ジャッキー・チェンと勝負する(24)

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俗に「ジャッキー・チェンのアメリカ進出第1作」といわれる、1980年の「バトルクリーク・ブロー」の登場。

とはいえ、あまり計画的な「進出」ではなかったというのが定説。実際、この時の進出は成功せず、本当の意味でのアメリカ進出は「レッド・ブロンクス」まで、15年待たねばならなかった。

この時期のジャッキーは、初期の作品を手掛けた製作者ロー・ウェイのもとを離れ、レイモンド・チョウのゴールデン・ハーベスト社へ移籍しており、その交渉がこじれた結果、一時的に香港を離れる必要があったということらしい。このへんはいろいろ物騒な噂や伝説が飛び交射、いまでもハッキリした真相はわからない。

そんな緊急避難的なものだったせいなのか、「バトルクリーク・ブロー」は、ほとんどがアメリカ人スタッフと俳優で作られている。後の「レッド・ブロンクス」が香港のスタッフ、キャストを連れて行って製作された、まぎれもないジャッキー映画だったのとは、ここが決定的に違う。そしてそれが映画の出来に大きく影響している。

製作のフレッド・ワイントローブ、監督・脚本のロバート・クロース、音楽のラロ・シフリンらは、いずれも「燃えよドラゴン」の布陣と同じ。狙いはわかるが、残念ながら夢よもう一度とはいかなかった。「燃えよドラゴン」はスタッフ陣、とくに重要なアクション製作陣に香港スタッフが参加していた(撮影もほとんどが香港で行なわれた)のに、「バトルクリーク・ブロー」はそうではなかったのが決定的な原因だろう。その結果、数あるジャッキー映画の中でも、けっこう毛色の変わったものになっている。

ただ、公開当時はそれほど具体的な違いは感じなかった。というのも当たり前で、この作品、日本公開ではまだ5番目にあたるものなのだ。公開順でいえば、「ドランク・モンキー/酔拳 」「スネーキーモンキー/蛇拳」「クレージーモンキー/笑拳」「拳精」に続くもの。この時点では、こちらもまだそれほどジャッキー・チェンのアクションに親しんでおらず、具体的に何がどう違うのかは実感できなかったのだ。

ただ、違和感はあったし、映画そのものにも「それほど面白くなかった」という感想を抱いた。

ジャッキー映画を40年近く見てきた今ならば、その理由は簡単にわかる。

アクションの「受け手」がいないのだ。いうまでもなく、ジャッキー・アクションのベースはカンフーに裏打ちされたファイトが主だ。なので、ジャッキーの動きそのものがどんなに素晴らしくても、それの相手をする「受け手」がいなければ魅力は大きく削がれるのだ。この「バトルクリーク・ブロー」でジャッキーの相手をするのは、すべてアメリカ人の俳優とスタントマン、そしてプロレスラーで、残念ながらジャッキーのカンフーにきちんと対応できる人材はいなかった。「燃えよドラゴン」でブルース・リーの相手に、香港映画界のアクション要員をほとんど全員動員されたのとは、えらい違いだ。

若きジャッキーが躍動すればするほど、出来上がったアクションが、「相手が弱く見えるだけ」の情けないものになってしまったのも当然だろう。

おまけにクライマックスの格闘トーナメントに参加するのは、ハードボイルド・ハガティを筆頭にした、どうみても盛りを過ぎたプロレスラーばかりだ。これより以前に、テリー・ファンクをはじめ当時の一流どころのプロレスラーをズラリと出演させたシルヴェスター・スタローンの「パラダイス・アレイ」(1978年)があっただけに、プロレス好きの目に、その差は歴然だったのだ。

こうしてジャッキーのアメリカ進出は幻に終わった。まあ本人にも周囲にも、そもそも「この映画でアメリカ進出」という気概もなかったのかも知れない。

ところでこの映画のベースとなったプロット、「身内を人質にとられて格闘技トーナメント参加を強制される」というもの、どこかで聞いたことはないだろうか?

そう、ブルース・リーの幻の遺作「死亡遊戯」と同じコンセプトなのだ。前にも書いたが、1978年に完成した「死亡遊戯」は、リーが構想していたものとはまったく別物で、もともとのコンセプトがこれだったというのが定説になっている。ひょっとして、幻に終わったプロットを、「死亡遊戯」のプロデューサーだったレイモンド・チョウが、さらっと流用したのかも知れない。そういえば、クライマックスで、五重の塔でもないしジャッキーが闘うのでもないが、塔を使ったアクションもあったしな。

もともとの「死亡遊戯」をリーとともに手がけていたのがレイモンド・チョウなのだから、いまでは完全に幻となっているオリジナル「死亡遊戯」って、ひょっとするとこの「バトルクリーク・ブロー」でひそかに実現していたのかもしれない。

その「死亡遊戯」を1978年に完成させていたのが、ほかならぬ「バトルクリーク・ブロー」のロバート・クロース監督だったというのも、何かの因縁か。いや、「人の縁」とでもいうべきか?

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