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やはり材木座義輝の青春ラブコメはまちがっているのだろうか。【やはり俺の青春ラブコメは間違っている。】


六月吉日。

我は、たった一人の盟友ーー比企谷八幡ーーの結婚式に参列していた。

「えーっと、本日はご多用のところ私たちのために結婚披露宴にご足労くださり誠にありがとうございます」

高砂にはウェルカムスピーチをする八幡の姿。言葉こそ流暢であるが、ところどころ歯切れが悪いところが昔と何も変わっていない。

ただ、変わっていないのはむしろそんな仕草くらいで、彼が今まさに羽織っている真っ白なタキシードが、彼の門出を祝う周りの参列者の温かな視線が、彼は昔とは違うのだということを雄弁に物語っていた。

我も八幡も今年で二十二歳であり、つまり、彼は新社会人一年目で彼女ーー雪ノ下雪乃ーーとの結婚式を挙げるに至ったのだ。

会社関係の卓こそ分からないものの、友人卓は総武高校出身の面々で埋め尽くされていた。
新婦側の席には由比ヶ浜、三浦、海老名、川崎、そして平塚先生が招待されており、新郎側の席には我、戸塚、葉山、戸部が招待されていた。

彼が葉山を呼んでいたのは、正直意外だった。
なぜなら、八幡は葉山のことを疎んでいたように思えたし、なにより葉山は八幡のことを妬んでいたように思えたからだ。

とはいえ、葉山は相変わらずその葉山ぶりを遺憾なく発揮していた。
というのも、彼の社交性は健在であるどころか大学時代を経て磨きがかかっており、彼を取り巻く周囲だけが心なしか温かな雰囲気に包まれていたのだ。
彼の固有スキル《ザ・ゾーン》は、今はレベルを上げて《ザ・サンクチュアリ》になっていたのである。

八幡は、変わってしまった。

淀んだ目つきこそ昔から変わらないものの、新婦である雪ノ下雪乃との会話は終始温かく、まるで付き合いの長い幼なじみであるかのようだった。
そんな温かな関係性が彼の錆びついた心を完全に浄化してしまったようで、今の彼の眼光は世の中を斜に構えては見ているものの、以前のようなペシミスティックな感情は完全に鳴りを潜めてしまっていた。

八幡でさえ変わってしまったのだから、他の人間は言うまでもなく高校時代から変わった。
否、変わったというよりも大学や社会に適応すべく、適切に順応した、というのが凡その正しい見方だろう。
皆、社会的になり、外見が制服からスーツに変わっただけではなくて、それに伴って内面も学生から社会人になっていたのだ。

そんな環境の変化に、我だけが取り残されてしまったようであった。

***

大学に入っても我は変わらなかった。
あるいは、変われなかったのかもしれない。

私立の文学部に入って日本文学の研究をしながら文芸部に顔を出す日々は間違いなく楽しかったが、我の人生を変えるものではなかった。
大学時代なんていうものは、同じような人種が、同じような環境に集まるもので、我が所属していた文芸部もご多分に漏れず我と同じ人種が集まる溜まり場になっていた。

同志と集っては、駄弁って、益体の無い時間を過ごしては、日々を消費していった。

文芸部であるから、会報の作成や新人賞の応募などは当然行っていたのだが、その結果はどれも鳴かず飛ばずだった。
良いところで、一次選考通過。二次選考は一回だけ通過したことがあるが、三次選考以上まで残ったことは一度もなかった。

もしかしたら、文筆活動が上手くいっていれば少しは人生を変えられたのかもしれない。
あるいは、人生の手段を変えずとも、人生の質を大幅に向上できたのかもしれない。

しかし、我にはそれが無理であった。
執筆のためにパソコンに向かうことを諦めきれず、いつか成功してやるという中二心を忘れられず、結局、大学で一番学ばなければならない社交性を一切学ばずに卒業してしまった。

そのせいで、教職免許の面接に受かることができず正教員になれないまま今年もウダウダやっているというわけだ。

我は、少なくとも高校時分は、八幡にシンパシーを感じていたのだ。
我と同じひねくれ者にして中二病。
かつては同じ穴のムジナであった彼と我。
今となっては似ても似つかない彼と我。

ーーいったい我はどこで間違ってしまったのだろうか?

