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人を笑顔するコツは、ミツバチとの丁寧なコミュニケーション        諌山洸武(28歳)

はじめに

2年前に祖父が営んでいた養蜂場を継ぎ、毎日休むことなく山へ向かいミツバチの世話をする。一見地味な仕事に見えるが、そこには想像を超える肉体労働と緊張感がある。だが、文句を言わずに働く彼には、「日田の人に美味しいハチミツを食べてもらいたい」という強い想いがあった。その掻き立てられる想いはどこから来るのか。お話を伺いました。

諌山洸武(28歳)

1992年生まれの日田高等学校出身。在校中はサッカーに明け暮れる毎日を過ごす。大学卒業後、藤井養蜂場で3年間の修行を積み、祖父の営んでいた諌山養蜂場を継ぐ。

幼い頃に見た祖父の姿

諌山養蜂場は祖父が始めました。祖父は1人で毎朝山に入り、汗だくになりながら夕方帰宅しする生活リズムでした。時々ハチミツ採集など祖父の手伝いなどもしていたせいか、祖父のハチに対する真剣な眼差しを目の当たりにして、幼いながら「かっこいい」とどこか思っていたと思います。両親は共に全く違う仕事をしていたましたが、なぜかその祖父の姿にいつか憧れを抱く自分がいました。

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大学に入り将来に悩む

高校は日田高校に入学し、サッカー部に所属してました。飽きっぽい(諦め癖のある)性格で学校の勉強はいまいちやる気が起きませんでしたが、サッカーに関してはチームメイトと毎日真剣にボールを追いかけてました。高校卒業が迫り、周りは受験勉強に明け暮れる毎日を過ごしている中、自分はなかなか将来のことを思い浮かぶことができず、「適当に就職すればいいや」とぐらいにしか思っていましせんでした。ただ、サッカー部の恩師であり、担任のS先生から大学に行くことを勧められ、福岡の九州産業大学に入学しました。
大学に入ると授業はろくに出ず、バイトや高校の頃の友人と遊ぶ毎日。そんな中「大学に通う意味」を見出せなった時期が早くも大学1年の時に来ました。「なんで大学に入学したんだろう?」と考える毎日。当時は「就職してサラリーマンになるのは向いていないな〜何か、職人になりたいな」とぼんやりと考えていました。そんな時にふと思い出したのが祖父のハチと向き合う真剣な眼差しでした。その時にふと・・・「祖父のあとを継ごう」と決心しました。

認めてもらうのは一苦労

大学をやめる決心もし、両親に相談しました。両親はもちろん反対。両親も養蜂場経営の厳しさを知っていたので、大学を卒業し、サラリーマンとして働いて欲しかったようです。友人からの説得もあり、大学をやめることは諦め卒業することを選びましたが、養蜂場を継ぐことは諦められませんでした。そんな思いが伝わったのか両親の方が折れ養蜂場を継ぐことは認めてくれました。ただ、肝心の祖父は認めてくれませんでした。もともと自分の代で廃業する予定だったみたいです。在学中に何度も話し合いの場を設けましたがなかなか首を縦に振ってはくれなかったです。
そこで、祖父の親方である朝倉の藤井養蜂場に電話し、「諌山養蜂場を継ぎたいから、修行させてください!」と直談判しました。そこで祖父に藤井養蜂場から連絡がいき、最終的にはしぶしぶ認めてもらったという感じでした。今となっては大胆なことをしたものだと自分でも思っています。(笑)

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ハチを追いかけ日本全国を駆け回る

大学卒業後、藤井養蜂場の門を叩きました。そこから3年間は怒涛の日々でした。朝から晩までハチの世話はもちろんですが、青森でリンゴの花が咲けば青森にいき、別の花が咲けば北海道に行ったりなど季節に応じて日本中を駆け回っていました。しかもトラックで。冬になると寒い地域のハチを九州に運ばなければならず、しかも出入り口を塞いで長時間ハチを一箇所に閉じ込めておくと自ら熱を作り自滅してしまうので、秋になると北海道から1日トラックを走らせ、九州まで戻ったりしてました。しんどい毎日でしたが、なぜかやめようとは思いませんでした。飽きっぽい自分としては考えられないですね。(笑)
3年後、修行を終えやっと諌山養蜂場で働くことができました。はじめの方は祖父と一緒に作業をしていましたが、繁忙期を除いて今は1人で行っています。

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ハチにも思いが伝わるんです

2月終わり頃から10月までがハチの活動時期です。特にハチミツを採集する4月から6月は繁忙期に当たります。ハチミツがたっぷり積まれた巣枠を回収し、遠心分離機でハチミツを取り出す作業は地味ですが、非常に重労働です。
養蜂場は全部で10箇所程度あります。毎日2箇所ほど訪れ、ハチの様子を観察したし、巣枠が足りなければ付け足したりしています。夏の時期は天敵であるスズメバチが蜜を目当てに巣箱を襲ってくるため罠を仕掛けたりして対策を練っています。
ハチに刺されることはないのか?とよく質問されるのですが、面白いことに丁寧にハチを世話をしていたら、襲ってこないんです。だから僕はハチのことを家族と思ってお世話をしています。しっかり気持ちが伝わっているのかわかりませんが、仕事を続けられる一つの原動力です。時々刺されることはありますけどね。(笑)

日田の人に美味しいハチミツを届けたい

嬉しいことにハチミツは健康や美容にも効果があるので、「単価を上げたり、ネットショッピングとかで販路を広げればボロ儲けだよ」とか「ブランディングをしっかりして認知度をあげたほうがいいんじゃない?」などアドバイスをもらいます。確かに規模を大きくしたいとか、もう少し裕福になりたいという思いはあるのですが、それよりも日田の人に美味しいハチミツを届けたいんです。祖父が作ってくれた諌山養蜂場ハチミツのファンやこれから日田で共に暮らす人に美味しいハチミツを食べて欲しいんです。地元の方々への恩返しとでもいうんですかね。その想いの方が強いので、とにかくハチと向きあることに専念しています。ハチにも気持ちが伝わるので、その分美味しいハチミツを作ってくれると信じています。規模拡大や儲けなどは二の次ですね。

※蜜蜂の飼育は、県の定める法令に基づき、許可を得た上で実施しています。


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編集後記

記念すべき1本目の投稿ということで、日田高校時代の友人の諌山洸武くんのお話を聞きました。

高校時代の印象から違って、養蜂家としての職人の顔を垣間見ることができました。取材が終わったあとの夜の飲み会では、高校時代の物腰の柔らかい優しい洸武くんの表情に変わってましたけど。(笑)

改めまして協力頂いた皆様、ありがとうございました。今後も日田で頑張る人にフォーカスして取材をしていきたいと思います。ご協力宜しくお願い致します。

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