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“センスと才能”について。

こんばんは、一般ゲーマーのLです。
牛丼は松屋派です。

今回のひとくちゲーム論は、
秀でたプレイヤーの表現に使われる“センスと才能という言葉”についての持論です。



【はじめに】


センスや才能も突然現れた曖昧な要素では決してないと思っています。
では一体何を起因として2つら生まれるのか、簡単に言語化してみました。


〜それぞれの違い〜

ー“センスがある人”とは?

普段から“意識しているポイント”が多く、
それらが幾つも“無意識へ落とし込まれている”人だと感じます。

特にFPSで言えば、
・AIMや操作のコツ
・リスク・リターンの考え
・敵との距離感やライン形成
・カバーや連携のタイミング
・スキルや武器の仕様と性能

、、、などなど

それらを普段から意識し考えているので無意識レベルになっていて、
似通った分野であればすぐに理解が追いついてしまう。
別の言い方で“吸収が早い人”でもあるでしょうか。

ー“”才能がある人”とは?

もともと“身体や環境での有利”を持っていて、
スタートから“周りの人達よりいい条件で始められる”人だと感じます。

特にFPSで言えば、
・視力や聴力がとても良い
・腕や手首の可動域が広い
・手先がむちゃくちゃ器用
・割ける時間が無限にある
・設備が整っている

、、、などなど

それらを事前にもっていたり予め用意され与えられているので、
周りの人達より少ない不自由でその分野に臨めてしまう。
別の言い方で“恵まれてる人”でもあるでしょうか。


【まとめ】

ふわっとした表現の言葉だった2つの言葉でしたが、
考えてみるとこういった要素を指している場合が多いです。

普段から将棋やチェスをやって駒を使った戦術的な思考をいる人は、
きっとタクティカルFPSにおいてもその感覚を活かせる。
それが“センス”なのだと。

裕福な親のもとで視力も聴力も不自由なく優秀に生まれ、
教えてくれる先生がいて共に成長できる仲間がいる。
それが“才能”なのだと。


より踏み込んだ“無意識への落とし込み”についての話は、
また機会があれば書き起こしたいです。

次回→『若さと老い

※考え方は日々、変化・更新していくものなので、
現在もこの考え方をしているとは限りません。

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