完全無欠の怪物エース

11月14日夜(現地時間)に元AWA世界チャンピオンのニック・ボックウィンクルが亡くなり、同15日に天龍源一郎が引退試合を行なった。なんというタイミングか、ちょうど14日の夜に学生プロレスの仲間とさんざん飲んで話したあとだっただけに、あの時代から、また距離が出来たことを痛感させられた。

さてニックと天龍という2人のプロレスラーを思い浮かべると、そのいずれとも深くかかわった、あの男のことを思い出さずにはいられない。

ジャンボ鶴田である。

鶴田が引退したのが1999年、死去したのが2000年。もう15年以上たつのかと思うと、感慨深いものがある。オレも年を取ったな的な。

いずれまとめようと思うが、鶴田は日本プロレス史の第3世代にあたる。

力道山とその世代が開祖の1代目、馬場、猪木ら力道山の弟子たちが第2世代だとすると、その馬場、猪木らの弟子にあたる世代が第3世代。

その長男格が鶴田たちで、四天王と三銃士らが次男格、さらにその下のいわゆる「第3世代」が末っ子で、彼らが馬場、猪木から直接コーチを受けた最後の世代だ。秋山、大森、永田、中西、天コジあたりかな。

それ以降が、四天王や三銃士の弟子になり、現在のプロレスの中心地に立つ「第4世代」で、力道山の曾孫世代というわけだ。まあ大雑把な分け方だが。

で、その第3世代の長男格を代表するのが、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、藤波辰巳、長州力といった面々(順不同)。いずれも一時代を築いた名レスラーであり、知名度や力量を比べるのは無意味なくらいの大物だが、先に書いた学生プロレスの仲間はほぼ「馬場派」だったので、われわれのあいだではジャンボ鶴田がこの世代の一番手に推されていた。

ただ、そうなるまでは、けっこうな紆余曲折があったものだ。怪物の異名をとったレスラー晩年の鶴田しか見ていない人々には信じられんだろうが。

われわれの学生時代、つまり70年代から80年代頭までの鶴田は、「若大将」で「善戦マン」 のちに会場を熱狂の渦に巻きこむ鶴田アクションの代名詞である「おー!」も、当時は冷笑や嘲笑の対象でしかなかった。そのころは、ドラゴンを標榜し猪木の後継者と目されていた藤波のほうが評価が高かったかもしれない。

鶴田の評価が高まってきたのは、80年代半ばに世界チャンピオンのタイトルに迫ってから。NWA王者のリック・フレアーを追っていたころだね。けっきょくNWA王座には届かなかったが、1984年2月にAWA王座を奪取したのには興奮させられた。蔵前で見てたもんね。このときのAWAチャンピオンこそが、ニック・ボックウィンクルだった。

ジャパン・プロを率いて全日本に乗り込んできた長州に「差」を見せたのもこの時期。だが直接対決が少なかったので決定的なイメージの差をつけられなかったのは、「格」の違いを見せようとした馬場作戦の誤算だったと思う。

というように、この時期にはまだ「馬場の政治力のおかげ」みたいなイメージから脱却できなかった。そのへんを払しょくしたのは、天龍源一郎が敵陣営に回り、谷津嘉章との五輪コンビで龍原砲と張り合ったあたりから。1980年代後半だからデビューから15年くらいかかっているのだ。この時期に、茶化されながらも「おー!」が会場人気として浸透していった。

その後、天龍が離脱して三沢光晴ら超世代軍の前に立ちはだかった時、ようやく我々もジャンボ鶴田の凄さに気づいた。60分フルタイムの激闘6人タッグの終了後、若いパートナーも敵の超世代軍の面々も、そして見ていた観客たちもスタミナ切れでへたり込んでいるなか、鶴田だけが元気いっぱいに「おー!」と雄叫びを上げているのを見たときの戦慄は、忘れられない。こいつ、ホントに怪物だと思ったもんだ。

この1990年代初めくらいの時期が鶴田の全盛期だったのだが、残念ながらその全盛期はわずか2年ほどだった。肝炎を患った鶴田は長期欠場し、その後は第一線から身を引く。馬場死去後の1999年に引退し、その直後の2000年春に死去した。

早世したせいもあって、天龍、長州、藤波らと違って、老齢となってからリングで渋さを見せたことはなく、また自ら団体のオーナーや経営者となったこともなく、プロレス以外の事業も目立ってしてないイメージもあって、いまでもジャンボ鶴田のイメージは「純粋なプロレスラー」的なものに保たれている気がする。

そして忘れてはならないのは、全日本プロレスに「就職」した(本人の弁)鶴田は、常識人としての側面を常に見せていたことだ。それはその時代までのプロレスラー像とは、かなりの乖離を見せていたものだ。ひょっとして、真の意味の「第2世代」足り得たのは、鶴田だけだったのかも知れない。

私は、ベテランとなったジャンボ鶴田が、若いレスラーの前に立ちはだかる姿も見たかったし、経営者として手腕をふるう姿も見たかった。もしもそうなっていれば、一時期の閉塞したプロレス界はなかっただろうし、現在のプロレスはもっと違った世界になっていただろう。

そして何よりも、私よりちょっと先を歩く(8歳年上)人生の先輩として背中を見せてほしかった。天龍や長州ような生き方をする背中じゃ、ついていけないからね。

むかしジャンボが引退を表明したころに、妄想したことがある。今はもうかなわない夢だ。

全日本プロレスが21世紀を迎え、ついにジャンボ鶴田の息子が2世としてデビューする。デビュー戦の会場は日本武道館。リングで待ち構えるデビュー戦の相手は、怪物三冠王者の森嶋猛。ひさびさに響くテーマ曲「J」に乗って、満場の観客から武道館を揺るがす「ツルタ! おー!」のコールが……

(ジャンボの長男の鶴田祐士さんは映画監督/ミュージシャンとして活躍中です)

  スポーツ雑記帳 目次

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?