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ひんか ぜにない、と読む。
江戸時代を生きた男である。

その名前の通り、貧しかった。
細工物を切り売りして、
やっと生活を立てていた。
その頃に「貧家銭内」
自嘲を込めて名乗っていたそうだ。

讃岐国(現在の香川県)の出身。
讃岐高松藩、足軽の家の三男。

家督を継いで蔵の番人になるが、
24歳の時に長崎に留学した。
戻ってくると妹に婿を取らせて
自分は家督を放棄した。
生来、自由に生きたかったのだろう。

大阪、京都、江戸でふらふらした。
博物学者か!と思われるほど
万物に通じ、色んな事を知っていた。
「物産博覧会」を、たびたび開催した。
その異能を聞いた高松藩は
再度、彼を召し抱えたのだが、
どうしても江戸に戻りたい、と辞職。
…怒った藩は、彼を二度とどこにも
勤められないように仕向けたという。
それでも、良かったのだ。
彼は、自由を何よりも愛したのである。

…もし生まれる時代と場所が変われば、
レオナルド・ダ・ヴィンチもかくやの
万能の天才、として活躍しただろう。
令和時代の日本なら
天才コピーライターにして
天才エンジニア兼マーケッター、
動画、イラスト、SNS、
何でもバズるマルチタレント
として
一世を風靡した、かもしれない。

彼は仕官はできなかったが、
蘭学にも深く通じ、
鉱山開発を色々な藩で指導した。
文化人としても、名高い。
俳諧、油絵、戯作などの
作者でもあった。
春画や春本(一種のエロ本)も書いた。
発明家でもあり、一説には
「竹とんぼ」も彼の発明だと言われる。
もっと世の中が開明的であれば
ヘリコプター、いやタケコプターまで
発想したのではないだろうか。

…しかし、彼が生きた世の中は
幕藩体制、身分制度の江戸時代だった。
自由な変人には、ちと生きづらかった。

ある大名屋敷の修理を請け負った彼は
修理図面を盗んだ、と誤解して
(ひどく酔っぱらっていたという)
大工2人を殺してしまったそうだ。
捕まって、そのまま、
あっけなく、牢屋で獄死した。

彼の友人の蘭学者、
「解体新書」で名高い
杉田玄白は、彼のために碑を建てた。
そこには、こう書かれていた。

『嗟非常人、好非常事、
行是非常、何死非常』
(ああ非常の人、非常の事を好み、
行ひこれ非常、何ぞ非常に死するや)

仮にチャラ男語風に訳するなら、
「控えめに言っていとをかし。
好みも行いも、
やばたにえんのムーリー春雨。
死ぬ時まで超絶変人、
おあとがヒュイゴー!』

(参考:EXITのネタチャラ語録より↓)

…こうして、貧家銭内は、
その異能に見合わぬまま
寂しく生涯を閉じてしまったのだ。

彼は、一説によると、
土用の丑の日にウナギを食べることを
流行らせた
、とも言われる。

貧家銭内。だけではない。
風来山人。福内鬼外。天竺浪人…。
すべて、彼のペンネーム、
いわばジョブネームだ。

彼の名は、平賀源内。

そう、「エレキテル」で
有名なあの人。
土用の丑の日に、ふと思い出した。

読者の皆さんは、
ウナギ、食べましたか?
…自由に、生きていますか?

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