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『60万円ぶんの サヨナラ』ヒスイの恋愛短編(1800字)

 5月連休のど真ん中。親友・のぞみと買い物に来た巨大ショッピングモールは、人でいっぱいだ。
 やっと平常が戻りかけている気がする。社会も、あたしも。
 女二人で買い物。どっちもカレシなし。元カレに逃げられたのは3カ月前だ。いま考えても、あの男はひどかった……。
 そのとき、のぞみが目を見ひらいてあたしのシャツをつかんだ。

「マイちゃん、あれっ! マイちゃんの元カレ――金とって逃げた元カレだよ!」

 あたしはカフェから、のぞみの指さすほうを見た。
 広い通路の反対側。黒やネイビーのレザーバッグを並べたショップの前に二十代半ばの男がいる。
 さりげなくスタイリングした髪、流行りのアイテムを取り入れたファッション。全体的に“中クラスやや上”ランクでまとめた男は、間違いなくあたしをさんざん泣かせた男だ。
 のぞみが、声をひそめる。

「どうする?」
 あたしは視線を手に持ったカフェのマグに戻した。

「どうもしない」
「どうもしない? あんなひどいことをされたのに?」
 のぞみが茫然とする。あたしはショートヘアにした首すじに、ひんやりとした風が通るのを感じる――。


 思い返せば3カ月前。あたしは連日、のぞみの部屋で大号泣していた。カレシに浮気されたからだ。

『聞いてよ、のぞみ! あいつ、SNSで別アカウントを作って、アホみたいな女とのキス写真を公開していた! オマケに今は音信不通なの』

 普段のあたしは冷静なタイプだ。仕事では数人の部下がいて、決断は正確。そのあたしが、ダメな男ってわかっていながらおぼれていた。
 のぞみは言った。
『あの男はどうしようもなかったよ。誠実さのカケラもなかったじゃん』
『わかってる。わかってる。でも、どうしようもないくらいに好きだったのよ』
『ありがちなパターンだよね……マイちゃん、まさか、金とか貸してないよね』
『……貸した。60万。新規事業を立ち上げるからって言ったの』

 のぞみはもう何も言わなかった。ただぽんぽんと、あたしの頭をなでただけだった。
 そのままあたしは三日三晩、泣きあかし、伸ばしていた髪をざっくりと切った。
 半年ぶりにショートになった首すじは薄あおくて、泣いているようだった。




 カフェの雑音をかき分けるように、のぞみの声が聞こえた。
「マイちゃん。あいつ逃げるよ――いいの?」
 返す言葉もない。
 なぜだろう。
 あの時、あれほど恋こがれた男が、ほんの5メートル先にいる。
 なのにあたしの身体は動かない。どうしちゃったんだろう?

「のぞみ。もう、どうだっていいの。
好きだったあいだは、あたしがそうしたいから、何もかも見ないふりをした。だまされたいから、だまされていたのよ。もう、いい」
「ふうん。なんか物分かりがいいね、マイちゃん。でもあたしは、気に入らない」

 のぞみは、冷たい目でヤツを見た。
 死んだ羽虫の残骸を眺める目つきだ。同時に、ダメな男に溺れたあたしまで、ひねりつぶすみたいな視線だった。

 ふいに、雑音と体温が戻ってきた。
 ――いやだ。このまま、何もせずにあの男を見逃したくない。
 ここできっちりと、ケリをつける必要がある。
 元カレに、じゃない。
 自分自身に、ケリをつける必要があるんだ。
 どんっ、と耳元で号砲が鳴った気がした。
 あたしは立ち上がった。
「行ってくるわ、のぞみ」
「そうこなくっちゃ」
 カフェを飛び出す。元カレに向かって、秒速33mで突っぱしっていった。

 うしろから肩を叩く。ふりかえった元カレにさりげなく頭突きをかまし、足の甲にヒールを突き立てて踏みつけた。
 この間わずか5秒。
 3カ月間にわたって考え抜き、シミュレーションしぬいた動作は、思ったよりもずっと速かった。
 イケメンな元カレの顔は痛みでひん曲がっていた。

「なにすんだよ! ……マイ? いや、その。あの」
「“マイ”? 気やすく呼ばないで。債務者め」
「さい……さいむしゃ」

そこへ、のぞみが駆けつけてきた。あたしはのぞみに向かって手を出す。
「メモとペンをちょうだい」
 渡された紙に、こう書いた。

『金・60万――手切れ金として』
 はらり、と紙を元カレの顔に押しつける。
「さよなら」
 さよなら、バカな男。
 さよなら、ダメな男とわかっていて溺れたあたし。

 そのまま後ろを見ずに歩き出す。
 背後でドガッという音がして、のぞみがもう一発、あいつに何かしたのが分かった。
 お腹の底から、笑いがこみあげてきた。
 やっと終わったんだ、何もかも。
 だから。


 ”見たこともない男”に変わった元カレに、60万円ぶんのさよならを。

【了】


『60万円ぶんの、サヨナラ』


本日は金曜日! 「へいちゃんと一緒」です!
……アオハルだ。男子がカワイイ。やっぱりさ、動いてもらいたいよね、男子にさ、という短編です💛


ちょっぴり苦い恋愛短編を
最後までお読みいただき、ありがとうございます💛
また明日。小さなヒスイ日記で、お会いしましょう。


ヒスイの鍛錬・100本ノック 54

#NNさまの企画
#ヒスイの鍛錬100本ノック
#お題・みたことがない


今後のお題
【2】SNS  3】魂 【4】水 【6】みかん
【7】歩道橋 【8】終幕 【9】太陽
【10】マトリョーシカ 【12】落書き
【14】エレベーター 【16】忍者 【18】雨具
【19】労働 【20】歌 【21】危機一髪
24】お茶 【32】昔話 【43】鬼 【45】愛 
【46】枯れ木 【54】蜘蛛 【55】タイムスリップ 
【57】ポーカー 【58】春告げ鳥 【61】舌先三寸 
【66】ポップコーン 【69】★母の日★ 【70】スキャンダル
【73】アナログレコード 【75】★裏切り★  【80】まちぶせ 【81】ゆうびんやさん 【82】★みなとさん3★ 【84】天気予報
【85】湖底 【86】豆電球 【88】ペンギン
【89】★みなとさん4★ 【90】高級路線 【91】体重
【92】ダリア 【94】はらごしらえ 【95】ロングヘア 
【96】遅配 【97】三味線 【99】船 【100】カブト


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