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「5センチの異世界転生」ヒスイの毎週ショートショートnote 字数オーバーバージョン

男といて、もうだめだなと思う時は指のあいだに5センチ以上の隙間を感じる。
たかが5センチ。だけど、永久に埋められない5センチ。
今、助手席に座る省吾とのあいだにも隙間を感じる。

夜のドライブ。トラブルにハマりこんでいるのは省吾のほう。描いている絵が煮つまっているから。

「ラインがでてこないんだ。色も構図も、なんかズレてる。ちがう」

こう言いだすと、省吾の絵は長くなる。延々と白い画面を眺めつづける。
気づまりな空気を払いたくて、私は言う。

「気分転換に、車にでも乗る?」
「……たのむよ」

頼むよ、なんて言いながら、省吾の眼は空白の画面ばかり眺めている。
背後にいる女のことなんて、すっかり忘れ果てている。



車はオレンジ色の街灯の光をいくつもくぐり抜ける。手の下のハンドルが、シャープに振動する。
夜のなか、私はひとりで鋼鉄の奔馬を乗りこなしている。
省吾はいない。
まるで、異世界へ行ってしまったかのよう。


ふと、ラノベ好きの姪から聞いた『異世界転生』という小説のジャンルを思い出した。
主人公が事故や病で別の世界へ行ってしまい、そこからストーリーが始まる物語のことだ。死なずに転移する主人公もいるが、いずれにせよ、元の世界へは戻ってこない。

異世界へ行ったきりだ。
ここじゃないどこかへ、行ったきり戻ってこない主人公。
つまり、省吾だ。
ふたりのあいだに空いている5センチは、異世界へつながっている。



赤信号で車を止める。省吾がつぶやく。

「あんな絵なんて、クソだ」

エンジンだけが、静かに鳴る。

「描いたって、誰も喜ばない。コンクールに出したって、どうせ落ちる。
グループ展に出しても、誰も買わない。
分かってるんだ」

私は何も答えない。会話がどこへ行くか、わからないからだ。
まだ答えを出したくないことがあるから。
ただ信号が青くなるのを待っているだけ。
赤から青へ。
5センチの距離から、異世界転生へ。
あなたはどっちみち、戻ってこない。
信号はなかなか、変わらない。

省吾はつづける。

「だけど、ある瞬間、目の前に絵が広がるんだよ。色、フォルム、ライン、構図、モチーフ。
それまでの迷いが嘘みたいに、世界に色がつく、匂いがつく。
あれを――」

省吾は目を開いた。

「あれを、きみに見せたい。だから俺は描くんだ。
百合だけが、俺をあそこから引っ張り出せる。
あの絵の完成品、みてくれるかな」
「……どうかな」

やっと、答えがでた。

「私が見ても見なくても、あなたは描くでしょう。そんなの、ただのいいわけよ」
「言い訳」
「あなたはずっと絵に恋をしている。ここと異世界を行き来している。
行くのも戻るのも、あなたの自由」

あなたの勝手――とは、言わなかった。勝手なのは、私も同罪だから。
ぽつん、と省吾が言う。

「異世界、か」
「そうよ、あなたはいつでも助手席で異世界へ転生しているの。
私はずっと、いつか戻らない日が来るかもしれないってと思っている。
絵のほうが、うんと魅力的だから。この世界より。この私より」

ほろり、とあるはずのない涙が流れた。
透明な涙が私と省吾のあいだをゆく。砂漠に突然あらわれる幻の川のように、一瞬で世界を塗りかえてみせた。
川は濁流となり、大地にあふれて足をすくう。
涙がとまらない。

信号が変わる。隣の車が走り去る。手の下でハンドルが震えたまま、固まってゆく。
鋼鉄の奔馬は動かない。


ふっと、省吾の手が動いた。
大河の幅を軽々と乗り越え、5センチの距離をただの数字にもどして、省吾の指がやって来た。
体温が伝わる。
あたたかい。

気づいた。
人を異世界から引っ張り戻すものは、いつだって愛しい人の体温なのだ。

「百合。運転、変わろうか」
「うん」

するっと体が動いた。こわばったブレーキを放し、ゆっくりと車を路肩へ寄せる。省吾は車を降り、まわりこんで運転席のドアを開いた。

「おいで。今度はきみが助手席へ、異世界へ行く番だ」

夜の騎士が手を差し出す。私はじっと、省吾の手を見る。
絵の具がついたままだ。
私を、異世界へ転生させる手だ。


私のかなしみを、抱き取る手だ。

「愛してる」

言いたくないけど、

「愛してる」

聞きたくないけど、省吾が言う。

「知ってるよ」


そして私たちは家へ帰る。
描きかけの画と、ただの5センチの距離が待っている家へ帰る。


私たちの家へ。


信号がまた、かわった。


【了】(約1700字)

今日は、たらはかに さんの 毎週ショートショートnoteから
お題を借りています。
お題は 「助手席の異世界転生」。

12月はヘイちゃんもお休みなので、
ヒスイもイレギュラーで 字数無制限の短編を書くことにします(笑)

今日はちょっと、大人テイストで。
人はみんな、自分を異世界転生から引っ張り出してくれる人を、
必要としているんだと思う。

そういう事です。

今週末もおでかけで。
だから金曜日に出します。

シロクマ文芸部のお題は、1日おくれ、月曜日に出します。

ではみなさま、良き週末を!

ヘッダーはUnsplashLena Polishkoが撮影 

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