世界を愛おしむ。
今朝、母が居間で倒れていたとの連絡を受けた。
様々な可能性に思いを巡らせながら急ぎ車を走らせた。
数時間後に目にした母はベッドに横たわり小さく見えた。
意外なことに、脳のMRI、血液検査の結果は何ら異常はないので退院してくださいとの指示を受けた。
起き上がりは覚束なかったものの、車椅子や車への移乗動作は安定しており、安堵した。
自宅へ戻った母は、みるみる元気を取り戻し、いつも通りに会話を楽しみ、
食事も摂り、先程までははリビングで新聞を熱心に読んでいた。
むろん、何らかの原因で倒れたのだから、それは今後気を付けねばならない。
だが、わたしは、このような事の成り行きに心底安堵している。
わたしは以前に気分障害を発症し今に至っている。
ADHDなどの障害もその根底にあることが明らかになった。
抑鬱状態の悪化による休職も繰り返してきた。
数年の間、重く心にのしかかっていた事柄を先月末に完了した。
先週末には自分の担当授業が終了し、今週火曜日には終業式があり、
明日の授業の用意に追われる毎日から一旦離れることができた。
そうすると、幾層もの重しが一枚一枚取れていくことに気づいた。
気分が軽くなり、人の視線が怖くなくなり、
何かに無駄なく対処することができ、
不安もなく、
人の話がすっと腑に落ち、共感もする、
冗談もつい口にする、
こんなことは初めてなのだ、
不安に満ちて、不確かで、いつも霧に覆われており、
騒々しくて、汚れていて、辛い世界は、
実は、こんなにも明晰で、頼もしく、
共感に満ちており、魅力的で、
明日は何が起きるのかと楽しみで、
そうだ、
世界はこんなにも愛おしいものだったのだ。
誰かがわたしを守っていてくれているのだろう。
この愛すべき世界に出会えたわたしは、
自信を持って今回の危機に臨むことができた。
母には、その後、気がかりな様子も見つかり、
対策は立てねばならないが、
わたしは自分でも驚くほど落ち着いており、
正しい選択ができ、
わたしは常に守られていて、
この世界を愛おしく思っている。
これは信仰と言っても良いのでしょうか。
どうなのでしょうね。
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