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教育とは結局何なのか

さて、ついに僕のnoteも96記事目になりました。半年前まで全く文章を書くことがなかったことを考えれば拙い言葉ながらも100記事近く書いていることは大きな成長だなと感じています。(笑)

さて、今日のテーマは「教育」とは結局何なのか。僕は去年リディラバで学校向けに社会問題の現場を訪れるスタディツアーを企画・運営し、また学校営業を通して100人近くの先生方とお話してきました。その中で教育とは何かということを考えることが増え、今までもいくつか自分の教育に対する仮説をnoteに書いてきたのです。今日は学校以外の場所も含めた教育について書いていきたいと思っています。そもそも教育というものは学校だけのものではないですからね、、。ただ教育というものは22の若造がちょっとかじって語れるほど浅いものではないため、ここで書いていくものは教育の中のほんの一部であることをご了承いただきたいです。(笑)

1.日本を変えるには教育を変える必要がある

これは多くの人が頭の中ではわかっていることは思うんですが、日本の教育水準が下がっていることはニュースでもよく耳にすることでしょう。ここ近年の日本といえば政治の腐敗やら学力の低下やら課題先進国やらなんだかいい話をあまり聞きません。僕らは親世代と違ってバブルを経験してませんし、物心ついたころにリーマンショックが起き(当時は何が何やらよくわからなかったけど)中1で東日本大震災が起き、そして今回のコロナ。正直日本の景気が良くて元気だった時代をほとんど知らずに生きてきた感じがします。だからこそ日本という国に対しての危機も肌感としてもあるしデータでもそれが示されている。ではこの日本という沈没しそうな船を再生するために必要なものは何なのか。それは結局教育なのだと思います。子供たちが良い教育を受けて、希望を持った上で能力も携えている。そんな子供たちを増やしていくことがこの国を良くするシンプルな手段です。

2.結局教育ということはどういうことなのか

今回このnoteを書こうと思ったのはNewsPicksの落合さんとシン・二ホン著者の安宅さんとの対談を聞いたのがきっかけです。この2人が日本の再生と教育というようなテーマで対談しているのを聞いていてめちゃくちゃ「これよ!!!」と共感することがたくさんあったのです。

ちなみにこの対談の中で語られている日本の教育の現状は主に2つ。1つは「大学という機関が機能していない」。もう1つは「日本の教育はマシンを生み出すためのものである」というもの。

1つ目に関してはこの対談の中で落合さんが言っていた「今の大学生って高校4年生~8年生をやっているだけで結局そのまま社会人になってそのまま死んでいくんだよ」という言葉こそが今の日本の教育をずばり言い当てているます。大学というのは本来研究機関であるはずなのにやっていることといえば「○○学」という名の暗記ゲーム。もちろんそうではないものものもありますが悲しいことにほとんどの授業がこれに当てはまります。僕も例に漏れず暗記ゲーをクリアする3年間を送っていたことを今深く反省しています。(今年はもっと目的意識をもって授業を受けるぞ、、!)

2つ目は「日本の教育は兵士やマシンを生み出すためのものである」というもの。具体的には「気をつけ、礼」といった謎のしきたりのようなものや、勉強でいえばさっき述べたような暗記科目。こういったものはもともと明治以降に兵士を大量に生み出すための装置としての教育であって令和の時代が急激に移り変わるような時代に適したものでは決してない。このことを理解していない人が多すぎるのではないかと思うのです。そしてこの暗記力を競う受験というものが人生のKPIになっている人が多すぎるのもまた問題で、こういう人はたいてい大学に入ってだれる。そしてただただダラダラ過ごして高校8年生(大学4年)を終え、高校9年生(社会人1年目)を迎えます。でもこれはでもその学生が悪いのではなく完全に社会の教育への価値観が問題なのです。ちなみにこれは就活も同じだと思っていて、就活をKPIにしている人はこの世にかなりいるけども、これも完全に受験戦争と同じ考え方で「世間的に価値のある企業から何個の内定を取るか」という謎のゲームになってしまっている。これもまた教育の残した負の遺産なのです。

3.私たちはこどもにできる教育とは何なのか

さて、ここからは自分が親になったことを想像しながら書こうと思います。(笑)とはいえきっと子育てって想像の100倍は難しいんだろうしうまくいかない気はしますが。

先ほど紹介したNewsPicks対談の落合さんの言葉で「子どもに刺さりそうな深い針を多く刺し続けることが教育に大事である」という言葉が、もうまさにそれだ!!!となりました。(笑)もう少し説明すると、よりよい教育をするためにはその子供が5年後10年後に思い出してこんなこと言ってたなぁと価値観を揺さぶれるような言葉をかけたり、体験の機会を与えることが必要であるということです。たぶんこれでもわかりづらいと思うので僕の体験を紹介します。

僕が今「あなたの人生が変わったきっかけはなんですか?」と聞かれたらまず「大学1年生の時に読んだホリエモンの本です」と答えます。でもこれってこのホリエモンの本を読んだ瞬間に人生が変わったわけではなくて正確には就活をしている時にふとホリエモンの「自由に生きたいなら生きればいい」「嫌われることは何も悪くない」といったような言葉を突然思い出して今の休学という決断の助けになったんです。ちなみにこの就活の時に大学1年で学んだコネクティングドットの話も思い出していました。つまりこの本や授業での学びがたまたま結果的に人生の転換点になったということです。ここでいうホリエモンの本や授業での言葉が落合さんの言う「針」であり、こういった刺さりそうな経験や言葉にたくさん触れさせることが教育において大事なのだと思います。ちなみにぼくはこの針をざっくり分類すると多くのロールモデルに出会う、多くの言葉に出会う、多くの体験をするだと思っています。

だから例えばリディラバでやっている社会問題の現場を訪れるスタディツアーの意義はその場で人生を変えることではないのです。(これは最近気づいたことなのですが)このスタディツアーの意義は多くのロールモデルと出会い、様々な言葉と出会い、したことのない体験をすることでそれらを5年後思い出したときに職業選択の参考にしたりとか10年後それがきっかけで旅に出たとか、そんないつ気づくかもわからない小さくて細い針を子供たちに刺していくことなのです。ただ、それはただ適当に針を投げるのではなくこどもたちの将来を思い浮かべながらより深く刺さる針でなければならない。安宅さんと落合さんはそう述べていました。

だから結局ありふれたことにはなってしまうかもしれませんが本当に良い教育とは学力を伸ばすことではなく、多くの人に出会い、多くの体験をできる機会を提供することなのだと思います。そしてさらに重要なのはそうやって学んだことを否定しないこと。たとえその針を売った結果オタクになって周りと合わなかったとしてもそれは悪いことではないのです。ビル・ゲイツの名言にも『オタクには親切に。いつか彼らの下で働くことになるでしょうから。』とありますからね。(笑)

逆に僕たち大学生の立場からいうと僕たちはその針を拾う努力をしなければなりません。針を打ってくれていても気づこうとしなければ素通りしてしまいますからね。だから僕はこれからも色んな人に会って、本を読んで色んな言葉に出会い、スタディツアーやイベントに参加するなど色んな体験をしていこうと思っています。

こういう積み重ねがこどもの価値観を変え、日本を少しずつ良くしていくのだと思うのです。今日は深夜テンションで書いているので少々踏み込んだことも書きましたがこの辺で終わりにします~

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