衝突の痕跡

以前にシカゴのフィールド自然史博物館(Field Museum of Natural History)を訪れた話はチラリと触れましたが、その時に見た「ツァボの人食い」と並んで私に衝撃を与えたのが、「バリンジャーの隕石孔」でした。

そもそもは大昔の1960年代、まだ小学生だった私が読んだ、世界の謎をあつかった本。はい、これまでもここでさんざんネタにした、「怪奇現象の本」の類ですね。

その中の一冊に出てきたのが「巨大隕石孔の謎」の話で、その題材が「バリンジャーの隕石孔」でした。アメリカのコロラド平原にある巨大なクレーターで、それまでは火山の噴火口跡と思われていたものを、一介の鉱山技師バリンジャーが隕石孔だと断定。でも信じない周囲の人々や学者を尻目にひたすら探索を続け、ついにクレーター内部から隕石の欠片を大量に発見したというストーリー。

ただその本では「これだけ巨大なクレータを作ったのだから、地下にはさらに巨大な隕石が埋まっているはずなのに、いまだに発見できず、現在でも学会では認められていない」と書かれ、「火山の噴火口に偶然隕石が落ちただけではないのかと疑われている」と結ばれていました。

その本を読んで以来30年余、その後の経緯を知る由もなかった私の前に、突然、フィールド自然史博物館の展示が突きつけられたのであります。

そう、その後の調査研究で、これがまぎれもない巨大隕石孔であることが確認されていたのですね。

今では、この大きさのクレーター(直径1200メートル)を作った隕石の大きさは、その径20-30メートル程度と推定され、その大部分は衝突時に蒸発したと考えられています。そう、そもそも巨大な隕石など埋まっているわけではなかったので、発見できなかったわけです。さらにいうなら「火山の噴火口に偶然隕石が落ちた」って推論にもかなりの無茶がありますよね。それこそ天文学的確率の低さ

なるほど、あの本では「世界の謎」のひとつとされて超常現象扱いだった「バリンジャーの隕石孔」も、今ではキチンと認められているのか、いやよかったよかったと、30年の時と地球半周近くの距離を隔てたシカゴの地で感動した次第でした。

ただ、その後さらに自分で調べたところ、どうも鉱山技師バリンジャー本人は、クレーターが隕石孔であると認められる前に死亡したそうです。残念だっただろうなぁ。

ところで、現在では地球上で発見された隕石孔は182個あるそうで、バリンジャー隕石孔は直径の大きさでは5番目にあたるとか(ちなみに日本でも1個、長野県飯田市で御池山クレーターが発見されている)

じつは、くだんの本にはバリンジャー隕石孔の話の後に、じつはそれ以上の、桁違いに大きな隕石孔が発見されたようだという文章が続いていたのです。

それは、人跡未踏のカナダの奥地で探検家が発見したというもので、その本では発見者の名を冠して「チャボ隕石孔」と呼ばれていました。これもその時点では、本物の隕石孔かどうかは未確認ということで、「今後の調査が待たれる」的な結びになっていたのですが、その後はどうなったのだろう?

先に書いたようにバリンジャー隕石孔を上回る隕石孔は4カ所で発見されていますが、そのうちのひとつが確かにカナダにあります。だがその「サドベリー隕石孔」は直径200キロメートル以上と巨大過ぎで、しかも地中に埋もれているので、探検家的な「発見」はされていない。「チャボ」なる人物もかかわっていない。

そうなると、あの本にあった「チャボ隕石孔」とは、いったい何だったのでしょうか?

2015/7/22追記 その後調べていたら、ちゃんとありましたよ「チャボ隕石孔」。1950年にダイヤモンド採鉱者のフレデリック・W・チャッブが空中写真で「発見」し、のちに上空から調査して「チャッブ隕石孔」と名付けたものだそうです。直径3440メートル。現在は公式名を「ピングアルイト」と名付けられ 、通称「ニュー・ケベック・クレーター」 ウィキペディアにも出ていました。だとするとこの「チャッブ隕石孔」を「チャボ」と間違えたのは、昔の本か、それとも私の記憶違いなのか?

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