***

「材木座くんは今何してるの?」

「わ、我か? 我は作家を目指しているからな。戦略的に今年は社会にはでずにまだ学生の延長線にいるのだ」

「そうなんだ。材木座くんはまだ夢を追いかけていてすごいね! 僕は普通に就活して、そのまま内定貰ったところに行っちゃったなぁ」

「はは。いいではないか。むしろ、我からしたらなんのハードルもなく社会に出れる戸塚氏の方がすごいと思うがな……」

歓談の合間に、隣に座る戸塚との近況報告を交わす。

戸塚は、多分表裏のない人柄だから純粋にまだ夢を追っている我のことをすごいと称賛してくれたのだろう。

しかし、普通に考えれば大学を卒業して、ちゃんと社会に出られた人間の方がすごいに決まっている。社会に出ずに、教員をやりながら作家になれる人間なんて実際のところほとんどいないのだ。だから、我の言っていることは詭弁だ。我が、そして八幡がもっとも忌み嫌っていた詭弁であり、欺瞞なのだ。
欺瞞は自己を欺くためだけの甘い嘘だ。

欺瞞は甘美だ。

甘すぎて中毒になる。
詭弁を弄して、欺瞞を吐いては、自己を納得させる。夢を追っている自分を肯定する。そうやって自己を慰める自慰にしかならないのだ。
虚しいな。

結婚式は滞りなく進行し、ファーストバイトやらお色直しやらが終わり、我の卓が高砂に挨拶に行く機会が訪れた。

八幡のタキシードは一着目と変わらぬ純白の洋装であったが、雪ノ下は二着目として青のカラードレスを身に纏っていた。

そんな彼女、今となっては八幡の新婦である雪ノ下は誰もが認める美人であった。
美人は存在するだけでブランドになる。
雪ノ下雪乃というハイブランドを手にした比企谷八幡が、さながら成金社長のように見えた。成金社長にしてはあまりにも幸が薄すぎる八幡であったが彼女の隣にいる彼も間違いなく輝いていた。

そんな彼にはじめに話しかけたのは、言うまでもなく葉山隼人であった。

「やぁ、久しぶりだね。君のことながらスーツも暗色系かと思ったけど真っ白じゃないか。君にしては、案外似合ってると思うよ」

「のっけ早々皮肉とは、お前も変わってないな、葉山。タキシードだが、これは雪ノ下のよ、」

話を続けようとする八幡を雪ノ下がキッと睨んだことがわかった。

「ゆ、雪乃の要望でな。俺は無難に暗色系が良かったんだが、きっと最初で最後だろう晴れ舞台の日くらい、もっと明るい格好をしてって言われたんだよ」

「そっか。雪乃、か。君たちが付き合いはじめてからもう五年が経つんだもんな。関係性も変わって、ついには結婚まできたか。いやぁ、本当に、本当に喜ばしいことだ、おめでとう」

