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ずれと戦う改暦 ~ユリウス、グレゴリオ、伊藤~

1898年(明治31年)にこんな勅令が出されています。
「閏年(うるう年)ニ關スル件」です。

『神武天皇卽位紀元年數ノ
四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス
但シ紀元年數ヨリ六百六十ヲ減シテ
百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中
更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス』

現代の日本語に意訳的に直すと、次の通り。

『神武天皇が即位された紀元年に基づく暦では、
4で割り切れる年をうるう年としていますよね。
ただし、神武天皇の暦から660年を減らし、
100で割り切れる年の中で、
さらに4で割り切れない年は平年とします!
うるう年にはしませんよ!」

…なぜわざわざ、こんな勅令を
明治政府は出したのか?

1898年、時の総理大臣は伊藤博文
初代・5代・7代・10代と
4回も総理大臣になった人ですけれども、
その「第二次伊藤政権」の頃のことです。

本記事では「うるう年に関する件」の勅令から
『改暦』に関する紆余曲折を書きます。

この勅令を理解し解釈するためには、
まず、太陰暦からの太陽暦、
『明治改暦』を知る必要がある。

江戸時代まで、日本では
「太陰暦」が使われていました。
「月の満ち欠け」を基準とする暦です。
1年が13か月ある「うるう月」を設ける暦。
一方、西欧諸国では、
『グレゴリオ暦』と呼ばれる暦が
使われていました。これは、
「太陽の巡り」を基準とする「太陽暦」

統一がされていなかった。

しかし明治時代になり、新政府は
「開国」「国際化」をしていくにあたって、
1872年(明治5年)に
「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」とする
『改暦ノ布告』
を出すことになります。

これによって
明治5年は12月2日で終わり、
明治5年の12月3日が
明治6年の1月1日になりました。

「…12月が、2日しか無かった?!」

そうなんです。政府が改暦を断行した。
この時の裏事情を、
大隈重信が回顧録の中で書いています。

…要は、新政府に、お金が無かった。

「旧暦(太陰暦)によれば、
明治6年(1973年)にはうるう月がある。
1年が『13か月』ある年だ。
したがって官吏(公務員)への報酬を
1か月分、余計に払わなければならない。
これを新暦にする。12か月にする。
かつ、明治5年の12月を2日だけにすれば、
12月の報酬は払わなくて済む。
つまり、このタイミングで改暦すれば、
2回ほど給料の支払いを節約できる
のだ!」

大義名分は「国際的に暦を合わせる」。
裏事情は「新政府にお金がなかった」。
こうした思惑の中で『明治改暦』を断行!

◆1年を「365日12か月」に分ける
◆4年ごとに「1日のうるう年」を置く
◆1年は、平年は365日、うるう年は366日


ほぼ現在の暦と同じですね!

…ただこれだけだと一つ問題が生じます。
それが「1900年問題」

1872年の『明治改暦』においては
グレゴリオ暦のキモでもある
「100で割り切れる年は4の倍数だけど平年。
ただし400で割り切れる年はうるう年のまま」

というルールが明記されていなかった。

加えて「神武天皇即位紀元」という
日本独自のルールもつくっていた。

『明治改暦』公布の6日後、
紀元前660年を「日本の紀元」として、
「神武紀元」の年を併記するようにしていた。
(例:1873年+660年=神武紀元2533年)

1900年を平年にするか、うるう年にするか?
そこで1898年、先述した勅令が出されたのです。

時の総理大臣、伊藤博文の政権は、
「1900年は4で割り切れるから
ふつうはうるう年なんですけれど、
100で割り切れて4では割り切れないので
平年としますね!」
と布告。

これにより他国と日付がずれることを防いだ。
柔軟な解釈と運用の一つだ、と思います。

「まあ、明治時代の日本の対応は
なんとなくわかりました。
ただ、そのグレゴリオ暦?が
よくわからないのですが…」

ではここから、グレゴリオ暦のルールを
私なりに書いてみます。

そもそも太陽の周りを、
地球は「1年」をかけて1周する。
いわゆる『公転』です。
1周にかかる時間は、約365.2422日。
365日と「約5時間48分45.179秒」かけて、
地球は公転している。

この「約5時間48分45.179秒」が曲者です。

全部の年を「365日」にしてしまっては、
必ず「ずれ」が生じるのです。
ゆえに古代、共和政ローマの最高権力者、
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、
このずれを解消するために、
新たな暦をつくりました。

『1年は365日(平年)だが、
4年に1回は、1年を366日とする年
(うるう年)をつくるぞ!』

この「ユリウス暦」が広く使われた。

…ただ1年が365.25日なら良いのですが、
実際は1年は365.2422日です。
ずれが少しずつたまり、
「約128年」で約1日ずれるんです。

古代のユリウス・カエサルの時代から
約1500年も経つと、このずれが
無視できないものになっていました。
16世紀後半、春分の日が約11日ほどずれていた。
キリスト教世界では春分の日を基準として
「復活日」を決めます。ゆえに、
この約11日のずれが大問題になっていた。

そこで、グレゴリウス13世というローマ教皇が、
『400年間に(100回ではなく)
「97回」のうるう年を置いて366日とする。
100で割り切れる年はうるう年には「しない」!
ただし、400で割り切れる年はうるう年にする』
という追加のルールを定めた。

これで、ずれを防ごうとしたんです。

かつ、1582年10月4日の木曜日を
1582年10月15日の金曜日に「変えた」。

1582年の10月は21日しかない!
明治の改暦と似ています。
約11日のずれを力技で「取り戻した」んです。

グレゴリウスさんだから『グレゴリオ』暦

ローマ教皇の影響が大きかったイタリア、
スペイン、ポルトガルなどの諸国では
ただちに改暦を行いました。

教皇に反発するイギリスやドイツ諸侯は
なかなか改暦を受け入れません。
当時は「宗教改革」の時代ですから。
しかし、後に日付が各国でずれる不具合が出て、
(しぶしぶ)受け入れることになります。
ただ、ローマ教皇ではなく
正教会の影響が強かったロシアなどでは、
「ユリウス暦」を使い続けました。

そんなグレゴリオ暦という「西暦の太陽暦」。

これが1872年の日本でも導入が決められ、
1898年には調整する勅令まで出され、
暦を合わせた、ということです。

最後にまとめます。

本記事では「太陽暦(グレゴリオ暦)」の
導入に関するあれこれを書きました。

読者の皆様はどんな時間を過ごしていますか?
「自分の時間」「マイ暦」での生活は
できていますでしょうか?

私も、つい不規則な生活になり、
体内時計に「ずれ」が生じやすい…。

規則正しい生活を心がけよう、と思います。

※『太陰暦』、すなわち月の満ち欠けに基づく
暦につきましては、
ふわとろな月見バーガーでも食べながら
こちらの記事を…↓
『ふわとろだった太陰暦 ~ずれを包み込む~』

※世界史的な『グレゴリウス暦』の
説明はこちらも↓

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