見出し画像

欠月  Day2



(なんだ、どこに向かうんだ、これから)


自分としても、かなり不用意にこいつと一緒に車内に乗り込んでしまったと、今更に後悔している。


背景の夜を映すタクシーの窓ガラス……。
黙り込む俺に、すぐ傍にいる、こちらには大して視線を向けようとしない正夜の対比が、俺の鼓動の緊張感をドクドクとより強め、高める。
心臓に穴を開けられたような胸を覆い尽くす苦々しい締め付けもある。
手先からやたら冷え込んでいくようなシンとしたこの心の落ち込みは、登っていた階段の底がいきなり外れ体がすり抜け落ち落下していくような、「当たり前」の足元をいきなり外されてしまった者に起こる心の反応だと、そう、わかっていた。

逃げようとしたらまだ逃げられる筈だが、海藻に足を絡み取られた海底にいるように、窒息した空気を俺は自ら破ることが出来ない。

窓の外は、早回しに切り替わる、夜の街の色とりどりのネオンカラーが、近づき離れては消え、近づき離れては消えするだけであった。

タクシーの窓から少し目を離した隙に、外の暮れきった街景色は、自分の把握している地理から容易に外れていき、これがどこの景色だかがもう全然見当つかなくなった。

ただ、何となく、湾が近そうな空気の階層の違いだけは伺える。

自分が住んでいた大使館も集まる高級一等地エリアの街は、いつの間にやらかなり遠くなったろう。


自分の街なら夜でも歩いていた筈の人通りはかなり少なく、狭かった道路は幅広く、時間帯のせいにより、車もまばらにしか走っていない。
そして近代的な街作りではあるが、埋め立て地によくある無機質な作りの構図を描いた景色が前にあった。


ふっと窓から目を離し、タクシーの中を眼が一巡して視線がまた窓に戻ると、首都高速道路の巨大な影が車をまたがり、そしてそれは一瞬にして遠くなっていった。


あたりを見回すと、眼界にもう人が息づく様な「街」はどこも広がっておらず、あるのは大型の工場、物流センターらしき巨大な建造物、大型クレーン、基地のようなトラックが沢山詰められた敷地、コンテナ、倉庫、の自分の目に慣れぬ風景しか無かった。

窓の外に映るのはだだ広いばかりの湾に面した、倉庫街だった。


◇◇◼️◇◇



目的に向かい走るタクシーの中で、僕は挙動不審の落ち着かない態度でいる朔を、目では見ずに気配を観察していた。


萎縮し、大分、気が弱くなっているのが透けている。


何者かもわからない男の傍に乗せられ、行先不明の目的地に大した逡巡も無く同行する、心が揺らされきって判断力が弱まってきているからこその朔の取るこの行動。
僕はそんな朔の落ち度しかない行動が可愛く見える。
容易く過ぎて哀れにも嘆く。
そして隣にいる朔に向けられる自分から投げつけられた感情には、全てガラスが曇ったような虚無しか張り付いて無いことにもすぐに気付く。
底についたら、また上下をひっくり返してやり直す子供のオモチャや砂時計のように、常に感情が素早く一巡を巡り、全く元通りのスタート地点の何も無い位置の始まりに、気持ちがまたすぐ舞い戻ってしまうことにも軽く落胆する。

バックミラーの向こうを少し角度を変えて覗いてみると、朔の曇る表情がありありと映っていた。

目は泳ぎ、窓の外を見回し、落ち着いている態度は一切見えない。

身長は標準身長そのものと呼べる程度の年頃の10代そのものの体つき。流石にもう伸びないんだろうな。僕より年上だって。2歳違うんだってね。
僕がまだ16歳だと答えたら身長のせいかかなりビックリしていたね。

スルッとした軽やかでラインに恵まれた体つきは理想的に薄く、力任せに押さえつけるにはこれ以上無いくらいに適した身体だった。彼の裸は無駄なデコボコが無く、かといって華奢でもなかった。
大腿に浮かぶ筋肉の線がまっすぐとしっかり浮かんでいたのも組み敷いていて楽しかった。
もしかしたら過去にサッカーか何かをやっていたかもね。
皮膚は適度に健康的な色味をし、色白まではいかない。吹き出物や窪みなど全然ない平で綺麗な肌をしている。僅か横に長い唇も最初の印象では口角を下げ、ツンケンはしていないが愛想がそこまですこぶる良い調子の人間という訳でも無い性格らしかった。
彼とは完全にあの時が初対面だ。
目は二重がパッチリしていて大きく、幅広く、黒眼には凛とした光の力がある強い眼差しだったのが、今隣にいる彼の目には光を塞ぐ膜がかかり、強気に振る舞ってはいるものの、目の色にあの日には見られなかった小さい弱さが陰影として現れ初めていた。
元々の凛々しく吊りあがった眉にも、迷いや定まらない不安が浮かんでいる。
細い顎に決して長くはない輪郭の、少年ぽさも残しつつ、きちんと成長の過程を順調に辿ろうとしている顔立ちは、通っている学校でも女子生徒の人気を集める部類にきっと属していることだろう。

染められた明るい薄茶髪の頭髪は、光が当たると金色にも一瞬近くなる様な、でも触れた時の感触は硬く芯がある髪の毛だった。

何より体を重ねた感想としてはしなやかさのある身体だというのが、真っ先に来る感想として頭に残っている。


完全に初対面だったが、あの日ああしようとは前もって決めていた。

そしてこれから さくと不思議な関係を構築しようとしている企みも、前もって決めていたことなのだ。


彼は決して何も悪くないし、それが彼の責任では無いんだと僕は誓えるのだが。




◇◇◼️◇◇


車がある場所に着いた。
静けさ。

一つの、奥まった場所にある大きな倉庫の前だった。


よろしければサポートお願いします。 いただいたサポートはクリエイト活動に費やします。