見出し画像

「首筋に、金の仔猫がねむっている」ヒスイのシロクマ文芸部

『恋は猫』、なんてタイトルの本を
黒ぶちメガネ、口をひん曲げたおじさんが持っている。
そんな写真、誰だって二度見するだろう。

僕もびっくりした。
二重の意味で。

ひとつは写真の男性が、先月亡くなった『叔父さん』だから。
もうひとつは、写真を持っている見知らぬ少女が、

「ここに、おとうさんの歌が載っているんです」

と一冊の本を差し出したからだ。

母は、ひゅっという音を立てて息を飲んだ。

「亡くなった弟は、独身のはずだけど。
 それにあなた……」

真っ白になった母の向こうには、
みごとなカフェオレ色の皮膚と、のびのびした手足の少女がたっていた。

長い髪はくるくるしていて、
叔父さんに、ちっとも似ていなかった。





部屋に入ると、彼女はきちんと座って頭を下げた。

「メンサ・詩(うた)といいます。14歳です。
 『詩』という名前は、おとうさんがつけてくれました。」
「メンサ……うちは田辺ですけど?」

母は白い顔のまま、茫然とつぶやいた。
彼女はわらって、

「おとうさんに、認知してもらいました。
 苗字はお母さんのです」
「にんち。それは法律的に?」

少女の眉毛がかたむいた。

「法律のことは、よくわかりません。
 今日はこの本を届けに来ただけなので」

『猫の恋』。
写真の叔父さんが持っていた本だ。

「おとうさんがお友だちと作った短歌の本なんです」
「遼太郎が、短歌を」

僕はうずまき模様が押してある表紙をめくり、ページを見た。

たっぷりした余白に、言葉が浮かんでいるようだ。
ある歌はクロールでまっすぐに泳ぎ、
ある歌は平泳ぎでゆっくりと漂っていた。

「これが、おとうさんの歌です」

琥珀色の指が、あたたかい影のように行をさした。


『恋は猫 父からもらったアップリケ
   もらったもののもらったものの』


「……アップリケ?」


僕と母は顔を見合わせる。
少女はゆっくりと、

「この歌は、去年、おとうさんが私に
 猫のアップリケがついた誕生日カードをくれた時のものです。
 かわいいカードでした。
 でも私、びっくりしちゃって。
 おとうさんが選ぶようなカードではなかったので」
「そうでしょうねえ……」

母はしみじみつぶやいた。

叔父さんは、マジメが眼鏡をかけて歩いているような人で、
短歌を作ったり、
アップリケ、という言葉を知っていたり、
外国人とのあいだの子どもを認知したりする人では
なかった。

少女は少しとがった鼻を沈めて、つづけた。

「おとうさんは、この本を楽しみにしていたんだけど、
 見本が出来てから、完成までに時間がかかってしまって。
 やっと先週、送られてきたので、
 ここへ届けたいと思って。
 
 来月、私と母はガーナに帰るんです」

「でもあなた、遺産があるのよ? 日本にいればいいじゃない」

母は勢いこんで言った。

叔父さんは財産をのこしていた。
数年前に頼まれて出資したベンチャー企業があたり、
株式を公開したからだ。
一気に資産がふくらんだタイミングで、叔父さんは急死した。

遺産は唯一の身内である母が相続したが、
認知されているのなら、彼女のものだ。

でも少女は頭をふった。

「私とおとうさんは、血がつながっていなくて。
 本当の父親は行方もわからないんです。
 おとうさんが認知をしてくれたのは、
 私に日本国籍を作るためでした」

「ちが、つながってない??」

少女の長い髪が、笑ったように揺れた。

「私はずっと戸籍がなくて、学校にも行けなかった。
 おとうさんは、それを気の毒がって、
 『認知をしたら日本国籍がとれる。学校へ行きなさい』って
 いってくれたんです。

 でもお母さんはガーナに帰りたいんです。
 おとうさんが生きているあいだは帰国しなかったけど、
 いまは、感謝の気持ちだけ残して
 故郷へ帰りたいって」

彼女はニコッと笑った。

「お金はいりません。
 おとうさんが認知をしてくれたから
 私は、ガーナへ日本国籍を持っていけます。
 それが遺産です。
 帰る前にお参りしてもいいですか?」

彼女は仏壇の前に膝をそろえて座り、
繊細な装丁の本を置いて、鈴を鳴らした。

ちりりりん、という音は、銀色の薄い鋼の層になって、
空気をふるわせる。
仏前の本から、するすると一行の歌が浮かび上がった。


『恋は猫 父からもらったアップリケ
   もらったもののもらったものの』


手を合わせて一心に祈る少女の首すじは、
午後の光を浴びて金色に光り、

叔父さんが贈りつづけた愛情が
金色の子猫になって
彼女のうなじで眠っているようだった。

ちりりりりん。



【了】


作中の短歌は、つる先生のものを
お借りしました。
ありがとうございました。


この短編は、#シロクマ文芸部 に参加しています。

ヘッダーはUnsplashThought Catalogが撮影

ヒスイをサポートしよう、と思ってくださってありがとうございます。 サポートしていただいたご支援は、そのままnoteでの作品購入やサポートにまわします。 ヒスイに愛と支援をくださるなら。純粋に。うれしい💛