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常に自分らしく前進あるのみ(後編) 大友宗一郎 (28歳)

前回の振り返り

大分県内のとある県立高校で英語を教える大友さん。前編では、自由な環境で育った小学校時代の話や、野球に熱中していた中学生時代、そして教師を志すきっかけとなった出来事を語っていただきました。後編では、本格的に教師を目指す道すじを辿っていきます。

(前編)はコチラ ↓↓ 

10年後のゴールへのスタート

高校1年生の家庭科で自分のライフプランを作成する授業がありました。その時は作ったライフプランは「28歳で結婚したいな」などぼんやりしたものだったかもしれませんが、その授業がライフプランを考えるきっかけとなりました。そんな折に「人の役に立てる教師か弁護士になってほしい」という父親の思いを知って、高校卒業から10年後に教鞭を執る姿をゴール(もちろん28歳で結婚も含まれてます!笑)にライフプランを作りました。
ライフプランでの最初の関門は大学進学でした。ですが初っ端から上手くいかなくて(笑)。受験した国立大学は2次試験で落ちちゃったんです。そこまで強いこだわりはなく、国立大学だったらどこでも良いというスタンスでしたので落ち込みはしませんでしたが、自分の決めたライフプランを辿るはずが早速横道に逸れてしまいました。浪人も頭を過ぎったのですが「28歳で結婚したい」「海外留学したい」という思いと自分のマイペースな性格を考慮し、浪人せず福岡の私立大学に入学しました。
高校の卒業式当日は、最後のホームルームでクラスみんなの前で宣言したんです。「10年後、私は高校の先生になって、高校3年生を受け持って、先生という立場でこの場に立って話をしたいです。そして10年後に夢を叶えたみんなと再会したいです」と。その時のことをどのくらいのクラスメイトが覚えているかはわかりませんが(笑)。

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教師になる目的が明確になった海外留学

海外留学先はノルウェー(北欧)でした。元々は「アメリカ」や「イギリス」を留学先としたライフプランを作っていたのですが、大学入学してからは全く勉強に手がつかず学内の合格基準を満たせなかったんです。そこで他国への留学先を決める上で「一生行かない国ってどこだろう?」という視点で考えた時に出会ったのがノルウェーでした。「せっかくなら一生経験しないことを今のうちにしよう」と思い、ノルウェーを留学先にしました。
ノルウェーへの留学は大成功だったと思います。ノルウェーは調べれば調べるほどノルウェーの魅力にハマっていきました。最近では「世界幸福度ランキング」で常に上位に入っている国としてニュースでも取り上げられていますが、国土面積は日本とほとんど変わらず、人口は日本の1/20。それなのに人口一人当たりの名目GDPは常に上位(19年はノルウェーは世界5位。日本は25位)、という面白い国です。
 留学中は座学はそっちのけで、ノルウェーでしか学べないことに注力していました。その一つが「教育」についてです。ノルウェーの子供達には「国のために何かしないといけない」というマインドが芽生えているんです。それには子供達でも感じられるほど非常に整った「福祉」が影響していると思います。その福祉の恩恵を受けている子供達が「国への恩返し」や「福祉の仕組みを守るため」などの思いに繋がって、能動的に勉強に励んでいると感じました。それがノルウェーの教育の礎になっていると思います。日本で少し教育学をかじっていた私は日本の教育に非常に危機感を感じました。物資的にも乏しい日本がこのような国と戦っていくためにはどうすれば良いのかを真剣に考えました。そこで出た結論は「世界で通用する人材を育てること」でした。日本の強みは「日本人そのもの」であると思います。日本人の「勤勉性」だったらどの国にも負けないだろうと。これをきっかけに「教師になる」という夢が「世界に通用する生徒を育てる教師になる」とビジョンが明確になりました。今の仕事には非常にやりがいを感じています。


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語れない悔しさ大学院時代

 実は大学院にも行ってるんです。しかも縁もゆかりもない東北の国立の大学院へ。大学院の進学は大学入学時から考えてました。きっかけとしては少し国立大学に行けなかったという劣等感があったというのが正直なところですが、その中でも東北の大学院を選んだのも留学先での出来事がきっかけでした。
その経験とは、留学先でスペイン人の友人から「3.11の後、FUKUSHIMAは今どうなっているんだ?」と何気ない質問を受けたことです。恥ずかしながら何も答えられませんでした。3.11はちょうど高校を卒業する年に起きました。当時は日田高校を卒業する同級生の中から有志でスーパーマーケットで募金活動をしたり、大学生になっても東北出身の友人ができたりと3.11とはなんとなく関わっていると思っていた自分がいました。ただそれは空虚で、実際は何も知らなかったんです。「募金活動の時になんでもっと関心を持って調べなかったんだろう」「東北出身の友人になんでもっと3.11のことを聞かなかったんだろう」と心の底から後悔し、自分を責めました。それまではグローバルなことに興味がありましたが、その時から「海外に目を向けている場合ではない、まずは日本のことを知らなければ」と考え方が変わりました。そこで実際に足を運んでみないとわからないことがあると、自ら東北のことを知るために東北の大学院へ進学することにしました。


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10年後の自分

実は今年がちょうどライフプランを作成して、ゴールとして設定した年なんです。そして、今年は高校3年生の担任をしています。100%とはいかないもの、高校卒業時の宣言通りに夢を叶えた自分がいます。ただ実際は過去10年間を振り返ってみるとそれぞれのステップで目標にしていたこととは違う方向に進んでいるです(笑)。それでも自分の軸をブラさずにやってきたことで紆余曲折しながらも夢を叶えることができました。秘訣と聞かれると明確なものなないのですが、やっぱり自分のやりたいことをやってきたことかなと。これが大切なのではないかと思います。
今担任させてもらっている生徒たちには、よく自分の大学時代の話や小学生時代の話をします。ここでも父親の話になりますが、父親から「勉強は教科書から学ぶのではなく、遊びから学ぶものが多い。うまく行かないことをどうしたらうまく行くように出来るかを考えることが遊び」というを教わったことがありました。面白いと思ったことを真剣にやってみること、それを教えていくのが教育の意義ではないかと考えています。なので私は、自分の原体験をもとにやりたいと思ったことは失敗してもいいからやってみることの大切さを伝えています。
日田の子供達にも伝えたいのですが、自分の本当にやりたいと思うことややってみたいことをやってほしいです。やってみないとわからないことがたくさんあります。そして必要ならばどんどん外の世界に飛び出してほしいです。ただ、忘れて欲しくないのは生まれ故郷との繋がりを大切にすること。特に日田はそうなんですが、地域社会で子供達を見守ってくれています。本当にありがたいですよね。それは逆にいうと狭い世界で生きていると思うかもしれませんが、その中でも学べることはたくさんあると思うんです。このあたたかい地域で生まれたことを誇りを持ってやりたいことをとことん突き詰めてもらえたらと思います。

編集後記

自分の軸をぶらすこと無く、10年後の目標を達成した大友さん。マイペースな印象がある大友さんですが、真には強い志を持って、やりたいことにストイックに取り組む過去の経験を聞き、胸が熱くなりました。大友さんもとから世界へ羽ばたく生徒が一人でも多く飛び立つことを影ながら応援していきたいと思います。

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