”どうか忘れないで”のメッセージ

昨日から『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の上映が日田リベルテでもようやく開始できた。僕の立場からすると、この映画の上映をこの日田の地でできること自体が素晴らしいことなのだが、もう11年経つと、この奇跡も当たり前のことのようになってしまい、有り難さよりも、遅い、古い、狭い、小さい作品しか流さない…と言われる(もちろんそうでない人もいる)。ま、仕方ない。その通りであるし、お願いしてもシステムとして上映できない訳だし、場所もそもそもあった場合が2回閉館し、そこで始めているし、そのようなことを知る(知りたい)人は誰もいないのだから。本屋のように発売日を一緒にできもしないし、良さそうだったらと持って帰れないし、時間をあらかじめ拘束される、とっても苦しい仕事である。だから、全国にこれだけ映画館が無くなったのだから。ま、仕方ない。分かってて始めたのは僕だ。そんなことが当たり前になってしまったとしても、映画は決してつまらないものではないから、違うから、ひとりでも分かってもらえるように伝えていくしかない。

この世界の片隅に

 人は、実際に確かめもせずに評価を下してしまうことがよくある。暇だとつぶやいていた時代はいずこへ。社会へ出て気がつくと、自分の周りの世界だけでいっぱいいっぱいになっている。もちろん、それで幸せならいいけれど、戦争は国が起こしたりする。僕らが選んだ政治家が、僕らを戦場に送ったりするから、だからこそ、この社会にも関心を持ちながら、そして周りの人の幸せも願いながら暮らす”心がけ”が大切だ。そして、その社会の窓が映画だ。本や音楽、芸術だ。良し悪しではなく、窓。

具体的には、 ”なぜ今『この世界の片隅に』がヒットするのか。と考えるということ”だと思う。

前の作品の方が良かったとか、今回の方がいいとか、現場ではすでにいろんな言葉が飛び交う。いつも手厳しいのはお客さんの意見。これが僕には1番参考になってはいる。ニヤニヤして聞いている。では、作者たちはどうだろう。なぜ再編集をしてまたこの世の中に、僕らの前に、すずさんを送り込んだのだろう。。。と考えてみる。世間からはいろんな意見が出ることは分かって世の中に出している。賛否を受け入れる覚悟だ。もちろん、空前のヒットになったのだからまた稼げるという考えもあるのだろうが、僕には、”どうか忘れないで”というメッセージがあるようにしか思えない。タピオカのように、また次のトレンドが出るまでということになってはいけない、何か。そうやって過ぎてゆく現代だけど、今や普通が、当たり前がそうかもしれないけれど、それでいて欲しくないものがある。みんなが、すずさんを心の中に生き続けさせることができたら、戦争は起きないだろう。

この世界2

でも、この物語は実際にあったことであり、また起こるかもしれないことだ。すずさんは普通で当たり前で、紛れもなく僕らだ。忘れた頃に同じとが起こることは歴史を見ていてもわかる。この話は、首相でも、防衛大臣でも、自衛隊でもない僕らの物語で、また起こってしまってはいけない物語だ。まずはこの想いを形作って、見てもらうこと。そして、もし共感してもらえたら、なにか行動してもらえればという思いも含まれる。もちろん、直接そう言ってはないけれど。作品が語っていることは、いつもあるから、耳を傾ける。

それでも、一度見たからもういいかな、と言われたりする。だからと言って僕はこの仕事をしている以上、1人でも多くの人に見てもらいたい。また違った姿のすずさんを知ることで、すずさんはもっと心に深く残る。平和だからこそできるこの暮らしを、できることなら1日も長く続けていたい。この1日も、当たり前に成り下がってしうのかもしれないが、その当たり前こそ素晴らしき人生だ。と、僕は思っている。そのことを知れば、毎日が薔薇色だ。あ、これは宮本(『宮本から君へ』)のセリフだ。もし、毎日薔薇色で生きていることが当たり前なら、戦争は何色だ?美しい色ではないことはわかる。先輩たちも人生をかけて、反戦を言い続けてくれている。

この世界

すずさんは、将軍でも隊長でも兵士でもない、広島生まれで呉に嫁いだ、絵の好きなちょっと抜けた普通の女の子。そう、ぼくらそのものだ。大切な右手も、それ以上のいろいろを失っても、懸命に生きる。彼女の願いは、いったいなんだろう。そう考えてみると見えてくる世界があって。それを、監督は僕らひとりひとりに思い描いて欲しいのだろう。

”どうかこの僕らの物語を忘れないで”という想いとともに。

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