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『金色の秘密~僕と彼女と、彼女の妹。』第1話

『民法が定める成年年齢には、
①一人で有効な契約をすることができる年齢という意味と、
②父母の親権に服さなくなる年齢という意味があります。』
(法務省民事局参事官室( パンフレットより
https://www.city.fukutsu.lg.jp/material/files/group/28/pamphlet.pdf)


 十八歳が大人だなんて、だれが決めたんだ?
 それこそ、大人が勝手に僕たちに向かって、
『きみたちは、二年早く大人になるって決まったから。後はよろしく』
 といって、押しつけたみたいだ。
 僕たちに選択肢はない。まったく違う世代が決めた事なのに、僕たちが責任を取らなきゃいけない。
 ばかばかしくてやっていられないけど、選択肢はどこにもない。どうしようもない、逃げ道すらない。
 そして僕たちは、何もかもを、あきらめる。

 たとえば僕、心療内科医を父に持つ高校三年生の井関亮太(いせき りょうた)は、行きたくもない医学部を目指すために、木曜日の特別課外授業である『難関校受験者向け補習授業』を受けている最中だ。都立高校、Ⅲ―7教室の窓からは、くすんだ空と金色のイチョウの葉っぱ四~五枚が、痩せほそった枝にしがみついているのが見えるだけ。
 あと一週間もすれば、あの葉も落ちる。
 僕のわずかなモチベーションも一緒に落ちていくんだろう。
 
 医者になんか、なりたくない。
 でも、自分が何になりたいか。何をやりたくないかなんて、全く分からないんだ。
 だから今日も、僕は家族がいうままに塾に来る。
 先月、誕生日が来たから十八歳。法的には成人なんだけど、だから何だっていうんだ?
 大人でもなく、子供でもない僕たちは、痩せた枝に残されたイチョウの葉のように、この世界に取り残されている。
 このご時世、子供として生きていくのも楽じゃないんだ――。


   ・・・・・・
 医者の家に生まれた子供が最初に叩き込まれるのは、この三原則だ。

『1.病院および自宅で見たことは、即座に忘れること
 2.病院および自宅で見たことは、何があっても口外しないこと
 3.病院および自宅で見たことの詳細を、尋ねようとしないこと』

 僕も生まれてからずっと、この三原則にのっとって生きてきた。うちの場合は、父の運営する心療内科クリニックとカウンセリングルームは自宅近くにあったから、とくにほかの子供より厳しく言われてきた。
 このさき、僕が医者になるとしても同じことを子供に言うだろう。
 それくらい医者はひとの秘密に触れることが多く、しかもたいていの秘密は墓場まで持っていかねばならないものだ。
 『守秘義務』と簡単に言うが、死ぬまで口外できない秘密を持たされるのは大変だ。
 つまり医者とは口のない壺みたいなものなんだ。
 
 というわけで、医家の子供として僕は、三年前のあの日に見たものは即座に忘れるべきで、口外すべきではなく、父にくわしく尋ねてはいけない事だった。
 もちろん僕は三原則を守った。


 あの日、中学から帰宅した僕が目にしたのは、自宅近くのカウンセリングルームから出てきた大人と子供の四人だった。

 子供の二人は、同級生の森山燿(もりやま ひかる)と薫(かおる)の双子姉妹と、付き添いのような中年の男女だ。ちなみに、燿と薫は一卵性の双子で、外見は見分けがつかないほどそっくりだ。実際、僕は彼女たちと小・中学とつづけて同じ学校に通っていたけれど、見分けがつけられなかった。それほど外見がそっくりだったんだ。
 あえて見分けるとすれば、行動。陸上部で走り幅跳びの県内記録を持つ燿は明るくて男女関係なくクラスの誰とでもしゃべる。
 薫はおとなしいタイプで、いつも本を読んでいる。書いた詩が新聞に載ったこともある文学少女だ。
 性格はまったく違うし、行動もまるで違う。それでも外見はそっくりで、ふたりが黙って並んでいると、中学の同じクラスのやつでも見分けられなかった。

