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ある日突然動線の前に怪物が居座っていたんだ

※この小説は『東方Project』の二次創作作品です。

 机の上の書類だけが散らかった質素なマンションの一室。タンスの上に置かれた彼女の写真が入った写真立て。その背後には額縁に入った沢山の免状が飾られており、最前列のもの以外は取り出しでもしない限り見えない状態だった。

ってー」
 ハードウッドフローリングの上で僕は目覚めた。程々に身体をほぐしながら洗面所に向かう。午前四時半、人どころか太陽さえ起きていないような時間に目が覚めるのはショートスリーパーの特権だ。冷水で顔を洗い、タオルで拭く。台所に向かい、冷蔵庫からタッパに入ったカレーを手に取る。
「あれ、米炊いて無くね? あ、昨日炊いてたわ」
 一人暮らしでも家事の妖精はいるらしい。炊飯器から取り出した米を皿に盛り、その上にタッパの中のカレーをかけて電子レンジで温める。一分程待った後温まったカレーを取り出して、端に固めた書類を横目に机の上に置く。
「いただきまーす」
 そう唸るよう小さく声を漏らして、木製のスプーンたいしてすいてもいない胃にカレーを詰め込んでゆく。別に、料理は美味しく食べたいのだが、それ以前に食欲が湧かないのだ。

 スマホから五時を知らせるタイマー音(宇宙)が鳴る頃、机の上の端に追いやられていた書類が片付いた。一階のコンビニにでも何か買いに行こうかとフラフラしながら玄関の扉を開けた。

「は?」
 "玄関"の扉を開けた筈だった。それが一体、扉の先は奈落だった
 僕はプルハンドルに手をかけ、その奈落を覗き込むような態勢で寸刻固まっていた。


 扉の先は赫色に淀み切った世界だった。その絶望的な深さを告げるよう風が強く吹き荒れる。あと半歩、その右足があと少しでも奥を踏んでいたなら、私は足を滑らせて奈落に落ちていたのだろうか。ん、今「私」ってった? 「僕」だよ「僕」。「私」は嫌いって彼女に言われてたじゃないか‥‥‥。
 ともかく僕は重心を後ろに傾けて、扉から手を離した。扉はガチャンと音を立てながら自らの重みで戸締りをした。今冷静に考えてみるとそんな落ちそうでも無かったな。万一足が滑ってもプルハンドルを掴んで普通に助かってそう。
 あーどうしよ。えーどうしよ。扉の前で口に手を添えてそう声を零す。それに対し内心は冷徹であった。常に最善策を選ぶ、それが僕のモットーだ。
 まずもっともあり得そうな可能性として、身体に異常をきたして幻覚を見ているとしたら? 統合失調症とか? 意識障害とか? まあ十分あり得るな。それだったら一旦休む。それで収まらなかったら病院に行く。
 次にこれが幻覚じゃなく本当だとしたら? 科学的じゃない、と一蹴りするのはモットーに反する。では一体何のために? 僕を殺したいから? それとも何処かに連れ去ろうとしているのか? いずれにせよなぜそれが扉に存在させる必要があったのか? そもそも自分じゃなくて誰でも良かった? うーん、考えれても考えても答えが出ない疑問ばかりが浮かび上がるだけだ。兎にも角にもあまり扉には近づかない方が良いか。
 一応、危険を承知の上でもう一度扉を開けてみる。そっかー。さっきと全く変わってないな。これで直ってたら楽だったのに。

 僕はスマホで弁当の宅配便を頼んでみた。これでどうなるか‥‥‥。そうだ、ベランダはどうだ? カーテンをカラカラと開ける。そこに映る景色は唯の青みがかかり始めた空。良かった良かった、この部屋ごと変な場所に転送されていたらどうしようかと。そのままベランダの縦長の大きな窓を開けて‥‥‥
パリン!
 
唯の青みがかり始めた空は、強化ガラスのように粉々に割れてしまった。その先には、あの赫く淀んだ景色が延々と広がっていた。

 どうもフェーズが変わったらしい。さっきから玄関の扉を叩く音が鳴りやまないし、スマホからは知らない電話番号から電話が絶え間なく来るし、ロックした筈のベランダの窓が大きな音を立てながら閉じたり開いたりして、電気が点灯と消灯を繰り返している。
 一方僕は深呼吸ばかりしていた。そうやって出来る限り心を落ち着かせるのが今の最善策だから。ベッドの上で座って壁にもたれながら、スマホの着信を切り続けていた。何が起きても良いように、目も瞑らず耳も塞がなかった。

 ベストじゃなくて、ベターを選ぶ。どうせ努力しても出来ないことは出来ないんだから、努力すれば出来る範囲で努力してみる。一種の諦念なのかもしれないが、これが一番楽なんだ。
 交通事故で彼女は亡くなった。目の前で車に轢き殺された。頑張った、頑張ったけど、脳が完全に破壊されていたんだからしょうがない。病院でそれを受け入れた瞬間、悲しみもやるせなさも全部消えてしまった。でもいつも思う、何も感情が無い方が一番楽だって。どうやら相手方は飲酒運転だったらしいが、事故の一週間後に自殺してしまった。それを知った瞬間、可哀想になぁと思った。それに次いで、恨まなくて良かったなぁとも思った。
 僕はとっくのとうに何かに強い感情を持つことを辞めていたんだ。それが僕にとっての最善策だったのだろう。

 全ての音が急に鳴り止んだ。僕は頭痛に耐えながら、口を半開きにしたまま玄関の扉に向かう。キィと音を立てながら開けてみる。唯の赫い景色だ。
 その時、僕は後ろに潜む二童子に全く気付かなかったんだ。下の方で影が動いたような気がして急いで振り返る前に、どちらかが僕を強く蹴って、そのまま扉の奥へ放り出された。最後に赫色以外の色を見た時、空中に浮かぶ扉の中でそいつらは深緑とピンクの服を着ていて、狂気に満ちた笑顔で僕を嗤っていた。
 僕は遂に落ちた。身体が悲鳴を上げる中、両手で口を塞いで必死に声を抑えた。恐怖に塗れることもモットーに反するからだ。


 僕はまだ落ち続けている。僕は何をしてしまったのだろうか。多分、そんなものは一生分からない。あろうがなかろうが僕はここで落ち続ける運命なんだ。
 僕の運が悪かった。それだけで僕はこの運命を受け入れよう。それが今できる最善策だから。


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