僕らの美術館

香月泰男との運命

 7/27 ぽかっと時間が空いたので、急遽、山口県三隅町にある香月泰男美術館に行くことにした。それは、ちょうど今開催されている日田市所蔵美術品のコレクション展のキュレーションを任され、メインの作品として香月泰男さんの「赤い花」を展示させてもらっているからだ。僕はこの、小さな作品がとても好きで、物理的には小さいけれど、精神的にとんでもなく大きな世界を感じている。僕の営んでいる映画館にも通ずるとか勝手に思っていたりもした(きっと僕は、そういった世界観が好きなのだろう)。それで、閉店作業をしていた時に、急にこう、ピン!と、行こう。と、なぜがそうなったのだ。

 翌朝に日田から出発すると3時間以上かかるので、その日のうちに山口まで移動しておこうと、宿をとった。寝るだけなので格安の宿泊代から探して、朝ごはんは唐戸市場で食べたかったので、場所は下関市に絞った。幸い、大浴場が付いている安宿が取れた。これで、着いたら仕事の疲れも移動の疲れも一緒に取ってくれると思えば、仕事終わりのロングドライブも楽しめるというものだ。僕はこんな風に、いちいち楽しみを未来につけておく癖がある。きっと飽き性だからなのだろう。

 ギリギリお風呂に入れる時間に着き「ビジネスホテルだったらお風呂くらい深夜0時くらいまではやっててよー」…とか、言いながらも気持ちよく眠れた。たまの外泊はいつも違うメリハリがあり、ぐっすり眠れるようだ。翌朝、唐戸市場で朝ごはん。初めてだったので調子がうまく掴めず市場を徘徊していたが、次訪れる時にはしっかり楽しめるプランが頭の中にしっかり残った。いつ行こっかな。

 さて、赤間神宮にご挨拶してから、北に向かおう。中国人観光客がひしめき合う境内は、僕にとっては異様で落ち着かなかったからすぐに出た。でも、誰もいない奥の要所、平家のお墓群にはお参りできた。実はここが核なのだろう。耳なし芳一さんもいて、びしばし肌が震える。ここを誰かが護ってきたのだろう。

 美術館に行く途中、俵山温泉街の近くには「ロバの本屋」がある。リベルテから発売している音楽作品:青木隼人『日田』も取り扱ってくれている。ヤブクグリの冊子も。こんなにもお世話になっているから、どうしても行きたかった場所だ。店主のいのまたさんとは、一昨年の忘年会を日田で一緒に過ごした間柄だ。三隈川が一望できる旅館で、僕以外みんな浴衣で、昭和の忘年会って感じで愉快だった。山下かばん カオリさんと、Tohki 中ちゃんが呼んでくれたご縁だ。この2人には映画館共々お世話になってばかりだ。途中、俵山温泉街に誘われ、ひと歩きした後に到着。なんと誰もいないではないか。金曜定休日と書いているではないか!いつから?(実際には今年から金曜休みにしたらしい)とか頭がクラクラしてたけれど、本を買えないにしても、ここまできて挨拶しないのも嫌なので、おそるおそる奥の自宅の方まで歩いて行った。ちょうど奥に人影がよこぎる。「こんにちはー!」と大きな声で挨拶する。するといのまたさんがすぐに気づいてくれて、お店も開放してくれた。堀部さんの誠光社から発売されている”アウトオブ民芸”を買うことに決めていたが、他にもいろいろ興味深い本があって、久しぶりに散財。思えばこんな買い方はずっとしてきた。僕は貧乏の歴史でしかないが、いいお金の使い方はとっても重要だと思う。お金を払うという行為は、とても意味がある。談笑していると、金曜休みだと知らない他のお客さんも僕らの自動車があるからだろう、お店に入ってきてしまった。いのまたさんは絶賛次の日からの展示会の準備で時間との戦いだから、ごめんなさい!という眼差しを送り、またねと後にする。そのお客さんは、数あるフライヤーの中からリベルテレターだけを手に取ってくれていた。嬉しかったが、これ以上長居は申し訳ないので気持ちだけ置いていく。そう、ビクターにもミーコにもあえて、満足満足。とてもいい空気が流れる空間だった。11月には牧野伊三夫さんが展示会をするらしい。また行こう。俵山温泉に泊まろう。


