人魚の唄は誰が伝える

※この小説は『東方Project』の二次創作作品です

 赤いショートカット青リボン頭を首の上で浮かせていた。視界をふわふわさせながら歩くのがいつの間にか癖になっていた。いよいよ足元が道から獣道へと変わった頃、私は深く息を吐く。
「・・・・・・つまらないな」
 退屈は立派な感情である。自分の中での一つの座右の銘だったが、先日狼女かげろう
「それは貴方がつまらない生き方をしているからよ。楽しく生きてれば、退屈なんて感じないわよ」
 と言われたせいで、思い出す度に神経を軽く逆撫でされるようになってしまった。そりゃそうだけど! 楽しく生きるのにどうやったらいいか分かんないの!
 ふと右に逸れた獣道に目を惹かれる。こんな道あったんだ、自分が見てなかっただけで今までもあったんだろうけど。
 踵が右を向く。退屈は立派な行動原理である。貴方には分からないでしょうけど。

 霧がかかった湖。霧のせいで途中まで湖だとは思いも寄らなかった。突如、私が通ったから霧が晴れたかのように視界が遠くまで広がる。かなり気に食わないなと思った。
 霧が晴れ、妖の体を成したシルエットが浮かび上がる。それを認識しては、踵を返し、視線を逸らし、貴方のことを見てませんよと全力でアピールをして
「あら、どなたかしら?」
「うっ」
 足が止まる。捻る必要のない首を捻って彼女を見る。人魚だ。
「貴方はどんな妖怪なの?」
「えっ」
 沢山の秘密の内、「人間」という名の皮が一枚剝がされる。最も外側にある皮、それでも初対面の人にこれをされるのがどれだけ恐ろしか、それを今実感していることが何よりも嫌だった。
「‥‥‥私はろくろ首っていう妖怪なの」
「へぇ、どんな妖怪なの?」
 人魚が笑う。つられて私も笑う。私の悪い癖。こんなことしちゃうから変に狼女みたいな活発な娘|《こ》に絡まれちゃうんだろうな。
「こんな感じで頭を自由に浮かせたり、増やせたり出来るの」
 ふわふわ。ふわふわふわふわ。ふわふわふわふわふわふわ。
「へー」
 人魚は単調に言った。ちょっとがっかりしてしまった。
「凄いね」
 人魚が笑う。今度は笑わずにいられたので、矜持が満足気になった。
「私そろそろ行かなくちゃいけないんだけど‥‥‥」
「そう、じゃあね。私はずっと此処にいるから、また会いに来てね」
 そして人魚の声が聞こえない程遠く離れる。湖は再び霧に塗れた。

 木の葉が鮮やかな緑から色付く頃、粛々と獣道に生えた雑草を踏み潰していく。クシャ、なんて良い音がするわけもなく、大抵はザワザワザワと五月蠅いだけ。耳障りな音が有り触れていて気が滅入ってしまいそうだ。いっそ弾幕で一直線に消し去ってしまおうか。その直線をなぞるように視線を動かし、その延長線上に映る景色を見る。冬が姿を現すまで時間はそうかからないだろう。
 ふと、右に逸れた獣道が目に入ってしまう。あれ以来自分の尊厳が蝕まれる感覚が嫌で目を逸らし続けたが、今度こそはそれよりも罪悪感が押し勝ってしまった。
「はぁ‥‥‥」
 ‥‥‥深く息を吐いた。

 霧の中、唄が聞こえる。あの人魚のものだろう。ラーラララ、存外普通の唄なんだな。少しがっかりした。もっと聞いた人間を狂わすような唄だと思ってた。
 シルエットの境界がはっきりとした。変わりないあの人魚だ。
「久しぶり」
 自分が手を挙げながら声を発する。
「久しぶり」
 人魚は尾びれを上げながら言う。滴り落ちる水が湖に吸い込まれていく。
「‥‥‥」
「あら、自分から話しかけておいて話題が無いのかしら?」
 驚いた。そんなきついこと言うんだ。かなりがっかりした。
「無い」
「そう‥‥‥」
 人魚は私に向けていた顔を正面に戻して俯く。尾びれは一度水面を乱して、また水面の中に戻った。
「その、聞きたいんだけど‥‥‥」
「何?」
「前、何で私が妖怪だって分かったの?」
「私そんなこと言ったっけ?」
 寸分の間、口が呆然と開いたままだった。
「言ってた」
「そうだったっけ。それで何でって言われても、言われてもねえ」
 人魚は小さく唸り始めた。自分が予想していた悩み方とズレていたためか違和感が喉に突っかかる。
「服着て歩く生物なんて妖怪以外に居ないと思うけど」
「は?」
「え?」
「いや、そうじゃなくて‥‥‥ 何で私が人間じゃなくて妖怪だって分かったのって聞きたかったんだけど‥‥‥」
「人間‥‥‥ 悪いけど私、人間を見たこと無いから人間がどんなのか分からないの」
 呆気に取られたと言わんばかりに思考回路が滞る。しかし次第に霧が晴れて実体を理解し始めた。
「話には聞くけど、実際に見たことは無くてよ」
「そう‥‥‥。私いつも人間が住んでる里に居るんだけど、良かったら話でも」
「ううん、大丈夫」
 人魚が首を振り、最も凛とした声でそう言った。この受け答えを幾度も繰り返したように慣れた仕草で。
「私、あんまり外の世界は知らないようにしてるの」
「え、それってもしかして、この湖の周りとか‥‥‥」
「そう、この湖の外側のこと」
 言葉を失った。この狭い幻想郷さえ、彼女にとっては広い外の世界だと言うのだろうか。しかし小振りに動く尾びれを見ては、次の言葉を考える余裕を得た。
「興味無いの?」
「無いかな。むしろ知りたくないの」
「そう‥‥‥」
 賢明な判断だな。私だって人間社会を知らずにいられたのなら、いや正直言ってデメリットよりメリットの方が大きいから別にいいかな。人魚はもう一度尾びれで水面を揺らす。今度は小さく。
 人魚が口を開いた。
「ねえ、貴方って人魚の唄は聞いたことある?」
「さっき君が歌ってたのがそうなら」
「どうだった?」
「えっと、綺麗だったよ」
「あ、そう意味じゃなくて、御伽噺みたいに狂ったり魅了されたりした?」
「いや‥‥‥?」
  戸惑いが頭を支配する中、自分が引け目を感じているのだけは分かった。
「でしょ、だから人間社会も別に悪くは無いのかなって」
 唾を呑む。私が話したから彼女のきりが晴れたような気がしてしまったから、
「さっきから私自分でも何言ってるか分からないんだけど、とにかく、貴方から外の世界の話を聞きたくなったの」
「‥‥‥」
「どう‥‥‥かな」
 唾を呑む。喉通りは悪かった。
「‥‥‥ごめん」
 人魚の顔が周辺視野にも映らないように首を捻った。人魚の声が聞こえないように湖の音に傾聴した。今はこの五月蠅さが何よりも頼りになった。
「そっか」
 凛とした声が私の喉を劈いた。もう人魚の前で声を出すことは出来なくなったのだ。


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