この町でもなにか役に立てるかもしれないという期待感(大分県のこと)

 僕は、大分県内でも小さな町(人口6万人ほど)の日田市で映画館を営んでいる。”映画館の事業者”という視点から全国を見渡してみると、これほど規模の小さな町にはもう映画館はなくなってしまい、壊滅状態であり絶滅危惧社(社の上にチョンを)。地域的に言えば、限界集落といった状況ですが、なんと今年で、この映画館が10周年を迎えることができました。

 ”絶対に無理だ”と言われていたことが、どう計算しても採算が合うはずがないと思われていた夢や奇跡みたいなことが10年も続いたことは、僕の想像も超えていると同時に、各地でがんばっている皆さんにも(この辺境での活動が)届いていることに驚きと喜びでいっぱいです。デザインがどういったもので、デザインとは、、、ということは僕には分からないけれど、ひとつ言えることは、この地での活動が国内外関係なくきちんと届くという事実。それは、良いデザインであれば次第に世界中に広がってゆくことと同じではないか。要するに、それをやっている人の哲学や想いや理想や希望…が、誰かの兆しになれるのであれば、それは次第に広がってゆくと、そう思えるようになりました。そしてそれは必ずしも都市でなくともできるということに気付かされました。

 そして大分県内でも、友人たちが面白く頼もしい活動を続けています。杵築市にて古楽器製作をするカテリーナ古楽器研究所では、日本の樹木や竹などから古楽器を製作しており、それだけでも興味深いが、代表の松本未来さんは、”暮らしの中からうまれるもの”を大切にしているのでお米も自分たちで作っているし、いずれは一緒に楽器の森をつくっていければいいよね、と話しています。森をつくるなんて100年はかかることだと思いますが、その気持ちが大切ですし、ワクワクしますよね。それはまさに、地方だからこそできるものだとも思います。森と共に生きていこうとする姿をこどもたちにも体験したり、見て欲しいですね。他にも、産地で学び、全国でも大活躍中の陶芸家の方々も、東日本大震災後に大分県内に窯を構えてくれています。焼き物も自然のものからの恵みで生まれ、煙も出るので、それが実現できる土地があるということが大きな条件、そういう意味でも大分県というフィールドはとても価値があるのだと言えます。なので今は、梯哲哉さんという大分県在住の料理人と、大分に住んでいる陶芸作家のうつわをメインに、県内の各市町村の料理人や食事処を回り、腕をふるう企画も始めようと話し初めています。

他にも大分市のカモシカ書店では、店主の岩尾晋作さんが本や本屋さんを中心に集まる人たちと共に、自然発生的に様々な仕事を担っていたり、別府市のSPICAという雑貨・古道具屋さんでは、現在全国的に活躍中の作家さん達の発表の場にもなっており、大分に住んでいる人でもいち早く実際の作品に触れることができる場所として定着しています。竹田市でも県外からの受け入れを行政とともに盛んに行っており、全国各地の限界集落へのひとつの提案になっているのではないかと感じています。日田市でもヤブクグリという林業支援団体が生まれ、きこりめし弁当というデザイン会に衝撃を与えたお弁当(ADC賞受賞)や、森の幼稚園が生まれたりと、自然と向き合い、活かす活動をする団体も増えてきている印象があります。それは震災以降に全国で起こった動きでもあり、これらの活動をライフワークのように続けてゆくことで、次世代へと新しい価値が生まれてゆくのではないかと期待しています。都会から企画を持ってきたり、早く情報を仕入れようとする時代から、大分で暮らす僕らの暮らし方や営みが、どこかの誰かの兆しになるのだという、生活当事者の素直な想いこそが、最も重要な時代になってゆくと確信しています。いつの時代もそうなように。

 この映画館がどれほどの価値なのかは、僕には見当がつかないけれど、 ”この町でも、こんな自分でも何かやれるかもしれない、役に立てるのかもしれないという期待感”が誰かの兆しにもなっているのかもしれません。そして、その手段として、場所やデザイン、写真や言葉、芸術、、、など様々な活動が存在するのかもしれないですね。

 ある意味、都市部から影響を受けにくい大分という場所だからこそ、僕ら自身が自発的に、土地と向き合いながらよりよい暮らしを追い求めていければきっと、魅力的な地域になっていくと思っています。そして、タイミングや考えが合えば一緒に活動するというような、ゆるやかな繋がり(隣人愛)を大切に、これからも生まれ育った大分でのびのび生きていきたいと思っています。

寄稿文。

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