輪湖相搏つ

先日急逝された元・横綱にして相撲協会理事長の北の湖が、生前に受けたインタビューに答えて「もっとも手ごわかったのは輪島さんだった」と述懐していたのを思い出した。さもありなん。そして、その二人が東西の横綱に並び立っていた「輪湖時代」は、私にとっても忘れがたい。

大相撲の歴史では、東西に強力な横綱が並び立って覇権を争った時代がいくつかある。

明治の昔の梅常陸(梅ヶ谷〔2代目〕と常陸山と)とか、昭和30年代前半の栃若(栃錦と若乃花〔初代〕)は見ていないが、その後の柏鵬(柏戸と大鵬)の末期からは、私も見ていて、北玉時代(北の富士と玉の海)が玉の海の急逝で中断してしまったのには衝撃を受けたものだ。

時代的にはその後に続くのが、第54代横綱・輪島と第55代横綱・北の湖がしのぎを削った輪湖時代だ。個人的な感想でいえば、両横綱の覇権争いは、上記した各時代や、のちの曙貴時代(曙と貴乃花)よりもダイナミックで面白かったと思う。

さてそんな輪湖時代の幕開けの名勝負といえば、なんといっても1974年名古屋場所千秋楽の決戦だろう。

この年の初場所に関脇で初優勝して大関昇進を射止めた北の湖は、夏場所でも優勝。まさに破竹の勢いで綱取りに挑んだこの名古屋場所も快進撃。千秋楽を迎えた時点で13勝1敗と単独トップ。

すでに横綱昇進はほぼ決まりで、あとは2場所連続優勝で仕上げをするばかりだった。千秋楽結びの一番、相手は2敗の輪島。いちおう優勝の可能性は残しているものの、両雄の勢いの差は歴然、と誰もが思っていた。

ここで輪島が意地を見せたのだ。

史上初の学生横綱からの横綱昇進を成し遂げていた輪島は、どちらかといえば現代っ子(古い言い方になったな)で、勝負に対する執念とかはそう感じられる力士ではなかった。見た目も相撲ぶりも天才肌だったせいで、そう見えただけだろうが。

ところが、この結びの一番で、輪島はそのイメージを一新した。勝利と優勝への執着、そして追い上げてくる者への敵愾心を、はじめて剥き出しにしたのだ。

本割の土俵。場内の歓声は北の湖。誰もが、史上最年少での横綱昇進をほぼ決めていた新ヒーローの誕生を歓迎していた。

そうした歓声をバックに、勢いそのままに攻め込む北の湖。輪島が土俵際へ下がる。次の瞬間、北の湖のその勢いを利用するかのように、輪島伝家の宝刀「黄金の左」からの下手投げが一閃。北の湖をあざやかに正面土俵に投げ飛ばし、優勝決定戦に持ち込んだのだ。このときの輪島の表情は、けっこう印象に残っている。

そして優勝決定戦。

再び攻勢に出た北の湖をあざ笑うかのように、ふたたび左下手投げ。まるで本割のビデオを見るかのように、同じ正面土俵に北の湖を投げ捨てて、見事に逆転優勝を手にした輪島。土俵に仁王立ちしたその姿からは、覇権は譲らんという執念みたいなものを感じたものだ。

大一番に敗れた北の湖は、じつは優勝した夏場所でも輪島には敗れており、この名古屋場所も含めて、このあと対輪島戦5連敗を喫してしまう。前記した「もっとも手ごわかったのは輪島さん」は、この時期のイメージからきていたのだろう。

この意識を北の湖が拭い去るのには、1年半以上かかった。というのも、この間に、輪島のほうが大スランプに陥り、1974年から1975年にかけて7場所優勝から遠ざかり、この間3場所連続途中休場などもあって、まともな対戦がほとんどなかったからだ。とてもじゃないけど「輪湖時代来る」どころではない状況だったのだ。

輪島不振のあいだは北の湖も苦戦し、人気大関の貴ノ花に2度にわたって優勝をさらわれ、また平幕の金剛にも優勝を許すなど、いまひとつ波に乗れず。1975年九州場所では関脇・三重ノ海に優勝を奪われ、3場所連続で賜杯を逃がしている。

そんな状態で迎えた、1976年の初場所

ようやく復活の兆しを見せた輪島は、初日・二日目と連敗を喫しながらも、なんとか立て直し、1敗で走る北の湖を追走。

そして14日目、先行する北の湖が敗れたことにより、いささか唐突ながら、東西両横綱の相星決戦が実現したのだ。およそ11年ぶりの相星決戦だった。おまけに、ともに不振からの脱出、復活優勝をかけての対決。どちらも譲れない、まさに「絶対に負けられない戦い」。千秋楽の土俵は、がぜん盛り上がった。

大方の予想は、追い上げてきた輪島有利。このときまでの対戦成績も、輪島の12勝5敗だったし、予想者の頭に2年前の名古屋場所の決戦がよぎったのは間違いないだろう。私の予想も輪島有利。

この日、なんという幸運か、私は祖父とともに蔵前国技館の二階席で観戦していた。あの時の緊張感と興奮は、数多く見てきた相撲観戦のなかでもトップクラスのものだった。

相星決戦は、左四つから、右上手を引いた北の湖が一気に出る。

またしても「あの一戦」が思い浮かぼうかという瞬間、ぐっと前に出た北の湖は、そのまま引っこ抜くように上手から引きつけて、一気に輪島を寄り切ったのだ。

満場騒然

その中で、私ははっきり見た。土俵下の輪島を見下ろしてから二字口へ下がる北の湖が、小さくではあるが、ガッツポーズをしたのを。

この一番を機に、北の湖がそれまでの輪島に対する格下意識を払しょくしたのは間違いない。そして、このとき初めて輪湖時代の幕が開いたのだ。

そのあとは言うまでもない。輪湖の両雄は、このあと5年にわたって優勝を独占に近い状態で分け合い、空前の対立王朝を築き上げていったのだ。

余談だが、後年引退して相撲協会の要職に就いた北の湖は、立場もあってか、しばしば力士の土俵態度に苦言を呈していた。外国人力士が増え、横綱審議委員会などがうるさくなった時期だ。ガッツポーズがいかんとか、ダメ押しはやめろとか、「美しい力士像」を守れとか。そんなのどうでもいいじゃないかと思う私は、そうした北の湖親方の発言に、ひそかにこうツッコんできたものだ。

「最初にやったのは、あんたじゃないか」

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