なにゆえ、見たままが出来ないのだ?
Billiyがこの世にいてくれているうちに、Billiyのスカルリングを作って、本人に送る(彼が受け取ってくれて「贈る」になればもう、言うことはない)というのを目指して、また造形を始めてみたんだけど。
恥を承知で語ると、造形はいろいろと手を出して止め、また手を出してはやむを得ず手を止め、などということを繰り返していたりして、本当に「また」という表現がぴったりで我ながら情けないというか笑うというか笑
手を動かして作るという行為が好きで、やっていて心が落ち着くというのは子供の