が心底嫌いなことに気がついて、それってまじで私の人間性の真髄だと思うわけ。でもまじでこれって結局人を見下してるってことで、自分の基準で他人を見てることなんだなと。

きもいから辞めたいし、やめる努力をするべき。

来年はがんばります。


私のなかで今年本当だったことは、人が死ぬということと、死んだその瞬間よりも、悲しいのは棺に蓋がされて、その世界が分断され、境が生まれるときだということ。


生まれてきてから無条件で愛してくれて、離れなかったひとが、いなくなるって、ものすごい不安。

まじで結局一人で生きていく孤独みたいなの。


あーあ、みんなはいいな、私と離れられて。

でも、みんなも私のような自分と離れられなかったりするよね。
私は私みたいな人間嫌いだけど、私のような人間は心底愛おしいと思っているよ。

あー、明日世界滅亡しねーかなと思いながら息をするよ。

頭痛くなってきた。

明日、12:20からの映画観に行きたいんだけど、起きれるかな。

まあいいや、

おやすみ。


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