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子どもや生徒の夢を叶えるお手伝いが私にできること 荒川由香(28歳)

はじめに

地元日田で英会話講師として働く荒川さん。日田へUターンする4年前までは、JALのグランドスタッフやオーストラリアへの海外留学などいわゆる「花形」と言われるレールに乗っていた。そんな彼女は今、「夢を叶える手伝いをしたい」に毎日奮闘している。その原動力はどこにあるのか?荒川さんにその思いを伺いました。

荒川由香

あらかわゆか|英会話講師
1992年生まれの日田高等学校出身。母が英会話教室を経営していたことがあり、幼少期から英語に親しみ、高校卒業後は外国語専門学校へ進みJALや海外留学を得て現在は英会話講師として働く。

英会話教室の子

地元日田で母が英会話教室を経営していました。私も子供の頃から生徒として通っていたんです。なので、「英会話教室の娘」だっていう世間からの眼差しは子供ながら感じていました。それは2つ下の弟も同じだったと思います。そのプレッシャーを感じながら教室に通っていたので、ちょっと辛いと思うこともあったかもしれません。でも中学の頃テスト前とかに友人からの頼みで英語を教えていたりしてたのですが、英語と教えることに不思議と苦を感じなかったんです。その時初めて「意外と英語教えるの向いているのかも」と思ったことを覚えています。

ひょんなことから…

高校3年間は、応援団のチアダンスに励んでいました。英語は高校に上がって難しさを感じていましたが、進学は海外の大学進学を目指すため外国語専門学校に進みました。そこは海外留学のためのファーストステップで英語など海外留学に向けた準備をする学校のようなイメージです。
学校生活にも慣れたある日、たまたま学校でJAL求人情報を見かけたんです。母が以前、航空業界に勤めていたこともあってどこか親しみを感じ、挑戦してみようと思い応募したら内定をいただくことができたんです。もちろんその時は学校で海外留学に向けて勉強に励んでいましたが、海外留学のための金銭面的な不安もあったので、順番は逆になっちゃうけどJALへの就職を決めました。

再会がけじめに

JALではグランドスタッフとして働いていました。毎日充実した日々を過ごしていました。業務は大変ではありましたが、芯は強くすることができたとおもいます。忍耐力というか、ポジティブに考えられるようになったりとか。そんな中でも英会話講師への思いは、頭の片隅にありました。
ある時、父に再会する出来事があったんです。両親は私が7歳の時ぐらいに離婚していて、その時から父にはあっていませんでした。ただ同じJALで働いていたことは知っていました。そしたら母が当時の父の社員番号を覚えていて。(笑)その社員番号を検索したら、社員番号が変わってなく父にヒットしたんです!そこで連絡を取り、10数年ぶりに再会することができました。
それでなぜか達成感のようなものに満たされて。そこで自分のやりたかった海外留学をしようと決心がつきました。休職して留学後復帰することも選択肢にあったんですが、せっかくなら海外で学んできたことを活かしたいと思い、23歳の時にJALを退職することに決めました。

し、仕事がない!!

留学先のオーストラリアから帰国して、日田に帰ってきました。もともと日田に戻ってきたいという思いはありましたね。帰ってきたのはいいもの、、、私がやりたい仕事がないんです。他のことにも挑戦してみようと職を探してみたのですが、やっぱり私のこれまでの経験や英語を生かしたいな、、と。そこで最初は母が経営する英会話教室で働くようにしました。
そこでも初めは仕事がなかったんです。(笑)

 従業員といってもフリーランスに近い形態で、自分で仕事を開拓する必要がありました。母が手が回らない仕事を手伝ったりはしていたんですが、それだけではやっていけないので、自分で自分を営業したり、どういうところに営業すれば仕事がもらえるかマーケティングの勉強してみたりとか試行錯誤でした。今となっては、勉強するいい機会だったと思います。
今では大人の生徒さんから「うちにチラシ貼っていいよ!」とか、みんなが手を貸してくれます。日田は自営業の人が多いし、小さな地方都市だからっていうのもあるかもしれないけど、人の温かさや人の繋がりの大切さをひしひしと感じますね。趣味でやってるフラダンスでも、いろんな人との出会いがありました。

志を高めるサポート

今では、子供から大人まで幅広く英語を教えています。内容も「TOEICスコアを3ヶ月で100アップを目指す」ためマンツーマンで教えることもあれば、観光業を営まれてる方に接客に必要な簡単な英語を教えたりとか幅広いです。
そこで感じるのは、「本当に努力したもの勝ち」ってこと。「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」っていうことわざがあるんですが、まさにその通りで、英語を教えても、その先は本人の努力次第で成績が大きく変わるんです。その人に合った学習方法もそれぞれ違いますし。だから私の教室では、英語の勉強方法はもちろんですが、いかにモチベーションを高く維持させるかを意識して教えています。
また、特に子供達には今後社会に出る上で必要な人間力も養えるようにしています。母の英会話教室のモットーが「世界に通用する人を育てること」なのでそれを私も継承しています。なので競争心を育てるとか、人としてもプライドを持たせるとか、学校では教えないようなことを指導をしてるかもしれません。親御さんからも「悪いことしては、しっかり叱ってください!」とおっしゃっていただけるので、時には心して叱っています。

夢を叶えられる教室に

日田に帰ってきて、福岡とかでも英語を教えているんですけど、日田の子供ってしっかりしている子が多いなっと感じます。(思い込みかもしれませんが。笑)それは、日田の豊かな自然や温かい人に囲まれてのびのびと育っているからかもしれません。私もそんな日田が大好きです。
私は都会でも海外でも暮らしたことがありますが、都会に住まないとわからなかったこと、その逆で日田に住まないと見えなかったことがたくさんありました。日田は確かに都会に比べればチャンスの多様性や機会は少ないかもしれません。都会でしか学べないこともたくさんあります。それは都会では常に周りと比べ競争しなければならないことも意味していると思います。その反面、日田では自分個人と向き合う時間が多いです。それは世界を渡り歩く上で必要な「ピュア」な心を育むにはうってつけの環境です。日田で育つ子どもたちにはそのチャンスがあります。
私は、子どもや生徒さんが夢を叶えられる教室にしたいです。英語は夢を叶える一つの手段でその先にある夢に向かって突き進めるためのサポートがしたいです。そのために私も英語のさらなるスキルアップはもちろんですが、他にも何ができるかを考えて幅広くいろんなことを伝えられるように勉強してます。

編集後記

日田に帰ってきて、自分の経験をいかし、いろんな事に挑戦している荒川さん。インタビュー中に荒川さんから出てくる言葉の数々は、経験に則ったためか熱を帯びて心の奥まで伝わってきました。何事もポジティブフィルターにかけ、前向きな言葉に変換して返答してくる彼女に私たちインタビュアーはどこか背中を押された気分でした。
これからますます活躍の場を広げるであろう荒川さんに同じ地元出身者そして同年代として誇りに思う存在です。

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