 ただ、その日の双子は、はっきりと区別がついた。なぜなら親戚らしい男は、おとなしい女の子の頭ばかりをグリグリとげんこつで小突いていたからだ。
 女の子は何も言い返さない。髪の毛がぐしゃぐしゃになるまで強い力で小突かれていても、ただうつむいて、黙っているだけだった。
『こっちは、薫だな』
 と思う。燿なら、おとなしく小突かれていないはずだから。
 僕が距離を取って四人を見ていると、憎々しげな男の声が夕暮れの路上に響いた。

 

「ったくよう。おまえら、何が気に入らなくて勝手に入れ替わったり、相手に成りすましたりするんだよ。おかげで医者にかからなきゃダメだなんて、弁護士に言われるんだよ。おんなじ顔だから混乱するのは当然だろ。
だいたいな、お前たちは父親が死んで何千万って金を相続したんだぞ。少しはよろこんで礼金をよこせよ。こっちはお前らみたいな厄介者をしょい込むことになっちまって。
死んだ兄貴も、俺にぜんぜん金を残さないってどういうつもりだったんだ。
会社の金がまわらなくてヤバいっていうのに」

「まあまあ、兄さん。落ち着きましょうよ。この子たちが相続した財産だって、信託になっているから、毎月少しずつしか来ないのよ。かわいそうじゃないの。
これから一緒に暮らすんだもの、おばさんが生活費として管理しておいてあげるわねえ、薫ちゃん」

 

 女は男に小突かれている女の子を完全に無視して、横に立つ子に話しかけた。
 あれ、そっちが薫か……てっきり、おとなしく頭をたたかれ続けている女の子が薫だと思ったのに。
 ってことは、あのじっと黙っているのが燿なのか?
 信じられない。
 元気のいい燿なら、大人相手にも反抗的にやりかえしたり、にらんだりすると思ったのに。
 学校じゃ明るくて無敵の燿でさえも、大人には逆らえない。
 だって僕たちはまだ、子供だから――。

 やがて四人は僕に背を向け、駅に向かった。
 距離を取るためにのろのろと歩く僕に、むっとするほどの香水の匂いが襲う。うわ、あのおばさんの残り香だ。甘ったるくて吐き気がする。
 そう思った時、くるっと片方の女の子が振り返った。
 僕に気づいて、少しだけ笑った。その時わかったんだ。
 『あ、燿が笑うと、空気が金色になる』

 僕は彼女に向かって手もふらなかったけど。
 その日から森山の双子を完璧に見分けられるようになった。
 笑うと空気が金色に輝くのが燿で、物しずかに満月みたいな光を放つのが薫だ


 ……そう。双子の鑑別は、完璧にできていたはずなんだけど。
 高校生になってから、ふたりは父親の遺品だという金と銀のネックレスを着けるようになった。冗談かどうかわからないけど、ある日、燿が制服の白いシャツの隙間から金色のネックレスを女友達にみせて、
『みんなに見分けてもらうために、あたしが金、薫が銀のネックレスをつけるって決めたの。
金と銀の理由? 
あのね、あたしたち双子だけれど、夜中に生まれたから誕生日が違うのよ。
先に生まれたあたしは13日の金曜日が誕生日。10分遅れの薫は14日の土曜日なの。だから金と銀のネックレスよ』

 でも僕はそんなものがなくても二人を見分けられる……はずだったんだけど。
 このあいだ銀のネックレスをつけた薫を燿だと思って声をかけて以来、僕の『鑑別眼』は狂いっぱなしだ。

 この一カ月ほど、なぜか二人を見間違えるんだ。


 補修がやっと終わり、僕はのろのろと数学の問題集を片づけた。
 おなじ難関校受験組のはずの燿は、
『今日は特別な先約があるから』
 と言って補修をすっぽかし、ひとりで帰った。

 おかしい。何かが起きている。
 何かが起きようとしている。
 今日は特別、って燿は言った。

 その意味がなんだか不穏に聞こえたんだ。


    ・・・・・
 
 学校から駅までの道には小さな喫茶店がある。カフェではなくて『喫茶店』だ。くすんだ金色のカーテンが窓から見える、小さな喫茶店。
 急ぎ足で前を通り過ぎた僕は、すぐに立ち止まった。

