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消えていくもの

このnoteの写真たちは
何気ないときに撮った儚くも大切な日々の風景たち

投稿日からはあまり離れていないときに撮影したものがほとんどだから
文章とセットでいつかこの風景を懐かしく思う自分が容易に想像できるし、楽しみ

今日はなんの写真を使おうかと
今回の写真を選んだとき

ふと今回のタイトルで書きたくなった

いつもは書きたいことがあって、イメージに近い写真を選んだりするんだけど、今回は逆アプローチで書いてみます

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消えていくものが何かと問われるのであれば

「忘れまいと思うなにか"以外のもの"」

であると答えるかもしれない

いろんなことが生まれ、消えていくのはセットで
そこは自然の摂理というか
世界は無慈悲すぎるくらいにまわり続けて
過去を洗いざらい流していく


その中で生きることは何かを感じ、残し、忘れまいとする営みなのかなと


忘れたくないから綴ることを
誰かのなかに残りたいから繋がることを
過去の自分を消したくないから生み出すことを

そんな健全な焦燥感のなかで生きているのかもしれない

心がざわついているのはきっと
忘れたくないサイン

消えていく自然に抗いたいからこそ
人は考えて動いて、轍をつくるのかもしれない


無理に忘れる必要はないんだと思う
自然は忘れるようにできている
終わりはひとつ、素晴らしい時間としての区切りと再スタート


終わりのみえることはしたくなかったけれど
終わりがあるってことの安心感もあるのかな

今だけでもいい
この愛おしく素晴らしい毎日が
少しでも消えていかないように


愛は技術
大切なものを大切にできるには
もう少し技術が必要なんだろうな



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テーマから書くと自分でも意味がわからない文章になることがわかりました

自分ルールに則って今日も一本書き?です

贈与をまた受け取ってしまったので
健全な負債をもとにまだまだ言の葉を連ねる日々は続きそうです

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