 道中に、大好きな詩人:金子みすずの記念館もあり、立ち寄ったけれど、長くなるのでそこはまたにする。のんびりと、香月泰男美術館に向かう。とても晴れていたので夏の日差しがドライブを楽しいものにしてくれている。今は夏休みということもあり、「香月動物園」と題した企画展を行なっていた。動物や昆虫、身近な題材を描いた作品の展示だったが、日田で2点だけ見ることができたこの画家の作品を、実際に大量に見れるなんてまさに至福。なかでも、木を削り、絵の具のチューブを熱し溶かして作った動物オブジェのそのひょうきんな造形に、それらを作ろうとする姿に感激した。こどもたちのことを考えている人なのだろう。思えばさっきのロバの本屋で、日田にも木がたくさんあるからと、廃材で作ったパンダのオブジェを買ったばかりだった。「こんなことが日田でもやれると、こどもたちはきっと楽しいぞ」と思いながら買ったものだし、この展示もそんな気持ちで観れた。こんな小さな町に立派な美術館があること自体、羨ましいし、香月さんがいたからだろうし、来る前に思い描いていた香月さんの人物像も、展示を見てからはいい意味で全く変わった。帰りに、学芸員の方にご挨拶。”ぼくらの美術館”のことを話したら大変喜んでくれ、これからもお互い情報交換を始めることになった。これで日田の人たちも香月泰男さんに少し近づける。ぼくは、そう思うと芯からむにゅっと元気が出てくる体質のようだ。話の中で”日田にあるのはどんな作品か”、”日田に画家に会いに行ったという記述があるらしい”と聞いた。”もしかしたら宇治山哲平さんなのでは”と尋ねてみると、「あ!そうだと思います!」と。そして「実は私、福岡市出身なのです、お盆に帰省したら伺いますね」と言ってくれた。今までは無かった日田〜三隅を結ぶ、確かなホットなラインができることが嬉しい。しかも、僕はずっと宇治山哲平さんが好きで、全国紙にも数々取り上げてもいただいた過去がある。日田市から頼まれた展覧会も実は今回が2回目。宇治山作品が好きなことを知った市の職員さんが声をかけてくれて、最初は”ぼくらの宇治山哲平”を監修させてもらったほどだ。まさか大好きな画家、宇治山さんと香月さんの交流があったなんて。そう思うと、もしかしたら宇治山さんが、香月さんを会わせてくれたのかもしれないと思えてくる。いや、きっとそうだ。そういえば三隈と三隅、似ているし、、、とかちょっとこじつけ気味に思っていると、学芸員さんが「あ!今、山口県立美術館に、うちの持っている作品のほとんどを展示しているんです!そちらにぜひ行かれてください」と言う。ぼくの頭の中には、もし時間があれば、行こうかなぁくらいに思っていたけれど、正直、朝から半分行かなくてもいいやと思っていたけれど、突然行かねばならぬ気がして、「わかりました!」とすぐに出発。これから早目に着いても、あの大展示会を30分くらいしか見れないのはわかっていたけれど、あの学芸員さんの想いには何かあると感じたので、急いだ。

 初めて訪れる山口県立美術館。とても立派な建物だ。九州と本州の違いをいろんな部分でなんとなく感じていて(瓦屋根の色とか)、この建物や立地にもそれを感じた。まだ言葉ではうまく言えないけれど。そして、駐車場から入り口までがまた遠いー。地下道をくぐりようやく玄関にたどり着く。立て看板に香月泰男の文字。入れるのか?!ようやく観れるのか!とワクワクドキドキ。足早に窓口へ。案の定「17時までですが、ご入場しますか?」と尋ねられる。時計はもう16時25分。「もちろん」と中に入る。そこには、本でしかみたことのない香月さんの代表作:シベリアシリーズが全て展示されていた。実は、半分行かなくてもいいと思っていたのは、今日中に日田まで帰らないといけないのに、ちょっと重たい気持ちになってしまうのではないかと勘違いし、自ら避けていたのだ。こんな思い込みはよくないね、実際にこの目で耳で、肌で体験しないと何もわからないのに。そんな自分が恥ずかしくなるくらい、堂々とそこにある香月泰男の魂たちは、眼差しは、とんでもなく真っ直ぐで純粋で、崇高なものだった。シベリア抑留のことも詳しく知らなかったぼくは、それだけでも衝撃だったのに、それ以上にこの画家の描く世界に魅了された。抑留時系列に沿って作品を見ていくうちに、次第にぼくも、有刺鉄線の内側から見えるきれいな星空を、この画家と一緒に見ているような気持ちになってきた。気温マイナス35℃での作業、死んでゆく仲間たち。それでもこの空は家族のいる日本と繋がっている。圧倒的で理不尽な不自由があって、その不自由な中でこそ求める確かな自由がそこにあった。僕は、その真ん中で立ち尽くすしかできなかった。なんだこの感覚は。しかもひとつひとつの絵が予想以上に大きく、マチエールも構図も唸るほど好きだ。いろんな感覚が忙しく楽しく体を駆け巡る。細胞が喜んでいる。まだまだ何部屋にも香月がライフワークとして描いていたシベリヤ作品が続いている。進むにつれ、だんだん山口にいるのかシベリアいるのか分からなくなってくる。涙も怒りも出てくるが、その中から希望や夢見るチカラも確実に見えてくる。いわゆる”素晴らしい画家”といわれる人の見ている世界に触れることが、ぼくの喜びなのだろう。