「……燿?」

 燿が小さなテーブルに座り、へんなおじさんと話していた。
 いや、へんではないのか。ネクタイにスーツの男だから。
 だけど、女子高生が喫茶店に入るのも変な話だし、スーツ姿のおじさんとまじめな顔で話すのも妙だ。

 思わず僕はつぶやく。

 「……もどって、店に入ろうか?」

 いや、僕と燿には、そこまでの関係性はない。同級生で仲がいいけれど、プライベートに立ち入るほどじゃない。
 しばらくぐずぐずしてから、駅に向かって歩きはじめた――が。
 気になる。気になりすぎる。
 駅が近づく。
 気になる。誰だあのオッサン。燿だって楽しそうじゃなかった。むしろ真剣すぎる顔をしていた。

 ふと、三年前の夕暮れが思い出された。あの時も、僕はむっとした顔をしただけだ。
 ただ黙って、男が燿の頭をグリグリと小突くのを見ていただけだ。

 見ているだけじゃあ、何も変わらない。
 あとから後悔するだけだ。

 僕はくるりと駅に背を向けると、喫茶店に向かって走り出した。
 古びた金色のドアノブを握り、一気に引き開ける。

「燿! 悪い、遅くなったな!」

 がらんとした店内に、僕の声がやたらと反響した。
 店には燿と男しかいなくて、燿はびっくりして目を丸くしていた。
 
「亮太、なにしてんの?」
「あ、いや、その。助けがいるかと思って」
「たすけ?」

 僕は真赤になった。ほらな、やっぱり余計なお世話だ。
 いそいで出ていこうとするのを、後ろから燿が引っ張った。

「亮太! 帰らないでよ」
「だって、いらねえじゃん、俺」
「いるよ、必要だよ! 亮太、もう誕生日が過ぎたよね? 十八歳よね。 あたしたちの『遺産分割協議』の証人になってくれない?」
「……へ?」
 
 見ると、燿は目をキラキラさせて僕を見ていた。その手には、なんだか難しそうな書類が、握られていた。
 僕は燿の隣、スーツの男の前に座った。燿が男を紹介する。

「この人ね、あたしと薫の特別代理人の弁護士さん」
「棚橋(たなはし)と申します」

 棚橋さんは丁寧に礼をしてから、名刺をくれた。ひとつ咳をすると、

「実はこのたび、森山燿さん、薫さんに相続権がある遺産があらたに見つかりまして」
「……遺産?」
「三年前に亡くなったうちのパパ、やり手の起業家だったでしょ? 遺産はほぼ全額があたしと薫へ渡される投資信託になっているんだけど、二カ月くらい前かな、家を片付けていたら見たことがないスマホが出てきて。

ロックを解除したら、パパ名義の仮想通貨が見つかったの」

「へえ、よかったな」

 仮想通貨とか遺産とか。正直、関係ないんだけどな。
 そしたら、燿がばーん、と僕の背中をたたいた。

「でね、その遺産について叔父さん・叔母さんと協議しなきゃいけないわけ。そこに亮太にも、いてほしいのよ」
「なんで俺が!?」
「——大人は信用できないから」

 ぶつん、と燿がそう言った。喉元から金色のネックレスが見えなくても、それは絶対に『燿』だった。
 黄金色に輝くオーラを持つ少女だ。
 それでも、話の内容に茫然としていると弁護士の棚橋さんがまた、こほん、と咳をした。

「まあ、分割協議と言いましても、形だけでして」
「はあ」
「今回は、燿さんも薫さんも遺産相続の権利を放棄するとおっしゃいますので、簡単に済みます」
「えっ、放棄? 遺産をもらわないのか?」

 びっくりしてそう言うと、燿は簡単にうなずいた。

「うん。薫と相談して決めたの」
「へえ……」
「だから、相談って言ってもすぐに話が終わるから。土曜日に、ここへ来てくれる? 見てるだけでいいからさ」
「……いいよ」

 なんだかわからないけど、燿に引きずられる。
 僕の直感は何かある、ってガンガンいっていたけど。
 それ以上に、だまってイチョウの葉が落ちていくのを見ているだけの毎日は、もう嫌だと思ったんだ。

(第二話につづく)

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