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スキャンダル報道に思うこと

先日、伊勢谷友介氏が大麻取締法違反で逮捕された。ドラマ、映画で幅広く活躍する俳優とあってメディアはこぞってワイドショーで報道した。世間では「まあクスリやっていてもおかしくはないよね」という声が多いようだ。やっぱり芸能人のスキャンダル報道はつい見てしまう人が多くて、今も昔も視聴率が取れる。

正直芸能人のスキャンダルなんて腐るほどあるし、もう腐るほど興味がないのだけれど、今回彼の逮捕のタイミングであえて取り上げようと思ったのはテレビでは見ない伊勢谷友介の一面のファンだったからだ。

そして一連の報道に対して言いたいことは「人は1つの言葉でラベリングできるほど単純ではない」ということ。ラベルとはその人を表す時に使う言葉だ。

彼には今回の逮捕で世間から「薬物に依存していた悪人」というラベルがついたことになる。(薬物使用者を無条件に悪人と呼ぶのがよいのかという議論は別にして)

一方で彼にはもう1つのもあると思う。それは「地球、日本の未来のために戦う社会起業家」としての顔だ。僕はそんな彼のファンであった。彼は自分がインターンしているリディラバのカンファレンスにも登壇して下さったことがあり、俳優をやる傍らで社会課題を解決する事業に力を入れていた。具体的には環境問題に取り組む「リバースプロジェクト」というブランド立ち上げだったり、自分で人生を選択できる人を増やしたいという思いではじめた「Loochs 高等学院」の事業だったりする。

彼の価値観を象徴する記事がある。読めばわかるのだが、彼の社会貢献事業は「宇宙人から見た人類の視点」から取り組んでいるらしい。もはや自分のが成功したいという欲や承認欲求を超えている。ものすごく視座が高く、こういった人が社会を変えていくんだろうなと思ったのを覚えている。

この予備知識を踏まえた上で今回の逮捕報道。他のスキャンダルニュースもそうなのだが、基本こういったスキャンダルの報道がなされる時、その人の人生は「終わったもの」として捉えられる。それは「○○の転落人生」といったような言葉で語られる。

そしてメディアでこのニュースを報じる時に彼につけられるラベルは「薬物に手を染めた、悪人伊勢谷友介」でしかない。「社会貢献をしていた伊勢谷友介」はここには出てこない。出てきたとも「社会貢献と言ってたくせに自分は犯罪者だった」という彼を悪く見せる材料としてしか使われない。

もちろん前提として薬物の接種を肯定する気などさらさらない。一方でこういったメディアの1つのストーリーに集約して伝える姿勢というのは少なからず私たちの「偏見」を生み出していく。あの人は「○○」、この人は「○○」そういったラベリングの罪にそろそろ気づいても良いのではないだろうか?

最後に彼は逮捕されてもまた復活してくると思う。なぜって彼は「宇宙人から見た人類」という高い視座で物事を見ることができるのだから。今回の件はもちろん反省した上でもう一度新しく地球のため、日本のためのチャレンジをはじめてほしい。


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