ふたつの大きな現実。囚われの身としての自分。そして三隅にいる愛する家族の父親としての自分。

 香月さんは抑留時の過酷な作業中、アリの巣を見つけ、地面の中では囚われることなく自由だからアリになりたいと思っていたという。しかしその後、アリも好戦的だと知り、地面の中でも争っているのかと、あの時の考えは間違っていたとも言っている。僕がここに来ることを全く思い違いしていたのと似ているなぁ、人間ってそういうものですよねと、少し可笑しかった。

結局、シリーズ全57点、その全てを観ることができた。そんな機会は、今後もそうないだろう。貴重な体験。実は、シベリアシリーズを観たあと1階の3つの部屋で彼のスケッチなどの作品も大量に並んでいた。この美術館に来るまでそれらの作品が好きで観たかったはずなのに、シベリアシリーズを観た後の僕の中にはどうも入ってこなかった。本で見てあんなに好きな作品が目の前にあるのに、だ。

やっぱり、絵画も実物を観ないとその想いは伝わらないという、当り前のことを再確認できた。思えば、映画も映画館でこそだし、音楽もライブが醍醐味。加えて、画家は一筆ごとが、その色を置く行為自体が覚悟だ、ということも再確認できた。もちろん、展示方法などもとても良かったから感動できたとも思うが。

正味30分くらいの滞在だったけれど、永遠のようだった。

あ!そうか。 香月泰男美術館の入り口で迎えてくれた”一瞬一生”だ。

 あれから日田に帰ってきてずっと、香月さんと会話しているような気分になる。やれやれ、僕は一体どこと交信しているというのか。でもそんな感覚がする。土曜日から新しい映画に変わるので、ちょうど1週間後の8/2に、いろいろチェックする為の試写という仕事をした。黒沢清監督『旅のおわり 世界のはじまり』が3日から始まる。この映画は、あらかじめ観ることができなかった作品だけど(たまにそういうことはある)、先日『まく子』上映時にトークショーに来てくれた鶴岡監督がオススメしていて、しかも鶴岡さんは黒沢清さんの教え子。彼女を信じて上映を決めたのだ。信頼できる感覚を持つ友人がいるのはとてもいいもので、ウズベキスタンが舞台のその映画は、これまでの黒沢監督の印象とは違い、でも描いていることは同じで、ヤギも愛の讃歌も、ホテルも怪魚も、トーンも、、、とても良かった。そして、とんでもなく驚いたのは、劇中に出てくるおとぎ話のようなオペラ劇場:ナボイ劇場の話だ。ウズベキスタンは、当時、旧ソビエト連邦の共和国だった。しかもこのオペラ劇場は、シベリア抑留捕虜として連れてこられた日本兵の手で作られたのだとスクリーンから言っているではないか!そしてそのことが、ウズベキスタンで生まれた通訳の男性が小さい頃に感激し、日本人というものに関心を持ったというシーンがあった。だから、日本語通訳の仕事をしているというのだ。鳥肌がたった。先週までシベリア抑留のことすら知らなかったぼくの目の前に確かに現れる。やはり香月さんの声がする。そのシーンを観ていてぼくは『香月さん、聞きましたか?!ウズベキスタンの人々は、シベリア抑留捕虜の日本兵のことをとても尊敬し、その精神に近づきたいと思っているんですよ!』と心の中で叫んだ。香月さんは、きっとこの上なく喜んでくれているに違いない。そして、シベリア抑留のことも、もっと詳しく知りたい。終戦後の動きはあまり知らない自分がいる。数十万人という人々がこの運命を経験している。こうやって記すことになることを運命は知っていたかのように、今シベリア抑留捕虜の世界が、ぼくのこの目の前にある。こうやっていつも、向こうから世界がやって来る。語りかけて来る。ひらひら舞い落ちる木の葉ように世界がやってくるのだ。その落ち葉に気を止めるのかそうでないのかを決めるのは、だれでもないぼくなのだ。今は、というか今のうちに、シベリア抑留とウズベキスタンについて知りたいと思っている。また木の葉が目の前に落ちて来る前にできるだけ知っておきたい。大人になっても学ぶことはとても大切だ。なのでリベルテも学校のチャイムで映画が始まる。

もちろん、そんなこと知らなくてもこの映画はとてもおすすめだ。海外旅行に行った人ならよくわかると思う。コミュニケーションの大切さって、こういうことだよねって。将来をいろいろ考えている人もぜひ観て欲しい。共感できるはず。染谷くんの演技もすごくいい。大好きな愛の讃歌という歌も知れるし、ヤギも良かった!

香月さん、宇治山さん(、、ということは、福島繁太郎さんも(?))、ぐるりとご縁をいただき、ありがとうございます。『ぼくらの美術館』会期中、『旅のおわり世界のはじまり』、もっと観てもらえるように、最後まで頑張りますね。

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