神の怒り

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横綱・白鵬が33回目の優勝を成し遂げた。

文句なしの大記録だ。すなおに、この大記録を賛美し、これが成し遂げられた時代に生きていることを喜びたい。

なのに、またぞろケチが……。

優勝後の一夜明け会見で、白鵬が13日目の稀勢の里戦での「取り直し」を批判したことが、一部の人々に不評だったようだ。

横綱審議委員会でも「厳正な審判に不平をもらすのはケシカラン」的なコメントが出て、なんか理事長が注意することになったそうな(けっきょくは師匠が本人に注意し、理事長に謝罪して落着したようだが)。

しかし、横審の「厳正な審判」とかいうのも、ずいぶん古臭い感覚だよな。いまはテニスの試合だって、「チャレンジ」という異議申し立てと電子機器による判定が導入されているんだぞ。野球だって審判に対する抗議は(一定のルール内でだが)認められる。審判だって人間だし、間違うこともあるんだよっていうのは、世の趨勢なのだ。審判の判定は神聖だとか、今さらやめてくれ。

しかもこの場合、白鵬が不満を表明したのは土俵上の「審判」たる行司にではなくて、土俵下に座っているサブジャッジである5人の「審判員」に対してだよね。ホントに彼ら、「厳正」で「公平」で「正確」なのか?

行司は長年にわたって(立行司なら50年近くにわたって)土俵上のレフェリーとしての経験を積み重ねてきている。いっぽうで、サブジャッジの面々は、力士生活引退後に親方となり、相撲協会内の人事で審判員の地位につく。行司にくらべると、「審判」としてのキャリアはずっと短い。そもそも、何らかの研修とか講習とかいったレクチャーを受けているのか。

彼らが間違うことだってあるだろう。今回の判定だけを取り上げると、やや白鵬に分が悪そうだ(ビデオ見てそう思った)が、テレビで見ていても、アレレと思う判定はよくある。テレビの解説でも、時々疑問の声が出る。審判だって人間だし、それは5人がかりだろうが、いたしかたないことだ。

しかも、物言いがついたとき、土俵上での協議に行司は加われない(その場にいるが発言権はない)。レフェリーたる行司が、自分のジャッジの正当性を主張できないという、妙なシステムになっているのだ。

つまり、白鵬が不満を表明したのは、「今回の判定」そのものではなく、「判定を決めるシステム」に対して、なのではないのか。白鵬が言うように、力士たちは「命がけ」で相撲を取っている。なのに、判定システムが旧態依然で、力士がそれに不満を抱いているならば、ゆゆしき問題だ。相撲協会が取るべき方針は「白鵬に注意をする」ことではなく、判定システムの見直しと再構築ではないのか?

相撲は、フィギュアスケートや体操のような審査採点競技ではない。テニスの「アウトかインか」と同じく、「出たか出ていないか」「ついたかついていないか」を争う、ある意味非常に単純なスポーツだ。野球やサッカーと違って、競技のフィールドも非常に狭い。だから、電子機器での判定システムなど、そんなに難しい技術を使わずとも実現できるはずだ。

かつて、大鵬の連勝記録が45連勝でストップした相撲が「誤審」だったと騒がれて、初めてビデオ判定が導入された。その時は大英断と讃えられたが、あれからもう半世紀が経とうとしているのに、システムそのものは当時と同じ。今こそ、ふたたび大英断を下す必要があると思うぞ。

もうひとつ言っておこう。問題の一番、白鵬は土俵上では不満を表わさず、抗議などの行動は一切取っていない。場所が終了するまで待ってから、会見の場で意見を述べただけだ。これ、横綱としては充分に配慮された行動だと思うが(ただし公けの場である記者会見でいきなり持ち出したのは、あまり利口なやり方ではなかった)。

どちらにせよ相撲協会は、ただ白鵬に注意するだけでなく、きちんとした対応を見せるべきだ。白鵬は一人の個人であるだけでなく、全力士の頂点に立つ横綱なのだ。そしてまた力士会の会長でもある。その「横綱の言葉」を、単なる批判だなどと、軽く受け止めてはいけない。

土俵入りを見ればわかるように、なにしろ横綱は「神」なのだ。「神の怒り」をおそれぬ者には、バチが当たるぞ。

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