学芸員が持つ大きな可能性

 僕はこれまで、学芸員という職業の方たちの仕事がよく分からず、日本の美術館に人が少ないことやなんかを、どこかで学芸員のせいにしてたと思う。

 そんな風に思わせてくれるキッカケをくれたのが”たびするシューレ”だった。

 僕は、人口6万人ほどの小さな町で映画館を経営し生計を立てている。その映画館は、日本で1番人口の少ない町にある常設映画館で、しかも個人事業主。なので映画を見てもらう為、全身全霊、試行錯誤の毎日だ。”この町で映画を観てもらう為には”を考え抜き、様々な試みを続けてきた(そう聞くと、全部自分で企画しているように思われてしまうが、ほとんどが依頼されての実現。それがこの映画館の特徴でもある)。そうやって、存続だけでも奇跡だと言われてきたことが、11年続いている。もちろん、生活はいまだ困窮し厳しい状況に変わりはない。だから、安定した給与も予算もあるなら、もっといろいろできるはずだと、心のどこかで思っていたのだと思う。まぁ今でも全くそう思わないわけではないけれど、新見さんの講演を聞いてから考え方が大きく変わったのだ。

 新見さんの講演を聞いていると、学芸員たる圧倒的な知識を背景に、彼独自の想像的で創造的な視点が加わり、僕の脳ミソの”より良い未来を思い描く部分”が活発に動き出したような幸福感に包まれた。ワクワクするのだ。いわゆる学校の授業とは違う(本来違ってはいけないと思うが)、生きてゆく上で最も大切なものを教えてもらえたような、いい映画を観た後のような、幸せな気分になったのだ。本人に直接言えないが、本当の意味で優しい人なのだろう。”あぁ、うるせー”と否定する顔が目に浮かぶ。

 それから僕も、もっと社会や学校に飛び出していきたいと思うようになった。学芸員の資格を取りたいと思うほど。しかし僕はすでに同じ想いで活動している。学芸員たちは、社会や学校に飛び出していき、こどもたちの前に頻繁に現れていって欲しい。きっと、その先にあるものが”美術館に行く” という行為だから。

 最後に、キュレーションの醍醐味を新見さんに聞いた。彼は『アーティストが作品を作るのは、心の底に”今のこの社会は駄目だ、これじゃ人間は本当には幸せになれない”という反骨心があるからだ。だから、アートや美術館(映画館)は、政治や経済ができないような社会革命・人間革命をやっているんだ』と答えてくれた。この言葉が、これからの自分の活動の原動力になってゆくだろう。だからこそ、この町に流れる美しき大河・三隈川のように、絶えず脈々と流れるものとして、この言葉を、その想いを、今日も誰かの心に届けられたら、いいな。

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