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Go To トラベルキャンペーンからみえてくる、その是非をこえた論点

 私たちは、COVID-19の社会的論点について、研究室内で様々に検証してきました。例えばパンデミックの初期の段階では、COVID-19全体をどのように俯瞰すれば良いか、ということについての記事を寄稿し、これ以外にもいくつかの論点について現在に至るまで考察を続けています。


 今後、そのような私たちが考えた「COVID-19の社会的論点」についてご紹介していきたいと考えていますが、今回は、Go To トラベルキャンペーンについての記事です。
 はじめに、Go To トラベルキャンペーンに対する賛否は、立場によってYesにもNoにもなる曖昧なものだと考えており、本記事でもその賛否を明確にはしないことをお断りしておきます。短絡的に答えを出すのではなく、この問いから見えてくる論点を少し考えてみよう、という試みとして捉えてください。


Go To トラベルキャンペーンについて[1][2]


 Go Toトラベルキャンペーンは、2020年4月7日に政府が「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」を実行するため、16兆8057億円にのぼる2020年度補正予算案を閣議決定したところから始まりました。
 旅行者向けGo Toトラベル事業公式サイトには、「宿泊を伴う、または日帰りの国内旅行の代金総額の1/2相当額を国が支援する事業です。給付額の内、70%は旅行代金の割引に、30%は旅行先で使える地域共通クーポンとして付与されます。」と記載があります。(2021年1月3日現在)しかしキャンペーン開始後から、感染者数はどんどん増加し、反対の声も多く挙がったことから、2020年12月14日、政府はGo Toトラベルキャンペーンの一時停止を決定しました。私はやむをえない外泊の際に利用し、大変ありがたかった一方で、だから積極的に外泊をしよう、という気持ちにはなりませんでした。みなさまはGo To トラベルキャンペーンを利用されましたか?Go To トラベルキャンペーンの中止について、どのようなお考えをお持ちでしょうか?


Harm Reductionという概念[3]

 話題は変わりますが、みなさんはHarm Reductionという考え方をご存知でしょうか。
 「その使用を中止することが不可能/不本意である精神作 用性のあるドラッグの使用に関連するダメージを減らすことを目的とした政策・プログラム・ その実践」を意味し、「ドラッグの使用そのものを避けることよりも、ダメージを防ぐことと、 ドラッグを継続して使う当事者に焦点を当てることが明確な特色である。」とされています。[4]
 また、ハームリダクションについての和文入門書には「ハームリダクションは断薬を否定するものではなく、補い合うもの」である一方で、「ドラッグの使用(量)を根絶しようと訴えることは、非現実的であると同時に、人を排除するという意味も含みかねません。ハームリダクションはドラッグの使用量そのものがゼロになることを目指していません。その使用により生じる健康・社会・経済的な被害を減少させることを目的としています。」と記載されています。[5]   
 具体的には例えば、薬物使用者が安全に注射を行うことができる「薬物使用ルーム」などがスイス、オーストラリア、カナダなど限られた国で運用されています。薬物を使用することそのものを防ぐことが難しいのであれば、まずはそこからの感染や過剰摂取など二次的な被害を抑えよう、という考え方です。注射器等の安全性への配慮だけでなく、過剰摂取の際に処置が行えるような機器や医療者が配置されていたり、より安全性の高い薬物が使用できるなど、様々に工夫されています。
 もともとは薬物使用障害に対して提唱された概念ですが、近年ではアルコール依存症などその他の問題にも適応されるようになってきており、日本でも依存症に対する介入などを中心に、このアプローチを用いた研究報告は経年的に増加しているようです。理想論ではなく、現実的な解決策を少しずつ実装していこうという画期的な取り組みですね。


ダブルスタンダードへの耐性


 Harm Reductionはそもそも上のような背景で形成されてきた、健康権などと結びつく概念であり、Go To トラベルキャンペーンのような経済政策の文脈で持ち出すことは不適切であると思います。
 しかし、共通している点もあります。それは、「ダメなことはダメだけれども、そうは言っても始まらないので次善策を考えよう」という発想です。この、社会として打ち出す「次善策」を「公認されたんだ!」と個人が勘違いすると大変なことになります。(「薬物使用ルーム」が決して「無条件に違法薬物を使ってもいいのだ」ということを意味しないのは容易にご理解いただけることと思います。)
 同じく、Go To トラベルキャンペーンは「もうみんな自由に出歩いていいぞ」というメッセージではなかった(ない)のです。「接触は避けないといけないけれども、経済への影響を少しでも小さくするために、感染に注意して消費してください」ということだったのではないかと私は思います。
 中井久夫という精神科医は「両義性に耐える能力」や「二重拘束への耐性」を精神健康の基準の一つと指摘しています。[6] 「物理的接触を避けよ」ということと「経済を回せ」という相反するメッセージを両立しようとしたGo Toトラベルキャンペーンは、実は、私たちが高い水準の「精神健康」を維持しているかどうかを問うていたのかもしれません。


Go Toトラベルキャンペーンからみえてくる論点


 Go Toトラベルキャンペーンが実際にどのような影響を及ぼしたかという「結果」についての科学的検証は可能と思われ、そのデータをもってして、Go Toトラベルキャンペーンが「結果的に」良かったのか、まずかったのかは判定できるのかもしれません。しかし、キャンペーンが、どのように利用されえたのか、ということを後方視的に検討してみると、そこからは様々な可能性がみえてきます。
 Go To トラベルはそれを利用しない人たちの外出まで促進してしまい、間接的に感染拡大に寄与しえた可能性や、Go To トラベル下であっても、多くの人が普段一緒に生活をしている家族など少人数で、十分に気をつけて旅行すれば感染はここまで拡大しなかった、つまりGo Toトラベルキャンペーンは本来的には感染拡大に大きくは関与しえない可能性など、一概に賛成、反対の二項対立で語ることのできない様々な仮説に思い至らざるをえない、ということです。(しかし一方でこれは、個人が賛成、反対の立場を明確にすることを否定するものではありません。)


私たちにできること

 有事の際には、国の施策など指導者の判断が問われているように思いがちです。もちろんそれらが極めて重要であることは間違いありませんが、私たち一人一人の行動もまた、問われている面があるように思います。これからもCOVID-19関連の様々な問題があらわれ、私たち一人一人の判断が求められる場面が予想されます。そんな時、すぐに結論に飛びつく前に、一度立ち止まってYesかNoではない「中間」はないのか、丁寧に考えることができれば良いのかもしれません。

                                 池尻達紀

※今回の記事は、研究室メンバーの小松サラ(University of Sydney, Bachelor of Science/LLB IV)とのやりとりの中で得た着想をベースとしています。


参考文献


(最終閲覧2021年1月3日)
[1] トラベルボイス, 政府、新型コロナ後の観光支援予算を閣議決定、国内旅行の需要喚起に1.7兆円、訪日客回復へ運休路線の再開を後押しも, 2020年4月7日
https://www.travelvoice.jp/20200407-145894
[2] 旅行者向けGo Toトラベル事業公式サイト, https://goto.jata-net.or.jp
[3] 徐淑子, 池田光穂, ハームリダクション : 概念成立の背景と日本における語の定着について, Co*Design. 6 P51-62, 2019
[4] What is Harm Reduction?, Harm Reduction International, 2019
https://www.hri.global/what-is-harm-reduction
[5] 松本俊彦他, ハームリダクションとは何か 薬物問題に対する、あるひとつの社会的選択, 中外医学社, 2017, p3-5
[6] 中井久夫, 精神健康の基準について(中井久夫著作集6 個人とその家族), 岩崎学術出版社, 1991, p175-183


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