「なんだよ、面と向かって言われるとちょっと照れるな。こちらこそ、総武高校時代は世話になった。今日も、来てくれてからありがとうな」

「それこそ、高校時代は君に世話になりっぱなしだったな」

「はは、それはそうかもな。さっき世話になったって言ったが、よくよく考えてみると俺がずっと世話を焼いていただけかも知れんな」

「その言い返し、とても君らしいよ」

「お互い様だろ」

葉山と八幡は、笑いとも苦笑いともつかぬ笑みを湛えていたが、その距離は間違いなく高校時代よりも近しいものになっていると感じられた。

時間が疎みや妬みをも溶かしてしまったのか。あるいは、この二人は根っこの部分では仲が良かったのか、第三者である我には真実は分からなかった。

葉山に続くように戸部、戸塚が八幡に話しかけたが、我は最後まで自分から八幡に挨拶することができなかった。

正確には、かける言葉が見つからなかった。

だから、我はきっとこの場でもっとも無難な言葉を彼に手向けた。

「おめでとう、八幡」

***

結婚披露宴はつつがなく終了し、一度皆は披露宴会場から吐き出され、次の二次会まで各自好きに時間を潰していた。

我は、二次会に参加するつもりはなかったので、八幡の晴れ姿と彼の現状を確認できたことだし、煙草を一本だけ吸って帰ろうと喫煙スペースに来ていた。

煙草なんて本当は吸いたくなかった。

ただ、長年彼女の一人もいない冴えないオタク男子の隣にいてくれるのは、煙草しかなかったのだ。ただ、それだけの話なんだと思う。

喫煙スペースには先客がいた。

学生時代、白衣ばかりを纏っていたから白衣のイメージしかなかったが今日は全身ドレスを身に纏い全然違った印象を与えているこの女性こそ、平塚静先生であった。

平塚先生は慣れた手つきでタールのきつそうな煙草をケプコンケプコンとやっていた。

「君、材木座じゃないか。煙草、吸うようになったのか?」

「あ、あぁ、そうですね」

しどろもどろな返答になってしまった。もともと我は平塚先生とあまり話したことがない。まあ、我の場合は、平塚先生だけでなく、ゲーム部の連中と八幡以外はろくすっぽ会話したことすらないのだが。

「君は、今何してるんだね?」

また、その会話か。
まあ、そりゃそうだな。久しぶりに会った人間が最初に交わす言葉は「最近、どう?」しかないと相場が決まっている。

しかしこの場合、平塚先生だからこそ話せる内容があった。

「教員になりたくて、教員免許を取る資格はあるんですが、面接に受からなくてなれないままで……」

「そうか……まあ、教員免許は大学受験のように一回きりの勝負じゃない。落ちたなら、また受ければいいさ。教員になりたいという気持ちさえ本物なら、受かるまで何度でも、な」

相変わらず熱い人だった。
こんな熱血教師って今日日まだ存在するのか、いや、絶対絶滅危惧種であろう。

しかし、この人もそんな言葉を使うのか。

『本物なら』、か。

果たして教員になりたいという我の気持ちは本物なのだろうか。答えは知っている。

ーー否、だ。

我はやはり作家になりたいのだ、文学部に入ったから、教員になるなんていうのは後付けの理由でしかない。本物の理由ではないのだ。

「平塚先生は、本当に教員になりたかったんですか?」

「私か? そうだなぁ。私はなりたかったよ。昔から人が好きなんだ。人間関係はそりゃあ煩わしい部分の方が多いが、それでも人と人は、人同士の関係性の中でしか成長しないんだよ。だから、一度に何十人もの人と関われる、そして、その人の一番大事な期間である青春時代をともに過ごせる教員という職業は、私にとって天職だったと思うよ」

「そうですか、有り難いお言葉でした。参考にさせて貰います」

「そんな大層なものでもないけどね。なにせ君はまだまだ若い。若いというのはそれだけで財産だ。間違えたとしても何度だってやり直せる。大丈夫だよ、諦めるな」

そう言って、先に煙草を吸い終わった平塚先生は我の肩をポンと叩くと、そのまま颯爽と喫煙スペースを後にしていった。

喫煙スペースに一人残された我は、電子タバコを口に咥えては天井に向かって長くため息混じりの息を吐いた。

***

一人電子タバコをふかしていると、一人の男性が駆け込むようにしてやってきた。

比企谷八幡である。

今日の主役がどうしてこんなところに?

