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「一生懸命」という言葉は
「一所懸命」という言葉が元とのこと。

ひとつのところ、一所。いっしょ。
鎌倉時代の御家人たちが
幕府に認められた領地を、
それこそ命を懸けて守った、
そのさまからできた言葉、
だそうです。

「御恩と奉公」
…歴史の授業で覚えますよね。
「封建制度」「いざ、鎌倉」
自分の「居場所」を
認められる代わりに
「滅私奉公」つまり
私・自分を滅して、主君のために
命を懸けたりする。
まあ、侍、さぶらうもの、ですね。
もともと「侍」や「武士」は、
貴人を守るための
ボディーガード的な存在
でしたから。

それはともかく、一説によると、
この「一所懸命」という言葉から
昭和30年代から40年代あたりに
「一生懸命」という言葉が
派生して、使われ始めたそうです。
今ではこちらの四字熟語のほうを
スタンダードで使いますが、
歌舞伎なんかでは
「一所懸命」のほうを使うそうです。

さて、この「一所懸命」。
もじって「一社懸命」などという
言葉にも転用されたりしています。

文字通り、一社に命を懸ける。
終身雇用&転職NG。

この「一社懸命」こそが
当たり前の時代がありました。
滅私奉公、二十四時間会社のために。
みんな「一所」で「一緒」に過ごす。
台風が来ても「いざ、会社」。
社長という「貴人」(奇人?)を
守るために、さぶらう。

今でも、その名残は、強い。

しかし、それが
すでに徐々に崩れてきていることは
読者の皆さんも
肌で感じていることか、と思います。

誤解を防ぐために
あらかじめお伝えしておきますが、
私は別に「一社懸命」の生き方を
否定するわけでは、ありません。

命を懸けられるほどの
一社に巡り合える、これはこれで
とても幸せな人生ではないでしょうか。
…ですが、私の道ではない。
すでにここまでの人生で、
「多社」を経験しておりますので。

「はいはい、わかりました。
時代は『一社懸命』から、
『多社懸命』の時代に
なってきているって言いたいんでしょ!
そういう記事でしょ!」ですって?

いや、私はそうとも思わないのです。

なぜなら、それは
「会社」に命を懸けるという点では
同じ穴のむじな
、だから。

むしろ時代は「多者懸命」
なっているのではないでしょうか?

つまり、会社ではなく「個人」、
多くの「者」に対して、
個人として行動して、
どれほどのものが提供できるか、
どれほど心を動かせるか、

そういう状況に
なってきつつあるのではないか。

意外と忘れがちなことですが、
「会社」は一つのツールです。

会社があって個人があるのではなく、
個人があって、会社がある。
LinkedInが会社ではなく
個人単位で登録するのも、
そういうことかな、と思います
(もちろん、場所や肩書が
人を作る、という側面もありますが…)。

「多者懸命」の時代。

そこで必要になってくるのが
(言葉遊びみたいで恐縮ですが)
「多謝」の精神かな、と思います。

日本語なら、たしゃ。
中国語風に読むなら、ドーシェ。
「ありがとうございます!」の意味。
この「多者懸命」の時代には、
「感謝の気持ちを伝える」ことが
より大事になるのではないでしょうか?

もともと「ありがとう」という言葉も
「有難う」ですよね。
「あるのが難しい」ことを
「他者」(ここでは他の人、の意味)が
自分にしてくれる。
その行為に対して、感謝を述べる。
人は、素直に感謝を述べられると、
少し気恥ずかしい気持ちもありますが、
嬉しくなって、また何かをしようという
気持ちがわきおこるものです。

お互いへのリスペクト、
好意に対する感謝の言葉。
その好循環の連綿としたつながりこそが、
「多者懸命の時代」を生き抜く
ひとつの鍵ではないか、と思うのです。

集中攻撃、誹謗中傷。
SNS全盛時代の負の側面として、
こういうものも世にあふれています。
ですが、それはたとえ面白がられて
盛り上がり、炎上したとしても
つながりが焼き切れていく
方向へと向かっていきます
(もちろん、他者のほうから
一方的にそんなことをされたら、
敬遠のブロックは、ありですが…)。

ということで。

ここまで読んで下さった、
また、いつも拙文を読んで下さる
読者の皆様への感謝で、本記事を締めます。

「ありがとうございました」

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