ここ、何か写ってますね
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前にもちょっと書いたが、むかしは心霊写真にけっこう恐怖したものだ。
こわいというよりは、不気味、気持ち悪い、といった感情だろうが。
テレビや本で見る心霊写真の多くは、ボケボケの写真の一部に、なにやらタダナラヌものがボンヤリと写っており、誰かに「ここに写っているでしょ」と指さされて初めて「ああ、顔に(手に、人間に、幽霊に)見えるね」といったレベルのものだった。
そして、それゆえに不気味だった。
「これが幽霊ならば、普段もしょっちゅう見ていて、自分が気がつかないだけだったんじゃないか?」的な心理を誘ったからだろう。
シミュラクラ現象という脳の働きがあり、三つの点など、ある程度の状況が整うと、人間の目にはそれが顔に見える仕組みがある。心霊写真の大半はそれで説明できるのだが、頭でそう理解するのと、それを不気味に感じるのとは別物で、やっぱりじんわりした恐怖を感じるのは止められないものだった。
そんな心霊写真は今でもけっこう多いのだが、決定的に変わったことがある。
ここで関係ない話になるが、かつては竜巻の映像というのは非常に貴重なものだった。
考えれば当然のことだが、いつ、どこで発生するか予測不可能な自然現象である竜巻。
それが発生した時に、その場にたまたまカメラを持った人物が居合わせ、充分に撮影可能なフィルム(ないしはテープ)があり、撮影者が落ち着いてそれを撮影する。
こうした条件が偶然に揃うことは、非常にまれだったためだ。
ところが、近年、テレビやネットで竜巻の映像を見ることが多くなった。
理由は簡単だ。デジタル時代になって、撮影用の機材が爆発的に普及したからだ。携帯電話やスマホは、カメラと違って日常的に持ち歩くものだ。それも圧倒的に多数の人が。その結果、かつては非常にまれだった「撮影のための条件が全部そろう」こと、特にがめずらしくもなくなったせいだろう。
そのデンでいくと、心霊写真ももっともっと増えそうなものだが、どうなのかな(これはUFOにしてもUMAにしても同じだが)
心霊写真の場合、そうした時代になってから絶対的に変わったのが、その「質」だ。
かつてはほとんどなかった「動画」の心霊写真が、近年は増えている。かつては専用のカメラが必要だった動画だが、携帯やスマホの普及で、動画を撮影できるツールがぐっと手軽になったせいだ。
そしてそれを、誰でもが手軽に見せることができるツールも出来た。
ネットだ。
こうして、ここ最近は、ユーチューブなどのサイトで、動く「心霊動画」が次々に現われ、けっこう見られている。
これらは、かつての心霊写真とはまったく違う。
それはシミュラクラ現象に頼るような曖昧なものではない。ズバリそのものが写るようなものが多くなっている。
そして、こわくなくなった。
かつての心霊写真は、じわじわとくる怖さ、サスペンスの要素が強かったのに対し、多くの心霊動画は、予想外の箇所にいきなりそいつが現われる、サプライズ要素がほとんどなのだ。
物陰から「ばあっ!」と飛び出て驚かすたぐいのものだ。
これは、インパクトは合っても、あとを引く怖さはない。ビックリはしても、恐怖は感じない(まあ、そのほとんどが、見るからに作り物めいた、説得力のないものであるせいもあるだろう)
こうして、心霊写真というジャンルは、単なるビックリ映像大会になり、その恐怖は薄れてしまってきた。
心霊写真の歴史は古い。ほとんど「写真」というメディアが出来たころからあるものだ。
写真の発明は1839年の「銀板写真」の実用化にさかのぼる。その後に写真フィルムが発明されて写真は一般化するが、そうした時期に、すでに心霊写真は撮影されている。
1862年にボストンの交霊術師ガードナーが12年前に死んだ従兄が写っている写真を公表したのが最初だという。これは評判となったが、すぐに二重露出ではないかと言われたそうだ。時代が変わっても、人々の反応は似たようなものなんだな。日本でも、明治時代にはすでに死者が写っている写真が公表されている。
そういう意味では、それが本物の幽霊などであろうとなかろうと、心霊写真というものが、人々の心を魅了する要素を持っていることは確かだ。そういう意味では立派な文化といっていいかもしれない。
それが、コケ脅かしの心霊動画に堕してゆくことは、ひとつの文化が失われることになるのではないか。
ならないか(笑)
【本文はこれで全部です。もしもお気に召しましたらご寄進下さい(笑)】
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