そう考えるや否や八幡は我に話しかけてきた。

「材木座、今日は来てくれてありがとうな」

慌てて来たのか八幡の息は少し途切れていた。

「なに、我が盟友である八幡の晴れ舞台だ。馳せ参じぬ訳には行くまいよ」

こうして昔の口調を、ありのままで語れる存在、八幡は我にとって今でも変わらず盟友であるのだ。

「そうか、それは素直に嬉しい。さっき高砂に来てくれた時、あっただろ? あの時あんまり話せなくて、ごめんな」

「わざわざそんなことを言いにここまで駆けつけたのか、八幡? 八幡は昔から、本当に主人公みたいなやつやのう」

「主人公なんて柄じゃねえよ」

「たしかに、主人公と言っても八幡の場合は少年ジャンプの主人公じゃなくて、ラノベの主人公な。しかも、冴えない系の」

「それはそれで虚しいな……まあ、材木座が元気そうなら良いんだけど、その、小説はまだ書いてるのか?」

「まあ、ボチボチ、な。まだ諦めるわけにはいくまいよ」

「そうか、なら良かった」

八幡は本当に安堵したようだった。

「我が小説をまだ書いていることが、八幡にとって良かったのか?」

「え? あぁ、そうだな。高校時代、材木座の小説は正直全く面白くなかったし、読むに耐えないまであった」

「グスン……」

「あ、悪い。そうじゃなくて、それでも、小説の設定を語ってる時の材木座は、その、本当に楽しそうだったんだよ。本物なんだろうなって思った。俺にはそういうの、ないから」

今日の主人公がなぜか憂いた表情をしている。

「八幡は本物を手に入れたんだろう? 雪ノ下雪乃氏のことを、愛しているのだろう?」

「あぁ、そうだな。俺にとって雪乃の存在が、あるいは雪乃との関係性だけが唯一本物と思える。俺にとって唯一無二の宝物だよ。ただ、俺は俺の中に本物がないんだ」

「八幡の、中に?」

「あぁ、雪乃は俺にとってどこまでも外部的なものだ。結婚しても、全部が俺のものだなんて到底思えない。俺の外部に雪乃のような本物があってもさ、俺は材木座みたいに自分の内部にこれだけは譲れない、愛してるっていう対象がないんだよ。雪乃はあくまでも俺にとって外部の存在だからさ」

「我は、我の内部に本物を宿していると?」

「あぁ。少なくとも俺にはそう思えた。だから、問うたんだ。まだ、書いてるのかって。書いててくれてるなら、良かったよ、俺はそう思う」

「そうか」

我は深呼吸しながら仕切り直すように言った。

「時に八幡。本物というのは、ひどく残酷よのう」

言い切った我の、先を促すように八幡はこちらをじっと見る。

「偽物ばかりでは永久に心は満たされない。欺瞞に満ちた世界で不信を抱きながら生き続けるのは辛い。でも、本物は本物で辛いよのう。文筆を好きだという感情が本物でも、才能が本物でなかったら社会は認めてくれはしない。感情によって自己を満たせたとしても、才能によって社会を満たせたないなら、そんな不完全な本物は、やはり辛いではないか……」

「そうだな……本物は偽物と違って、なまじ捨てられない分、辛いかもな。でも、俺は、例え辛くても、この先に苦しみしか待っていないとしても、それでもやはり、本物を追い求めるんだと思うよ。これは欲求とか、そんな陳腐なものじゃないんだよ。ーー業なんだよ」

「業、か。やはり、八幡。お主は相変わらず中二病よのう! 安心したぞ」

「どの辺に安心してんだよ。ま、安心してくれたなら良かったわ。原稿できたら言ってくれよ、読むから」

「は、八幡……」

目から雫が垂れてきたのは、硝煙が目に染みたからではきっとないのだろう。

作家は孤独の職業だ。

孤独を対価にして、世の中に対して作品を生み出している。

しかし、人間本当に一人では生きられない。作品だって読んでくれる人がいなければ成り立たないのだ。

我のどうしようもない作品を、どうしようもないと解っていながらも、読んでくれる人がいる。

そんな関係を、我は本物と呼ばずにはいられない。

たとえ二十二年間彼女がいなくとも、日の目を見ずとも、それでも我の人生は、間違えたと断じるにはいささか早計すぎると思うのだ。

ーー了



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