春惜しむ

感情がぐっちゃぐっちゃになりがちな5月2日前後を、今年はかなり淡々と過ごした。

色々なことへの興味が皆無になってしまっていることもあるけれど、四半世紀の時を経て、26年目にしてわたしも大人になったのかなぁなんて思っていた。

思っていたんだけれども、だがしかし。
ここに来てドッカーーーーン。
感情がぐっちゃぐっちゃになる。

26年前も自分の親よりは若かったけれど、もしも自分の親でもびっくりはしない、ちょうど叔父世代だった人。

それがいつのまにか少し年上のお兄さんになっていき、気づいたら同年代、同い年になって、今じゃわたしの方が少しお姉さん。

26年前から変わらぬ姿のあの人に、「hideちゃん若いよねー」と何気なく呟いてハッとした。

わたしがこの世界で順調に年を重ねていけたら、hideちゃんはそのうちまるで甥っ子のようになり、そのうち息子のように見えてきて、しまいに孫に見えてくるんだ。

良い感じに年を重ねた渋いPATAちゃんと、映像のhideちゃんが並んだ姿を思い浮かべる……何も知らなきゃ親子位年が離れているように見える。
元々はhideちゃんが一歳年上だったのにね。

PATAちゃんが「うちの秀人がお世話になります」とか、「松本をよろしく」と言っている姿は、なんだかお父さんというよりは、お母さんみたいだなと思ってしまう。昔はhideちゃんがお母さんみたいだったのにね。

いつの間にか時を止めてしまったかのような風貌のよっちゃん、Toshl君と映像のhideちゃんの並んだ姿を思い浮かべる……うーん、この組み合わせはあらーみんな若いねで終わるのかな。

ヴィジュアル系でありつつ、時は止めずに年を重ねていらっしゃるひーちゃんとスギ様と映像のhideちゃんを並んだ姿を思い浮かべる……ひーちゃんとスギ様の方がhideちゃんよりお兄さんだと思っちゃう。

元々はひーちゃんが3学年、杉様が5学年下だったはずなのにね。そしてひーちゃんは昨年の秋にhideちゃんと同じ世界へ旅立ってしまった。

泣きはしない、怒るわけでもない。だけどなんだかとてつもなく寂しいなぁと思う。

天寿を全うしたと思っても。
生ききったんだと思っても。
心が結構ぐわんぐわんと揺れる。

遠くの他人でこれじゃ、近しい人はどんな思いになるのだろう。

そして近しい人がこれからどんどん去っていったら、わたしどうなってしまうんだろう。

どれだけ心が揺れるのだろう。取り乱してしまうのかな。闇から抜け出せなくなるのかな。怖いな。

そんなことをそろそろ泣き出しそうな、どんよりとした空を眺めながら思う。

26年前の今日はお通夜の日だった。
そして5月7日の13時過ぎにお葬儀が始まって、16時前に築地本願寺からhideちゃんを乗せた車が、一度も信号で止まる事なく代々幡斎場へ行っちゃったんだ。

ここまで書いて時計を見たら8時52分だったから、どうすることも出来ないのにうっかり1998年5月2日に行ってしまう。

早く今日に帰っておいで。
今日はここだよ。
そこじゃないよ。

そこに行っても何も変わらない、変えられないんだよ。
だから今、ここで春惜しむ。

もしサポートをいただいたら……いただくことがあったら……どうしましょう??どうしたらいいのでしょう??その時に考えまずでも良いですか?